プロが教えるわが家の防犯対策術!

少しキャッチーなタイトルですみません。

初七日が久しぶりにお寺へ行きました。
最近死生観について考えることや説法を聞く機会がありました。

説法では人はお念仏を唱えることで輪廻から脱しお浄土へいけるという旨の話を聞きました。地球生物の全てがお浄土へ行くと地球は生物の居ない惑星になってしまいますが、これは真宗の目標なのでしょうか?
定量的に考えていると「え?」っと思うような解釈になり質問させて頂きました。

また、人類というか全ての生物を輪廻から解放させる方法は地球が太陽に飲み込まれたり子孫を作らないことですよね・・・

多くの人に支持され今日まで来ていますしこのような解釈ではないと思いますが、どのような解釈なのかご存じの方がおられましたら教えて下さい。

宜しくお願い致します。

A 回答 (13件中1~10件)

貴殿は宗教云々より哲学者になったほうがいいかも。

福井の永平寺で修行僧雲水で一番成績が良かった僧と、一番の偉いお坊さんの禅問答。雲水「永平寺に降る雪が白いのはこれいかに」偉い坊様「白いと思うから白いのだ」般若心経は仏教の基礎ですね。(無)なんですね。貴殿はどう思うかわかりませんけど。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
人類は1万年ほど宗教や哲学、科学で人を研究していますが答えが出ていません。その為、誰もが納得できるような答えがどこかにあればいいなぁーと諦めながらも、もしかしたらとどこかにと、探している感じです。
その般若心経の考え方は個人的には諦めにも見えどうかと思います。完璧ではないにしろそれを細分化し様々な性質と結びつけ、より多くの人が理解できるようにした科学が好みです。凡人の私には、誰が言ったのか知りませんが、鰯の頭も信心からという言葉が思いついてしまいました。

なお、その禅問の答の答えが真実か否かを論じる強い根拠が無く答えは控えますが、多くの一般人に向けてその説明をするのであれば納得できる答えではなく説得力に欠ける気がします。本当に偉い人なら、凡人にだって理解できるよう分かりやすく説明して欲しいと常々思っております。

お礼日時:2015/12/24 17:54

No.11です


>と言うか、同一の物に見えます
見える見えないの話になると主観の話ですし、それこそ哲学になってしまうので放棄させていただきます

>他の人に自分が食べるはずだった食料が周り
混同されてますが、自己犠牲が肯定されるのは神道です
そもそも人柱は命を捧げるのではなく、自身を捧げるのでおそらく感覚にずれがあるように感じられます
確かに仏教には飢えた獣の前に我が身を投げ出したという話がありますが、あれは獣にも対する愛の為だと言われていて、自己犠牲とはずれがあります

なお神道に置いて神に許しを得る為に自害をするのは贖罪ですが、これに関しては宗教上の明確な自殺と言えるでしょう
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

見えるというのは、言い換えれば客観的に共通点が観察できるとも言えますけどね。

先に示した事例は自殺についてはいくらでも理由付けは出来ると言うことをお話ししたかったのです。ある人から見れば愛と言うでしょうし、ある人は自己犠牲、ある人はタダの自殺という話かと・・・

お礼日時:2015/12/20 13:44

No.10です


>色即是空、空即是色
本来の仏教はどちらかと言うと哲学的で、考え方や心の在り方を説いていました
これはそれを表した言葉です
なお輪廻転生に関しては食物連鎖を観察した結果ではと言う説もあります
ですから、偶然もあるでしょうけれど、観察の結果もあると思われます

>仏教では生き仏など自殺することで願をかなえるような話も多々あり
仏教、神道ともに自殺は肯定されていません
生き仏は修行であって自殺ではありませんし、死して願いを叶えるのは基本自己犠牲です
生贄も自身の神に捧げるのであって、自殺では異なります
宗教戦争で死ぬことはキリスト教でも否定されないはずです、それと同様です
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

哲学はそもそも様々なことを観測し研究した結果ですし、科学的な思想が根本にあるように思います。最も、現在の脳科学など見ていると哲学やってるのか科学やってるのか分からない話も散見しますけどね。と言うか、同一の物に見えます。

また、願をかけて自殺すれば自殺ではないという感覚ですと、何でもありの状態にまで拡大されているように思います。
例えば、お腹をすかせた動物のために僧侶が命を投げ出した話なども自己犠牲なのでしょうか?そうですと、例えば、自殺することで、将来の医療費が削減でき、他の人に自分が食べるはずだった食料が周り、CO2の排出が減り環境破壊も抑えられ、世界中の人の役に立つと思えばその論が自己犠牲として成立してしまいます。

お礼日時:2015/12/20 00:37

N0.9です


>科学も宗教も基本的には幸福を追求していますし同じかと思います
私はどちらかと言えば、科学(正確には工学)よりの人間ですが、それは違うと思います
科学はあくまで真理の探求を目的としているだけで幸福を追求している訳ではありません
また利便性を追求している訳でもありません(利便性の追求はどちらかと言うと工学です)
それが原因で科学は度々倫理を無視するため、哲学や宗教等が必要だと言われています

>審査は生を全うした後に行われるというのは初耳です
語弊があり申し訳ありません、元々はキリスト教を絡めて説明していたのですが、キリスト教を知らなければ意味が無い事に気が付き削除した名残です
そのため審査と言うのは分かりやすく言っただけで、キリスト教の様に教義としてある訳ではありません
生を全うした後、浄土に行く魂と輪廻に戻る魂がいるに過ぎませんが、それだと偶発的な事であるから念仏を唱える必要性が無いのでは?と取られると困るからです
なお自殺はどの宗派の仏教においても忌避される行為のため、浄土に行ける事は無いはずです
そのため生を全うしたと表現しております
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この回答へのお礼

再度、回答いただきありがとうございます。

宗教も科学も幸福追求や宇宙の理解など言っていることは同じに感じるときがあります。実際、以前は宗教(特に聖書ですが)の方が正しいとされ科学の方が修正を求められる時代も非常に長かったですし。最も今の宗教はあまりに形骸化していますが・・・

ただ、元々根本にあった自然の理解などは科学の本質を付いているように思い、明らかに言葉足らずではありましたがこれを念頭によく似ていると先ほど書かせて頂きました。
そして、今の量子物理学など見ていると創作話のように感じる時さえあります。例えば、目の前にある物質も宇宙創生が何度も繰り返されるくらいの時間さえ用意できれば確率上存在しているだけなど殆どファンタジーに感じます。色即是空、空即是色。みたいな話です。まぁ、偶々かも知れませんし、これを言った人がどこまで想定していたのかも知るすべはありませんが・・・

キリスト教と仏教は例えば、枕上げ、通夜、初七日や四十九日、五十回忌など死生観の概念からして異なるように思います。今回法事するといったら真宗はややこしすぎると言われてしまいましたし、そんな習慣はないと言われてしまいました。(カナダ在住)
また、仏教では生き仏など自殺することで願をかなえるような話も多々あり、宗派にも寄るようですが自殺が必ずしも忌避されているわけではないと思います。時代によっては寧ろ良いとされていた頃もあるようです。ついでに言えば、神道なども自身を生け贄にする話などあります。
キリスト教では偽装して自殺するくらい厳しいと聞いたことがありますが・・・

お礼日時:2015/12/19 22:37

そもそもとして現代科学と宗教観を混同しているために、おかしなことになっています


地球=穢土(現世)だという概念は放り捨ててください
どちらかと言えば、本来はもっと狭い世界の話で市町村レベルか都道府県の範囲です

目標を端的に言えば、仏の教えが完全に守られた理想郷(浄土)があり、そちらへの移住が最終目標です
ですから浄土は別段地球上に有ったとしても宗教上は不都合ありません
ただ移住への審査は生を全うした後に行われるため、死後となるだけです
地域内からは生物は確かに居なくなるかもしれませんが、あくまで移住であるため死滅する訳ではありません
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
科学も宗教も基本的には幸福を追求していますし同じかと思います。単にその方法が違うだけかと。
また、審査は生を全うした後に行われるというのは初耳です。これは浄土真宗の経典に書いてありましたでしょうか?最近、真宗もまた派が別れたとも聞きますが、一応、私が聞いたのは本願寺派の話でした。

お礼日時:2015/12/19 20:42

勘違いされてるようなので補足します。

ボクが言いたいのは、わざわざ人間が作り出した宗教の事です。
原始的な、自然発生的なアニミズムや自然崇拝はボクも認めます。
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この回答へのお礼

それも立派な宗教に宗教だと思いますよ・・・

例えば新車を購入した時、それに神が宿ると考えて自分でお祓いをしたり、神主に頼んだり人それぞれですが、現代科学をベースに考えると何も存在しないため、全ては人間が頭の中で何かを作り出しているように見えます。また、それに何かが宿っていると考えるのは過去の人間が作り出した物語などを知っている為でしょう。事前知識無しでは恐らくお祓いという概念すら思いつかない気がします。勿論、車の代わりに山や川、竈、火、時間、太陽、家などでも良いですが・・・

どこからが原始的で、どこからが高コストになるとか、集金目的であるかなど判断は分かりかねます。仏教や神道などそもそも非常に自然発生的ですし・・・

少々質問とはずれますが、人が安らかに考えられる知恵・宗教としてより効率的な物があれば良いとは思っていますが・・・とりあえず、なかなかこれという物は見つかりませんね。

お礼日時:2015/12/17 21:46

宗教なんて全てただの戯言です。

あんなモノ信じちゃダメ
宗教は人類が作り出した最大の悪ですから。
証拠はそれこそ山ほど有りますよ。
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この回答へのお礼

その逆の効果も山ほどありますけどね・・・

例えば、死別した時に精神科にかかると多大な費用や薬が必要になりますが、宗教には癒しの効果があるなど非常に素晴らしい効果があると思います。死一つとってみても今の技術では恐らく宗教よりも適した物はないように思います。別に浄土真宗に限らずアニミズムや他の曖昧な物に心の支えを求めているようです。

また、そもそも科学万能とはいえ現状の科学知識では物事を突き詰めると様々なことが不確定性になり夢幻のような物になりますし心許ないと感じている人も多いかと思います。目の前にある物質すら1秒後には原資崩壊する可能性も0ではありませんしね。

お礼日時:2015/12/17 21:14

>地球生物の全てがお浄土へ行くと地球は生物の居ない惑星になってしまいますが、これは真宗の目標なのでしょうか?



 違います。
 だって、そうなったら信者がいなくなっちゃうもの(ジョーク)。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

お礼日時:2015/12/17 21:15

地球は50億年後に太陽に飲み込まれて消滅するという説があります。



一方で、弥勒菩薩は56億7600万年後に現世に現れて悟りを開き、人々を救うと言われています。

人類ががんばって56億7600万年続き、地球が消滅するのであれば、皆救われて浄土へ行くわけですから問題はないでしょう。

目標ではないと思いますよ。
そのような定めということだと思います。
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この回答へのお礼

50億年後に太陽に飲み込まれるのは天文の方を見ていると言われて今ね。ただ、それが科学技術で克服できてもビックリップなどもあると言われていますね。
もう少し、現実的には、太陽に飲み込まれる前、時期的には30億年後には既には今の地球は火星のようになっているようですので、もし助ける予定があればもう少し早く現れて頂かないと手遅れになりそうではあります。できれば、人口爆発でやたらと現世に人が溢れていますのですぐにでも来て頂きたいところではあります。

お礼日時:2015/12/17 17:06

そもそも浄土真宗は、浄土宗を開いた法然の弟子である親鸞の教義を基にしています。

法然は元々は天台宗比叡山延暦寺の僧ですが、浄土宗を開く時にその基となる経文を間違えて解釈し、『南無阿弥陀仏』の称名念仏をすることにより、西方極楽浄土に往生できるとし、鎌倉時代に広まりました。しかし、本来であれば、『正法を行じて、、、』とあるために、法華経を根本としなければ往生は叶わないのです。
それを親鸞も疑いもなく継いでいるため、デタラメな教えとなっているのです。
要するに、称名念仏をしても、浄土真宗のお寺が儲かるだけで、信者にとっては何の得にもならないばかりか、間違った信心をすることで、悪業を積むことになるのです。

また、天台宗比叡山延暦寺はどうかというと、伝教大師最澄は中国天台宗より法華経を根本とした教えを持ち帰り開山しましたが、第3代の慈覚大師により、真言密教を取り入れ法華経をないがしろにしてしまいました。そのため、伝教大師の教えが消えてしまい今日まで至っているのです。

それを知ってか知らずか、だれもとがめようともせず、『謗法の寺』と化しているのです。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。
歴史を振り返ると色々あると思います。ただ日本では浄土真宗はそれなりに多くの人が信仰しており、様々な矛盾や解釈がでて矛盾があってもある程度間もとな物にはなっている気がするのです。
釈迦の開いた仏教も実際にはバラモン教など影響を色濃く受けているそうですし・・・
キリスト教なども生物学など科学の進歩で色々な解釈がされていますよね。

お礼日時:2015/12/17 16:45

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