プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんにちは。

過去の経験から起因する心の病で、
毎日が死の誘惑とのたたかいです。

今日も日曜礼拝に行って、ほんの少し心が救われたのですが、眠ると悪夢がやってきて、私を死へと誘います。

死にたくないんです。
幸せになれると信じたいんです。
幸せな自分の人生を、手に入れたいんです。

受けた傷が深くて、この傷を抱えて悶絶しながら生きるよりいっそ死を受け入れたらどんなに楽か、と毎日苦しみます。

私のような方、そしてそれを克服なさった方も、きっとおられると思います。

助けてください。
私は生きたいです。

本当は幸せになりたいんです。
どうかどうか、私が生きていることを赦されたいんです。
私が生まれたことを、生きていることを、心から神様に愛されていると信じたいんです。

苦しくて苦しくて。
毎日が拷問のようです。

死にたくない。
癒されたい。
でも死んでしまうかもしれない。

今日このあと、いきつづけられる自信が持てない。

見知らぬ私に、どうか愛の手をさしのべてください。

A 回答 (15件中11~15件)

初めまして☆


まるで数週間前の私を見ているようだな…とまず思いました。
今もまだその根は絶たれては居ないと思うのですが。
私はPTSD(心的外傷後ストレス障害)、一般的にはトラウマ
とでも言うのでしょうか、それが原因で反復性うつ病も発症しております。
毎日、毎日、楽に成りたい、もう全てをかなぐり捨ててしまいたい、
全てを終わらせてしまいたい。
先の幸福よりも今の苦しみから逃れたいと思い続けました。
私は病院へ通院しており、薬で多少楽になっては来ましたが、
発作が起こらないわけではありません。

一度、実は馬鹿なことをしてしまいました。
そして、今現在、治療は一から振り出しに戻りました。
そうしたことから、明日も生きている自信を失い、
後数分したら死にたくなってしまうかもと言う不安に駆られ、
家族に仕事を数週間休んで貰い側に居てもらいました。
勿論、死にたくない、幸福になりたいからの事でしたが、
死にたがる自分の姿を見て悲しさを堪えきれない母の姿を見て
反対に、またしまったなぁ…と言う思いをしました。

私を助けたいと思ってくれる人を必要としているのに
死にたい自分に変身してしまったら、全てが敵に変わってしまう。
でも、やっぱり死にたく無い。
このまま辛い思いだけして人生を終わらせる事は屈辱。
不幸を背負った分だけ幸福になる可能性が大きく広がる筈。
小さな幸せであったとしても、これ以上無いと言う幸福感を感じられる
そんな人間になれるはずだと今は信じています。

私は取り合えず死にたくなったら、取り憑かれる前に
何か一歩自分を前進させて気分を落ち着かせます。
通院に掛かる費用を無料にしたり、年金の申請をしたり、
障害者手帳の申請を出したり、催眠療法へ行ったり、
そんな風に自分をもうごまかせない所まで来ているのでしょうか?
私もごまかせない、自分を自分で守ろうと思えなくて
苦悩を重ねた時期がありました。
でも、その度に病院に電話をして死にたい気持ちが止められないと話し、
主治医の先生に薬の処方を変えて頂いたり、追加して貰ったり、
そうこうしている間に気が付けば”生きる”息をする、
時間を過ごす事に対する不安は拭い去る事が出来ました。

そして、今現在、不安定でありながらも前に気持ちは向き直したと感じています。
きっと大丈夫です。
どんなに不安でも、幸福になりたい気持ちがあるなら、
幸福になれるだけの資格はもう手にしているも同然なのだと思います。
私自身がずっとそう思い続けて来たから。
全ての事に意味があるならこの苦しみも乗り越える意味がある筈。
そして乗り越えられたらきっと幸福への光への階段が開かれている、
私はそう信じています。
苦しい気持ちから開放されただけで、日常生活を普通にこなせるだけで
それだけで幸福感で一杯に自分を満たす事が出来るのだから☆

何も頑張ったりしなくてもいい、死にたくなったって良い。
でも、幸福になりたい気持ちだけは捨てないで下さい。
幸福になりたい、幸福への道を探したいと思い続けると、
そこへ繋がる道が必ず見つかると思うので。
私も今まともには通えて居ませんが、私自身の人生の道を
見つける事が出来、再出発です。
焦らず、ゆっくりと自分のペースで学校へ通おうと思って居ます。
どうか、幸福になる権利を捨てないで下さい。
問題にぶつかったと言うチャンスを逃さないで。
自分を信じる事が出来ない事はとても苦しく辛く悲しい現実でしょうが、
幸福になりたいと一瞬でも思える時があるのなら、
必ず何処かに抜け穴がぽっかりと開いている筈です。

もし、まだ病院に行かれて居ないのでしたら、一度病院を
探して良さそうな印象を受けた病院に行かれて見てはどうでしょうか?
少しでも自分を楽にしてあげる為に。
大変で苦しい時期だと思いますが、ここで一人貴方の幸福を願う同じ人間が居る
と言うことを忘れないで頂けると嬉しいです。
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辛いですね。


私も7~8年、悪夢にうなされてました。

心の中に幼い頃からの思い出が沢山詰まった壷があるんですが、そこから生皮をはぐように、楽しかった思い出が、一枚、一枚はがされていくんです。これは夢の中で発狂しそうになったり、実際に呼吸困難になったり、心不全も起こるくらいの悪夢でした、こういうのが7~8年続きました。

で、生理学的、爆睡を妨げているのはセロトニン神経の弱りですし、朝方、憂鬱になるのはコルチゾールというストレスホルモンの影響ですから、必要な対処(病院、サプリ・・・)はしてください。
http://server343.dyndns.org/utu/index.cgi


この詩はご存知でしょうか?

 『無名の南軍兵士の祈り』

 大事をなすための力を与えてほしいと神に願ったのに
 従順さを学ぶようにと弱い人になった

 偉大なことができるようにと健康を望んだのに
 より善きことができるようにと病弱さを与えられた

 幸せになるために富を求めたのに
 賢くなれるようにと貧しさを授かった

 人々の賞賛を得ようとして力を求めたのに
 神の必要を感じるようにと弱さを授かった

 生活を楽しもうとあらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと生命だけを授かった

 求めたものは何も与えられなかったが
 願ったことはすべてかなった

 こんな私なのに、声に出していわなかった祈りもすべてかなえられ
 私は誰よりも豊かな神の祝福を受けた



質問者さまの、受けている祝福はなんでしょうね?
辛い経験から、何が芽吹いていると思いますか?

神さまの存在とか、必要性を身を持って教えられ、強固な信念にまで発展させてもらえたかも知れませんし、人の痛みを知る能力が開花しているかも知れませんし、人生・生命について真剣に考える機会を与えられているのかも知れませんし、いずれにしても、あなたの山の頂上からでないと見えない景色があるハズなんです。


まだ若く、未経験の時代は、山のふもと辺りに居ますから、まだ何も見えていないし、怖さも知らないし、漠然と幸せを信じたり、これからの道程を楽観していますが、昇れば、昇るほど、息苦しくなりますし、足腰も疲れてきますし、心身伴にガタがきます。

でも、それは登山が順調に進んでいることの現われであって、決して不幸なことではないんです。山の頂上には生の体験からしか得られない貴重な財産(成長)があるんです。

生命は成長することだけが目的で生まれてきていますから、大いに成長すれば良いんです。そして成長を促してくれるもの、成長を与えてくれるものを信じていれば良いんです。

私のHNをクリックしてもらえれば、呼吸法をご紹介してますので、是非、実践して、下っ腹(臍下丹田)に全意識・全神経を集めて、のぼせてしまった気を降ろしてみてください。

今は登山に疲れて、暑さでのぼせているだけです。

普段、歩くときも足の動きに全意識を集中して、つま先の上げ方、かかとから着地して、つま先で蹴るまでの一連の行為、腕の振り方、呼吸のリズムに集中して、歩行禅のつもりで歩いて、のぼせを取ってみてください。
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こんにちは。


お心内を想像すると、大変おつらいだろうと思います。
大丈夫ですか?

私も実は似たようなことを考えることがありますが、
あなたとの違いを述べれば、私にとって「死」は、行きたくないのだけれどもそちらに誘惑される性質のものでなく、こうするのが一番よいという「選択」のひとつなんです。
ですから今の私は、死ぬことの如何について、人に相談することはいたしません。
ただ、その前後の美しい身じまい、人に経済的その他の面で迷惑をできるだけかけたくないので、どうしたらよいかを(事情を明かさず)人に相談したり調べたりはすると思いますが。

あなたが「誘惑」されていることの状況は,わたしも昔同じ思いをしていたことがあったので、辛さはよくわかります。ほんとうにおつらいでしょう。ご友人はおられませんか。かけつけてくれる友人はいらっしゃいますか。

神さまはもちろん、あなたを愛していらっしゃいますよ。

日曜礼拝に行く、というおっしゃりかたから、キリスト教の方ではないかと思っています。

旧約聖書に「たとえ、(あなたを産んだ)母があなたを忘れても、私(神)はあなたを忘れない。今日、私はあなたを私の手のひらに刻んだ」という1節があります。

私があなたのところにすぐ飛んでいくわけにもいきません。
神の愛を身近に、感覚をもって感じたい、なぐさめられたい人のために、私は、「マザー・テレサ」もビデオをお勧めすることにしています。マザーは、ご自分のところにきた女性ひとりひとりを、ほんとうにいとおしそうに抱きしめていらっしゃいました。その映像もあります。ぜひ、見てください。

「マザー・テレサ」の生前の映像を納めたビデオは、女子パウロ会というところから販売されてるはずです。

わたしにはこれだけのことしかできません。
あなたがもしもその誘惑に負けてしまっても、神様はあなたのことを責めたりなさいません。
神は人の苦しみがおわかりにならない方ではないです。
むしろ、神も、貴女と同じように苦しまれてます。
神はあなたのこと、わすれてません。
ご安心ください。
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こんばんわ。


正直、「死にたくない」と思えるのがうらやましいような
そんな思いで読ませていただきました。

念のため伺いますが、きちんと精神科などで心理療法士のもとなどでカウンセリングや投薬治療は受けてらっしゃいますか?
治療を受けた上で宗教を頼るならそれもいいと思いますが・・・・。

人から社会から必要とされている思いを実感できれば、
自殺願望は減ると聞きます。
ボランティアで介護や福祉に関わるなどされてみても
いいのではないでしょうか?

参考URL:http://dir.yahoo.co.jp/Society_and_Culture/Socia …
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初めまして。


まったく、私も同じ想いでした。今は、あえて、過去形で書かせていただきます。まったく、本当に同じ気持ちでした。
死にたくないのです。私は生きたいのです。ですが、特に夜になると、死にたくはないのに、ものすごく私のそばに、すぐそばに、「死」があるのです。恐ろしい距離に。
私は常に「生きたい」と思いました。思う間、私は「死」んでいたのです。今思えば、そうやって苦しんだ一年弱、私は「死」んでいました。ずーと、死んだ日々でいたい、と暗い毎日が楽にさえ感じました。ですが、私は明るい方向に憧れ、どうすれば、せめて人並みに生きれるか、と悩みました。そんな資格はないのでは・・・、私は既に資格を失っているのでは、神仏に見放されているのでは、とも思いました。夜になるたび、「ああ、今日も生きていた!」と不思議な溜息をつきました。
専門的に考えれば、その一年の期間、私は「鬱」だったのです。
しかし、今の私にも、この想いはあります。鬱ではなくなったとしても、私の犯した罪の重み、罪悪感、劣等感、ぬぐい切れません。だから、一生、他人に向ける笑顔の裏側で傷を隠していきます。
私は無宗派の仏教徒です。仏教に救われた、とはいいません。これから生命が尽きるまで、手探りでやっていこうと思ってます。
うまく纏めることができませんが、相談者さんも、苦しみの中に、小さな光を見つけてください。何年、何十年かかるかもしれません。私は、とりあえず、一日一日を、まるで明日がない、くらいの気持ちでいきています。自分に後ろ暗いことがなければ、少しは堂々とできる、ましな自分になれる、と思ったからです。
長々すいませんでした。。。
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