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ハルノート時点では手遅れです。

米国は戦争をやりたくてしょうが無い状態でした
から。

いくら恭順の意を示しても、何かを仕掛けて戦争に
引き吊り込まれたと思います。

旧くは、テキサス独立戦争があります。
あそこではアラモの砦が全滅して、それで国民に
火がつきました。

スペインとの戦争では、米国の艦船メイン号が
謎の沈没を遂げ、これがスペインの仕業だという
ことになり、戦争のきっかけになりました。
米国は後になってあれは事故だった、と公表して
いますが、怪しいですな。

フイリピンとの戦争では、米国軍配下のフイリピン人が
殺害されたのがきっかけとなり
これで米国は60万のフイリピン人を殺害しています。

第一次大戦では米国船ルシタニア号がドイツの
潜水艦に沈没させられたのが、参戦の理由の一つに
なっています。

第二次大戦では、真珠湾攻撃です。
31代大統領フーバーは、ルーズベルトはあの攻撃を
知っていた、という書見を残しています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の哨戒艇がアメリカ海軍の
駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが
後になって、これが米国のやらせであったことが判明しました。

リビア爆撃 (1986年)もまだ記憶に新しいです。
1985年12月にウィーンとローマの空港で爆破事件が起こり、翌1月にアメリカは
リビアが事件の背後にあるとして、リビアに対する爆撃を行いました。

そこで質問です。太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか?

A 回答 (8件)

断固として戦争しないと云う強い意志があれば避けられる。


当時は当事者がやる気まんまんだったからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/30 09:15

皆さん正解だと思います。


私は別の観点から回答してみます。

外交努力で戦争が回避可能かについては
当然回避するべきです。

さて、外交努力ですが、戦争回避した場合の日本について考えなければなりません。
満州の放棄は絶対条件です、アメリカ資本は満州の産油の可能性に目をつけ、用地買収しようとしてたくらいです。
当然満州鉄道も撤退、そして中華からも撤退、朝鮮も放棄させられた場合、死亡です

日本が経済的に沈没せず、なんとかやっていられたのは日本、朝鮮、満州の小規模ながらもブロック経済を構築出来ていたからに他なりません。
この辺は朝鮮銀行について調べてもらえればわかります。
戦費のほとんどを賄っていたわけですがこの仕組みが無くなった場合、
石油、クズ鉄の輸出禁止によって産業は死亡。満州鉄道の収益は負債の返済で焦げ付き、朝鮮、支那への投資は回収不能。
日露戦争の借金すら返していない日本がここらの地域を放棄してしまったら返済不能に陥ります。
今更内需拡大したところで資金なんてない。売り付けるところもない。
外交の失敗はよく語られますが、既に経済ブロックが確定している状況をどう覆せばいいのでしょう?
ソビエトの拡大を避けたいという理由から
英国の属領として生き残る道が残されています。
知識層を消してしまい、キリスト教を押し付け文化を破壊、民族そのものを滅ぼすやり方をアジアでいやというほど見ている日本人に受け入れられることなのか。否。
では、アメリカ化なのか?それも否。
アメリカが欲しいのはアジアの市場であって同盟国ではない。日本人は邪魔。
ではソビエト化なのか?
天皇制と相性最悪なので否。
ではどうすれば経済を守りつつ独立を維持出来るのか?
当時の選択肢には戦争回避は存在しませんでした。
協力してくれる第3国、しかも強大な国が存在しませんでしたので戦争は必然ではありませんでしたがそう悪くもない選択肢でした。むしろ魅力的ですらあったでしょう
戦争はほとんど経済的理由から起こります
それを無視しては語れません
日本はアジア市場の拡大のために弱体化させるべき相手であったわけです。
日本を助けて利益を享受される国がどこにもない状況で外交努力は無意味です。
例えばイギリスのアジアにおける市場に危機感をもつフランスが現地兵力の節約のために日本を支援するとか、かつての日英同盟のような条件でもない限りまず外港ではどうにならなかったでしょう。
国連脱退してもしなくても結果は大差ありません。日本に何かを期待する国がなかったのです。
そこで戦争によって味方になる国を無理矢理作ってしまった日本もチートでしたがね。シベリア出兵、義和団事件、東学党の乱日英同盟
その理由と目的に照らし合わせればアメリカさえ世界に存在しなければ日本は戦争を回避できたと思います。
アジアのイロコイ族として。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/24 16:07

アメリカ国民は、参戦に反対だった。


アメリカ政府の挑発に乗らず、政府間では
ない、国民間の交流を拡大し、一方でアメリカ
政府の口実となっていた日中戦争や満州国の
権益放棄をネタに禁輸をやめさせる交渉をする。
大事なのは、そうした交渉=平和のために努力
する日本、という印象をアメリカ国民に宣伝し、
世論を動かす事。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/22 13:41

当然、避けられた。


米国と権益が競合したわけだから、そこを回避する手段はいくらでもあった。
所詮負ける戦を仕掛けてはいけない。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>米国と権益が競合したわけだから、そこを回避する手段はいくらでもあった。
例えば、どうすれば戦争を回避できたでしょうか?

お礼日時:2016/07/22 13:40

東条内閣の時では、常識的な政治力で対応するには、既にどうしようもない状態です。

今になって歴史の結果を観た上で、「こうすれば戦争を回避できた」という仮定は可能でしょうが、当時の状況ではどうしようもないでしょう。

日本の滅亡を回避する最後のチャンスは、斎藤内閣の国際連盟脱退までです。それと、アメリカは黒船以降反日で、ルーズベルトで本性を現したと思っている人がいるかもしれませんが、第1次大隈内閣までの日米関係は友好国同士です。






「国際連盟の脱退もやむなしでは」と、思っている人もいると思いますので説明します。


国際連盟の脱退は、内田康哉の無能が招いた事で、リットン調査隊は日本には有利な条件を提示していました。リットン調査隊の条件は主権は中華民国に、自治権は大日本帝国にというものです。

露土戦争の時にバルカン半島をオスマントルコとロシアの分割する時に取り決めた分割方法を、ブルガリア式と呼ばれています。主権とはただのラベルです。実質的な支配権を表すのは自治権です。その当時、飾りだけでもトルコに主権を与えないと治まらない理由があり、政治的な意味での主権(ラベル)だけトルコに与えられ、自治権はロシアが手に入れました。

つまり、名目上のラベルは中華民国に、実行支配権は大日本帝国にという内容で、蒋介石はこれを理解していたので「屈辱的だ(が、受け入れざる終えない)」と言う立場でした。当時は、ブルガリア式を用いないと治まらない複雑な理由があったので、この方法で解決を図りました。ヨーロッパの政治家はこのブルガリア式を理解していますし、ヨーロッパの日本の外交官も一人を除いて全員理解していました。

しかしその一人の例外が、内田康哉です。内田康哉の意見を鵜呑みにした、斎藤内閣は国際連盟を脱退します。






脱退当時のアメリカは、友好国ではありませんが、これも元々は外交ミスが招いた事です。それまで日本にとって最大の友好国だったアメリカの関係を、1898年に発足した第1次大隈内閣はぶち壊します。

その後の首相も、近衛内閣は有名ですが、高橋内閣、第一次若槻内閣、田中義一内閣と、外交ミスを連発します。
そして、斎藤内閣の国際連盟脱退で、取り返しのつかない状態になります。





東条内閣の当時は、もう滅亡回避不能な状態なので、どうしようもないでしょう。しかしそれ以前の内閣であれば、米国との戦争や国の滅亡を回避する術は多々ありました。



大日本帝国が滅んだ理由は、アメリカとの戦争に負けた事ではなく、外交ミスをした事が原因です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/22 13:40

太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか?


   ↑
思います。

イラク戦争を思い出してください。

イラクがあれほど避けようとしたのに、
願い叶わず、米国との戦争になりました。

どう考えても、米国に勝てるはずがないのに
戦争になってしまいました。

圧倒的な力を持っている国が、戦争をやろうと
決定してしまえば、避けることは無理だと
思われます。


(参考までに)
フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、
「有色人種への差別が格別に強かった」と、
ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で
会談した英国のロナルド・キャンベル公使は
本国に書き送っている。

キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから
打ち明けられたのが「劣等アジア人種」
の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、
さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、
それによって立派な文明をこの地に生み出していく。

ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/18 15:50

歴史って後からみると、すぐ「歴史の必然であった」とか言いたくなりますが、


実際にはそんなことは全然なくて、ほとんど偶然の積み重ねだけでできてます。
その時の意志決定者がたまたま朝目覚めが悪くて機嫌が悪かった、とかでその後の世界が全く違うものになります。
(そもそも誰が、意思決定者になっているかも、その多くは偶然で決まっています)

よく「歴史にifはない」と言いますが、これは「if」を考え始めたら、ほとんど全てのシナリオが「あり」になってしまうからです。

というわけで、
太平洋戦争は本当に避けられなかったと思いますか?
という質問には、避けられた可能性は当然おおいにありました。
常識的に考えれば、太平洋戦争に突入するかを決める最後のターニングポイントは、日独伊三国同盟と仏印進駐だとは思いますが(この前であれば、かなり高い確率で避けられたと思います)、
ハルノートの後でも(実際、なかなか難しいとは思いますが)絶対に手遅れであったとは思いません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/18 15:49

私は満州を独立国家にして豊かな国にしていれば、何も問題は無かったと思います。


 皇帝もいるわけだし、政治の仕組みも民主的なモノにしていれば何の問題も無かったのです。
国際的には、ソ連のアジア侵略を押さえる防波堤になると説明していれば、多くの国が日本を支持します。
 しかし日本が上海とか香港とかを侵略したので国際的に孤立したのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/07/18 15:49

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