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黒田孝高、通称、黒田官兵衛が晩年に野心をたぎらせて、関ヶ原の合戦の際に九州の大半を制覇した・・という認識をしてました。
そりゃ、大河ドラマで2回もそんな描写を見れば、そう思ったりします。
Wikipedia等で見る限り、東軍(家康)の勝利を知ってがっかり(自分の天下取りがふいになり)どころか、いっそう奮起して進軍した模様? 実力者である家康に話を通すこともおこたっていないようですし。

黒田孝高(如水)が野心で九州征伐をしたというのは創作ですか? その出所もできれば。

A 回答 (3件)

確か蔵書の中に彼ついての論文があったと記憶しています。


そこになにか書いてなかったか読み返してみますので締切まっててください。
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戦国の名残がまだ色濃く残っている時代ですから、野心はあったでしょう。


徳川秀忠の時代までは、野心を持つ、大小名はたくさんいた。
福島家、加藤家がつぶされて、徳川の平和の時代に移行していきました。
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野心があったのでは?と言うのが


吉川広家書状からうかがい知れるだけで証拠はないです。

ソースについてですが
後世の創作黒田孝行傳ですかね?

九州を切り取るまでは想定内でしょうが独立は考えてないでしょう。
切り取ったばかりの領地で内府と戦うのは愚作ですから、広い領地獲得を目的とした。だけだと思います。
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この回答へのお礼

「関ヶ原の戦いがもう1ヶ月も続いていれば、中国地方にも攻め込んで・・」みたいな事を書いていたのですか。しかも毛利家の家臣あてに。
あの島津家を全く恐れていないところはさすがです。
ただ、現実主義者である黒田如水がどこまで夢を見ていたかは謎ですよね。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/07/26 20:55

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