2024年に成し遂げたこと

3流大学の学生だと、英検2級に合格できない学生が多いのですが、
それなら 大学に行かない人でも 英検準1級に合格する人の方が英語の学力が高いという事になりますか?

質問者からの補足コメント

  • どう思う?

    >3流大学の人、それも英検2級にも通らない人。そして、自分は高卒だから、それ以下ではないか、というような自分への劣等感情から、それをはねのけるために、一点突破で英検で挽回しようとすること
    違います。私は、高卒ではなくて大学卒業しています。そうじゃなくて 客観的に観察していると、3流大学の学生は 英検2級に合格しない人が多いのですから それなら その評価基準で考えてみると 高卒の人でも英検準1級に合格できる能力が有るなら それだけ能力が高いという証明になるのかな?と言いたいのです。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/11/03 01:37

A 回答 (5件)

能力が高いという証明



大学院で

留学生と英語で話し研究

研究発表は英語

論文は当然、英語


能力が高いという証明

英検無しでもOKです。
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#2の回答者です。



物事の価値観の問題なのです。
価値基準というものは、人さまざまだけれども、それでもって、人の可能性を奪うものではあってはならないはずです。

能力というのはなんでしょうね。頭の良さというなら、語学の資格は、違うと言っているのです。

一流大学とか三流大学とか、それは、狭い日本の社会の話ですし、語学の資格などが、外国語で以って仕事をする人たちにとって、ほとんど意味がありません。ただ、そこで勉強し身についたものだけがあるのです。英検やTOEICは、その裏打ちのようなもので、あっても良いし、なくてもよいものだと思います。

語学の資格というものは、自分の語学の勉強の励みにするものであって、それを自慢したり、それで、本来、自己評価が変わるというような他者依存のものではないはずです。

まして、語学というものは、外国語の言語の運用の巧みさであって、どんなに語学が堪能でも、言っている内容がお粗末なら、そんなものは意味がないのです。そして、大学ブランドとは関係がなく、語学の才能は、個人の資質に依存するものが大きいのです。ある程度までは、受験勉強のノウハウが英検の試験などには通用することは認めますが、上級にいくほど、今まで習ってきたことが、混乱し始めるはずです。

「虚仮の一念」、「反骨」とか、韓国の「恨(ハン)」とか、今の自分の逆境を跳ね返す努力自体は悪いことではありません。しかし、それで達成した後の問題だと思います。

その語学力を以って、何を為すか、何を成したか、ということではないでしょうか。もし、尺度とするなら、海の物とも山の物ともつかぬ、社会人なったばかりの若者に対する評価点の一つとしてだけです。私は、それだけで十分だと思います。
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>3流大学の学生は 英検2級に合格しない人が多いのですから それなら その評価基準で考えてみると 高卒の人でも英検準1級に合格できる能力が有るなら それだけ能力が高いという証明になるのかな?と言いたいのです。



1番目に回答したヒトですが、ぶっちゃけ3流大学でTOEIC900点ぐらいあれば、面接でちょっと評価は上がるのは事実です。でも、それはあくまで3流大学卒が普通に受ける入社面接程度の話であって、上場企業の1流2流大学の学生が沢山受ける企業ではあまり意味がないですね。

あとは、その英語力とか資格ばかりにとらわれてる印象があると、返って逆効果ですから、あくまで”受験での反省を活かして、大学生になってから目標をもって色々やってみた”という一つのカテゴリーの中での900点ならばいいでしょう。ちなみに英検はあんまり評価もないです。個人的には英検の方が難しいと思うが。

意味ない=だれもが簡単に取れる、なのでたとえ努力したらとれるものでも努力したという具体例+能力の証明になはるでしょうね。帰国子女でTOEICや英検が意味ないから、ってヒトもいるけど、客観的尺度をもっておくことはどんな事でも必要ですよ。
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こんにちは。



そのような比較は、あまり意味がないのではありませんか?
語学力なんていう客観的な基準ではないし、もし英検準1級を通った人がいたのなら、そして、それが努力した結果だというなら、それは、その人にとっての満足であって、自分自身に対して褒めればよいのであって、他人に評価を与えてもらわなくてもよいと思います。

英検準1級というのは、英語ネイティブでいうと、7th-8th Grade(中学2~3年生)までぐらいの英語力ではないかと思います。だから、英語ネイティブの社会など、それなりの環境で育った人で、ちゃんと勉強している人なら、なんなく通りますが、しかし、それと日本で勉強して努力した人と、どちらが上なのでしょうか。

私は、英検という枠組みで見たら、それは同じだと思います。
ただ、その英語の勉強の仕方(ノウハウ)を、その後の人生への活かし方によっては、変わるものはあるはずです。それは、TOEICでも同じことだと思います。

人と比べたら惨めになるだけです。
1流大学の人には敵わないから、3流大学の人、それも英検2級にも通らない人。そして、自分は高卒だから、それ以下ではないか、というような自分への劣等感情から、それをはねのけるために、一点突破で英検で挽回しようとすること自体は悪くはないものの、その材料として使われる「英検準1級」とはなんでしょうか。目的なそんな低い所にあるのでは、しょせん、語学など学んだとも言えません。

今も昔も、TOEICにはTOEICの特徴があり、英検には英検の題材等の特徴があります。それを完全に無視して、結果だけを問われることが多いようです。今どきは、英検1級を小学生で取ることもあるようですが、それは、子供よりも親の勲章のようなものだと思います。

世の中には、時々、語学の才を持った人に出会います。そういう人の中で適性を検査されて同時通訳になれる人もいます。それは、人の特殊な能力のひとつだとは思います。しかし、それが、その人の全体の能力や知能を決めるとは思えません。

人には何か取り柄があるし、それを活かせばよいのであって、人の不得意なものを探して、あの人より上だなんて思ったところで、それが意味するものはあまりにも小さいと思います。
この回答への補足あり
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大学によっても色々だし、試験科目の違いもあるので何とも言えんでしょうが、三流大学の定義にもよるが一般的に1流大学に合格する人でも英検準1級にノー勉でうかる人は決して多い訳でもないと思うので、英検の尺度で言えばそうなるかもしれませんね。

ただし、一流2流大学ぐらいの学生が真面目に一定期間勉強すれば準一級ぐらいならうかるんじゃないかな、と思うけど。
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