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以前聞いた話なのですが、三菱自動車は航空産業として成立した事から三菱自動車などのエンジン関連の三菱としての産業の基礎を作ったと聞きました。
確かに零戦は確か三菱の名があったと思います。
またスバル・富士重工もそのての産業からの延長と聞きました。
詳しい事は分らないのですが、トヨタ、日産、ヤマハ、カワサキなど現代における自動車・バイク産業界の企業の前身や歴史などご存知の方いらっしゃいませんでしょうか?

A 回答 (5件)

ヤマハは楽器のヤマハが元祖です。


ホンダは軍払い下げのエンジンを自転車に取り付ける仕事から始まった2輪メーカが元祖です。
トヨタは豊田自動織機という自動機織の機械メーカが元祖です。
日産は他社の自動車部門を引き取り創業したそうです。
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戦前の日本の自動車産業は、全くお粗末でした。


トヨタは、自前の技術で行くと言うことでした。もちろん、外国車を買ってきて、バラして、研究して同じ物を作ることから始めました。
日産は、合理的で、技術提携の道を選びました。但し、はずれをつかんだセミキャブオーバータイプのトラックがあります。戦後も技術提携とくにイギリスのオースティンと提携しました。
この二社は、自動車からの出発です。
スバルは、中島飛行機の後身です。ただ、中島飛行機は、多くの会社に分割されたので、そのほんの一部が富士重工になったそうです。最初は、スクーターから始まり、これは、飛行機の車輪を使った物です。バスの車体を作りました。航空機は、軽い機体が必要なので、モノコック構造にする必要があり、その技術を生かしモノコック構造のバスを作りました。このあたりまでは、完全に航空機会社の延長線上と言えるかもしれません。
ただ、スバル360になるともう戦後に入社した人たちもおり、航空機会社の後身とだけ見られることには、抵抗があったようです。実質的な責任者の百々瀬さんは、戦時中は、飛行機の過給器を研究していました。確かにスバル360の400キロを切る軽さは、飛行機の機体を連想させます。

ホンダは、昔中島飛行機の下請けでした。

三菱は、その通り飛行機です。ただ、飛行機には、機体とエンジンが別々な場合も多いです。例えば、零戦にしても、主力のエンジンは、栄といって中島飛行機製でした。

三菱は、エンジンの名前は、星の名前を付けました。金星、火星、瑞星等実在するかに関わりなくです。
中島は、抽象的な名前を付けました。栄、誉、護等です。もともと、ジュピターエンジンのまねから始まったので、そうしたのでしょう。ジュピターは、寿エンジンです。
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日産は、戦後にプリンス自動車と合併しています。

プリンス自動車は「スカイライン」、「グロリア」を作っていた会社で中島飛行機の流れです。
マツダは戦前は3輪トラックのメーカです。戦後にロータリーエンジンで有名になりました。

海外のメーカですが、フォルクスワーゲンはヒトラーの国民車構想によりポルシェ博士がビートルを設計したのが始まりです。
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【スズキ】


明治42年に鈴木式織機製作所として現在の静岡県浜松市にて創業。
その後バイク製造に着手し、自動車製造にも乗り出しました。

【ヤマハ】
明治20年で山葉寅楠氏がオルガン製作に成功し、翌21年に山葉風琴製作所(静岡県浜松市)に設立。
※後に日本楽器製造(株)⇒ヤマハ(株)と社名を変更する。

その後昭和29年にオートバイ「赤トンボ」の製造を開始し、翌30年にオートバイ製造部門を分離独立させて静岡県磐田市にヤマハ発動機を設立しました。

【ホンダ】
もともとは自転車修理屋だったと思います。
その後昭和21年に本田宗一郎が静岡県浜松市にてホンダ技術研究所を開設し、内燃機関および各種工作機械の製造、研究に従事しました。

バイクメーカーの多くは静岡県浜松市が創業の地みたいですね。
そういえばトヨタの創業者豊田佐吉も浜松市の隣にある湖西市出身でしたね。

各社のHPで沿革を紹介されてますので、それを見るとある程度わかりますよ。
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ヤマハの、あのマーク 楽器になるのかどうか?ですが音叉を3つ合わせたモノなんです。

そう楽器屋さんが始まりですね。トヨタの2T-Gと言うエンジンのバルブに、音叉マークがついてました。あの頃は、エンジン製作はトヨタよりも(今もと言う声も)ヤマハの方が上だった!
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