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イギリスの植民地支配と日本の植民地経営を比較していると、ネット右翼から『イギリスは、 本国の金を大量に使ってまで公教育の徹底を目指したことがあったのか?インド人に本国人と同じ法の下の権利を与えようとした事があったのか? 』と逆襲されますが、
たとえばオランダだってバンドゥン工科大学作ってますし、イギリスだってそこそこやっていたんじゃないのですか?

A 回答 (7件)

<参考>


先行した帝国主義諸国と、後から帝国主義に参加した国との条件の違いですね。

先行した帝国主義国であるイギリスは、本国の人口が少なく遠隔地まで広大な支配地を持つこととなりました。

<イギリス>
従って、広大な支配地統治のために使えるイギリス人の数に限界があり、その支配原則は「少数のイギリス人によって支配する統治システム」に主眼を置いていました。
従って、
1、直接統治を行わないで、間接統治を行う。
2、旧来の現地行政システムは極力温存し、現地社会の激変がないようにする。
3、旧来の社会を変えないことに因る利益の少なさは、面積の広さで補う。
という統治システムで、イギリス人一人が生み出す利益を大きくする方針です。

フランス革命後、ナポレオンが、ヨーロッパ大陸諸国を席巻して、フランスの自由主義革命思想を占領地で広めた結果、ドイツでは一般人の意識が高まり、それまでの軍隊の概念が、「地域領主の保持する領主の軍隊」からドイツの「国民軍」に変わっていき、フランス支配の排除に向かって国民の意識統合がなされました。
その結果、ナポレオンのヨーロッパ支配は短期間で崩れることになりました。

このような、「教育」の力を知った上で、イギリスは「教育を行わない」ことで、現地住民の意識が変化しないようにして、統治システムの長期安定化を目指しました。


それに対して、日本が帝国主義列強と競うようになったとき、イギリスの様に広大な土地を簡単に獲得できるところは何処にもありませんでした。

<日本>
日本がヨーロッパ帝国主義列強と競うためには、つまり何倍もの広さの支配地を持つこれらの国と同じ国際競争力を持つには、狭い支配地に資本の集中投資を行い、その住民を教育して、高い生産性を持たせるしか方法がありませんでした。
従って、イギリスが回避した「教育」による民族意識の向上・他民族支配への反発というリスクを、あえて冒す統治方法を取りました。

「民族」としての歴史の無い台湾では、この方法は大成功をおさめ、「民族」としての歴史の長い朝鮮においても、かなりの成果を納めつつありましたが、第二次世界大戦の敗戦によって、頓挫しました。


高等学校の「世界史」の授業をきちんと勉強していれば、既に習っていることですよ。
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イギリスはろくでなし。

イスラエルやパレスチナに2枚舌をしたために

戦争する原因を作った。自己保身しか考えないから。

統治した国の識字率を上げる国が日本人。
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A:>と逆襲されますが、



逆襲?
↑の前にどのような「襲撃」をしてのでしょうか?
逆襲を受けるような「比較」をしていたのか?

その「比較」の目的は欧米の擁護ですか?
それとも、それによって日本の統治に対する評価を下げる事ですか?



B:>公教育の徹底を目指したことがあったのか?インド人に本国人と同じ法の下の権利を与えようとした事があったのか?

C:>イギリスだってそこそこやっていたんじゃないのですか?

程度や目的の違いを無視することで論点をすりかえようとしているとしか思えません。

あなたは、日本の「公教育の徹底」や「同じ法の下の権利」と、それらの「そこそこ」を同列に評価するのですか。



D:>たとえばオランダだってバンドゥン工科大学作ってますし、

そこに入学できる者はどんな者だったのでしょうか?
欧米の植民地の大学は「分断統治」の為の「頭のいい奴隷」を育てる為でしかないと思います。

それとも、あなたは全ての原住民が公教育を受けられて、その中から頭の良い者が公平に選ばれて大学に行けたとでも思っているのでしょうか?

A5【分割統治】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2 …
(ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法。被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる)


《4:05 オランダ本国の財政状態を改善する為、東インドに導入されたのが「強制栽培制度」である。
これは、現地に指定の農作物を強制的に栽培させ、植民地政府が独占的に買い上げるというものであった。
東インド植民政府は、これら農産物をヨーロッパなどへ転売して莫大な利益を上げていた。

5:45人民を文盲のままにして各地の土侯(サルタン)を使って間接統治した。
アンボン人、ミナハサ人、バタック人を訓練し、キリスト教に改宗させて優遇し、警察官や軍人として登用。
そして、オランダとの混血児を作り中間階級として使い、民族の分断を策した。
社会の流通経済は華僑にやらせ、経済搾取による憤怒と憎悪は華僑に集まるように仕向けた。
インドネシア人の団結を怖れによる一切の集会や団体行動を禁止した。
3人のインドネシア人が立ち話をすることすら許されず、禁を犯せば反乱罪で処罰された。
インドネシアの統一を阻止するべく、全国各地で用いられていた320の種族語をそのままにして、一つの共通語に統一する企ては絶対に許さなかった。》



原住民同士の意思の疎通すら困難な状態でどれだけの公教育ができるのでしょうか。
それは日本の政策と比較できる程の「そこそこ」なのでしょうか。

そもそも日本のように公教育を普及させていたのでしょうか。

【インドネシアを救った将軍 今村均とは?】
http://matome.naver.jp/odai/2142527417076610101
《インドネシアの歴史教科書(中学三年用)
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼす様な利点を残した。第一にオランダ語と英語が禁止されたのでインドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の三年半に培われたインドネシア語は驚異的発展を遂げた。第二に日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍・木銃によるものだったとはいえ、厳しい規律を教え込み、勇敢に戦う事や耐え忍ぶ事を訓練した。第三に職場からオランダ人が全ていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、我々に高い能力や大きい責任を要求する重要な仕事を任せた。」》


【The doomed empire : Japan in colonial Korea / M.J. Rhee著】
《出版者 Aldershot : Ashgate 1997年刊(翻訳/重村智計・拓殖大学国際開発学部教授)》
(178頁より
「文明のシステムを、日本の植民地主義は朝鮮半島に導入したのではないか。スペインやアメリカ、イギリスは日本のように本国と同じような教育システムを植民地に導入しようとはしなかった。当時の朝鮮半島の人々は、文明のシステムを独自の力で導入するのに失敗した。日本の植民地主義を経ずに、あれほど早く文明の世界システムに入れただろうか」)




ところで、あなたはどのような意味で「ネット右翼」という「蔑称」を他人に使っているのですか?

http://www.geocities.jp/pleasurepleasure108/flas …
「イギリスの植民地支配と日本の植民地経営を」の回答画像5
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西洋にとって、植民地は、西洋を豊かにするための


ものでしかありません。
だから、現地人を奴隷化し、資源を強奪した
わけです。

西洋が教育云々をやっていたのは、間接統治の為です。

つまり、現地人が一丸になって、反抗しない
ように、現地人に現地人を統治させる、という
手法を採用していたのです。

そのための人材育成です。
英国では、優秀な現地人を英国に留学
させていますが、それは現地人を支配する
現地人を育成するためです。



日本とは違います。
日本は、欧米列強の侵略に備えるため、
現地を強化しようとしたのです。

だから、港湾道路教育などのインフラを
整備しました。
これが、韓国、台湾の経済発展の基礎に
なったのです。

韓国併合はロシアの侵略に備えるためです。

これは、戦後の米国と同じです。
米国は社会主義の防波堤にすべく、日本を
経済援助しました。
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その「右翼」と呼ばれる人はお門違いな事を言っています。




イギリスのインド統治は、議会にインド人の代表はいませんし、インド人が当時の大英帝国の憲法で保護される事もありませんでした。

一方、アイルランド人は、議会に政党が存在していました。イギリスとアイルランドは合邦。イギリスとインドはテリトリーとなります。

日本の朝鮮、台湾統治をみてみると、彼ら台湾人や朝鮮人は帝国憲法を適応されています。そして議会にも韓国人貴衆両議院が誕生しています。(外国人参政権の付与ではなく帰化人に近い。)これは、イギリス・アイルランド間の合邦に近いです。

朝鮮統治は、実は合邦政策なのです。
そして、イギリスのインド支配は植民地ではなくテリトリーです。

植民地というのは、コロニーを意味します。コロニーとは移民先の事です。そして、移民先を故郷の環境に改善し、原住民を排除し、そこで永住と子孫繁栄を目的にしたのがコロニー(植民地)です。

イギリスのインド政策は、そのような政策は行っていません。インド政策は間接統治で、シーク教徒を中間管理民族として、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒を支配し大英帝国の覇権をインド中に拡大しました。これをテリトリーと言います。イギリスのアイルランド政策や日本の朝鮮統治も合邦ですがテリトリーに該当します。ただ、同じテリトリーでも雲泥の差があります。

それよりももっと差があるのが、テリトリーと植民地の差で、イギリスでは、北アメリカ、オーストラリアやタスマニアがコロニー政策(植民地)に該当します。




まとめますと、イギリスのアイルランド統治や、日本の朝鮮統治のような合邦は、議会に入れるし憲法下で保護されるが、外地として差別を受ける悲惨な政策です。

イギリスのインド政策は、合邦と同じようにテリトリーに該当しますが、人間扱いはされません。ただ、家畜としてなら生きられるし、ヒンドゥー教徒やイスラム教徒を支配させるような教育なら、一部のシーク教徒には大学にまで行かせてもらえます。そのような悲惨な政策です。

イギリスの北アメリカやオーストラリアやタスマニアなどのコロニー政策(植民地)は、原住民の存在すら許されず、タスマニア人は文字通り絶滅する程の、壮絶で最悪な悲惨な政策でした。


人が支配される歴史というのは、悲惨なものです。


しかし、これら悲惨な支配でも、大きな差があるという事は歴史的事実として頭に入れておいてください。日本の当時の政策の批判がお門違いなのは、日本の合邦政策を、イギリスのタスマニアなどのコロニー政策(植民地)と同じレベルに歪曲している事です。










*憲法が適応されているという事は、「同じ人間」と法的に認められた事を意味し、憲法を適応していないという事は「同じ人間ではない」事を意味します。これは、行政に大きな影響を与えます。


*イギリスには憲法がないと思っている人への補足

イギリスには憲法典(東大憲法学の用語でいえば形式的憲法)がないだけで、憲法(東大憲法学の用語でいえば実質的憲法)はあります。条文だけが憲法のすべてだと思っている人が多いのですが、条文は念のため忘れちゃいけない事を強調したただの確認であり、憲法とはその国の歴史そのもので国体の事です。イギリス憲法は、条文が一切なく実質的憲法だけがあります。それがイギリス憲法です。
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「イギリスの植民地支配と日本の植民地経営を比較している」んだよね?



だったら, 「オランダだってバンドゥン工科大学作ってますし」は全く関係ないよ. あと「イギリスだってそこそこやっていたんじゃないのですか?」って聞いているようじゃダメだなぁ.
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そもそもイギリスやオランダの植民地と日本の「植民地」を同列に見ること自体間違っています。


日本は具体的に言うと、統治した台湾や朝鮮を日本にしようとしたのです。
日本にして国民一人一人の教育レベル全体を底上げしたのです。
だからこそ台湾も韓国も近代産業が発達したし、文盲も非常に少なくなりました。
人口も統治初期から日本敗戦の1945年との比較で言うと、それぞれ2倍以上に増えています。
これは日本統治の賜物です。
北朝鮮(というか朝鮮半島北部)は日本統治時代は暮らしも良くなりましたが、彼らが海外からやってきた馬鹿な指導者を
選んでしまったばかりに、地獄に落ちました。自業自得というものです。南が馬鹿なのも彼らの責任です。
日本は韓国が北朝鮮にならないように朝鮮戦争では犠牲者まで出して韓国を支援したにもかかわらず
「日本は韓国を踏み台にして経済発展した」などと言っています。
半島はどうしようもない馬鹿ばかりです。今も馬鹿なのはいうまでもありません。
ちょっと話がそれました。

一方、欧米は単に植民支配をしただけです。
支配地の人間を搾り取って得たものを少数の白人や本国が掠め取ったのです。
欧米人が高等教育を授けたのは、植民地の人間を支配する現地人リーダーを育てるためです。
白人が直接鞭打つなど手を汚すより、現地人を手先として育て、現地人を支配させたのです。
したがって、現地人は一握りのエリート以外は家畜並みに扱われています。
家畜並みと言いましたが、まさに言葉を理解する家畜としてこき使ったのです。
かつての欧米の植民地で戦後、近代産業の発達した国が一つでもあるでしょうか?
一つの例外もないですね。

国民一人一人を丹念に教育して育てるのと、ごく一部の人間だけ高等教育するのとでは
かかる金も手間も雲泥の差です。
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