プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

このカテが適当か迷ったのですが、お願いします。

日常私たちは、中国籍の人たちを 「中国人」 と呼んでいますね。  もちろん、彼ら自身も自分たちの事をそう呼んでいます。

そこで質問なのですが :

1.中華人民共和国だから、あるいは中華民国だから、中国人という呼び方をするわけだと思いますが、考えればこの二国家 (?) とも戦後に成立した国家ですよね。  とすれば、日本の終戦までは 「中国人」 という呼び方は、日・中双方とも存在していなかったのでしょうか?

2.戦前・戦中には、sina 人 (今では蔑称になっていますので、漢字表現は控えます) という呼び方もあったようですが、この呼称はいつ頃から使われるようになったのでしょうか?

3.上の2に挙げた呼称を使うようになる以前は、当時の人たちは、中国を支配していた帝国の国号をとって、清国人とか明国人とかの呼び方をしていたのでしょうか?

ふと疑問に感じましたので、お教え下さい。 なお、差別的なご意見は何卒ご遠慮願います。

A 回答 (6件)

縁あって中国関係の仕事その他に携わっている者ですが、知っている限りの範囲で客観的に大雑把に以下・・・



>「中国人」という呼び方はいつから始まったの?
・つい最近のことですよ、長い歴史から見れば。中華という概念は有りました、以下。

1.数千年間のいわゆる中国人達の認識では(仮称で)中国は一つの天下、つまり'華'であって国家(country)ではありません.
中国人から見れば自分のところ以外に国は存在しないという概念です。そういう理由でいわゆる中国には、二十世紀初頭まで国名が有りません。王朝名は有りました。現在の国名にも華の字が含まれて要るのはその片鱗です。

大陸の最後の'清'王朝(1616-1911)は他国の者が勝手に'大清帝国'と呼んでいました。1842年アヘン戦争に敗れて南京条約を締結した際に「大清」と著名してるが仮の国名です。一応本名は'清'です。その後1912年から中華民国になりました。そして1949年10月1日目出度く中華人民共和国が成立しました。そのときになって中国という言語が決定的に定着しました。略称です。付随して中国の民を中国人と言いました。したがって自称他称として中国・中国人の呼称が定着するようになったのはこの頃からです。

古代日本明治大期まで、中国を呼称する場合'唐''宋''漢'明'清'の国として学校で習ったと思います。以上は、日中(台)双方少なくても1912以前は中国と言う言語が存在していなかった理由です。

2.いつからかは不明ですが、支那という言語は華人自身になる中国の文献その他にたくさん出てきます。蔑称でも何でも有りません。蔑称を自国の国語辞典に載せるでしょうか。支那の意味として、古代にインド・ギリシャ・ローマなどで中国に対する呼称、秦qinの転訛と・・・有ります。わが国に対する蔑称との断り書きも有りません。過去の歴史上、日本人だけには支那と言って貰いたくないと言うのが本音だと思います。

インド・マレージア・カンボジャあたり全体をindo-chinaと言ってます。qin がshina になり、chinaの語源と言われています。明治大正期期に大勢の大陸人が日本へ留学に来ました。国名が一般人民に定着流布していなかった頃の彼等の旅券・入校申請書などにはNationalityの欄に秦・清・華・北京・Shin・Chinaなどと記入していたそうです(山夏の本?より)。台湾から来た留学生はFormosa(麗しの地の意)だったらしいです。

3.数千年の歴史途上で各時代の人民は仮に自国を呼称するときにそのときの王朝名で言っていたと考えられます。尤も中国数千年の歴史は愚民・土族・土匪の歴史です(三国志演義などが好例)。ごく少数の天才が数億の愚民を治めていました。当時の一般大衆が自国の名称を知る必要も無ければ知る手立ても無かったと想像できます。歴史書や漢詩などを書く文学者の間ではそのときの王朝名で表します。

蛇足;
中華とは文化の中心の意味です。ひいては宇宙の中心。所謂中華思想の根源です。中国の周辺国はすべて中国に対する朝貢を要求されました。逆らう国はことごとく侵略され悲惨な末路になったのはご存知だと察します。雲南・西蔵・内蒙古・新疆は堕ちてしまいました。これがいわゆる中国の領土拡大思想です。日本も数百年前もし'神風'が吹かなければ中国の一部になっていた状況です。最近は西南諸島・尖閣列島まで俺んちだ言い張ってきましたね。

1900年頃以前は、中国から見れば日本は華外の地で、魑魅魍魎・蛮人・化け物の住む場所でした。'東洋'と呼ばれていました。本当の意味は東の端の死人の要る所です。今でも東洋と言ったら日本国のことです。

以上、概略です(^^♪。
    • good
    • 2
この回答へのお礼

詳細な解説、本当に有難うございました。 やはり、中国・中国人という呼称は戦後生まれたのですね。 sina という呼称については、とても複雑な背景がありますね。 それと、「東洋」 という呼称は、中国人の前ではウッカリ使えませんね。 勉強になりました。

お礼日時:2004/08/12 11:21

大体出尽くしているようですが。



江戸時代は 唐人 と日本人は呼んでいました。
その前 戦国時代も
http://www1.cts.ne.jp/~fleet7/Museum/Muse023.html
唐人町が 各地にあったようです。

参考URL:http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/ajisai/1/2 …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 きっと当時の唐人に中国人と言っても、??だったのでしょうね。

お礼日時:2004/08/12 11:23

#2補足追加


URL 開かなかったとのこと。
中国 - Wikipedia
をgoo、YAHOO検索エンジンにかけてみてください。ヒットするとおもいます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

拝見致しました。 ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/11 14:29

直接の答えではありあませんが


中華民国樹立は1912年ですから日本では明治の終わりごろですから戦前(第二次大戦)より前にありました
共産党政府の中華人民共和国は1949年ですから戦後です
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご指摘、有難うございました。 おっしゃるとおりでした。 失礼致しました。

お礼日時:2004/08/11 13:47

中国の国名に関するかなり詳しい記述が下記URLにあります。


中国 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/中& …›½
参考URLより一部抜粋
1〔中国〕中国は「国の中心」を意味し、古くから漢民族によって自分たちの居住する地域を指す語として用いられてきた
2〔中華〕本来「華」は「夷」や「戎」などの蛮族に対して、優れた文化を持った者を意味し、
「中心の国に住む優れた文化」という意味の「中華」や、その持ち主という意味の「華人」という呼称が生まれ、中華人民共和国・中華民国の国号や「華僑」という言葉はこれに由来している
3〔秦〕漢字圏以外からは、古くは秦に由来すると考えられるチーナ、シーナという呼称が一般的に用いられ、古代インドではチーナスタンとも呼んだ。これが仏典において漢訳され、「支那」「震旦」などの漢字をあてられる。日本においては、江戸時代末期に、清を指して「支那」と同じ語源を持つとされるChinaなどの訳語として、言わば逆輸入語として仏典から復活し、広く使われるようになった

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/中& …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 ご紹介頂いたサイトは開けなかったのですが、いずれにしても、sinaとは中国人自身が漢字を当てていたとは驚きです。 今まで何となく日本人が勝手に呼称を考案し、使用するようになったとの印象があったものですから。 中国人は色々な意味で本当に複雑ですね。

お礼日時:2004/08/11 13:46

1.はわかりません。


3.はおそらくそうだと思います。

2.については、下記などを参照してみてください。元々は「秦」です。

参考URL:http://kan-chan.stbbs.net/word/pc/sina.html
    • good
    • 0
この回答へのお礼

興味深いサイト、有難うございました。 中国人に対する呼称に関しては、複雑な歴史的経緯があるんですね。

お礼日時:2004/08/11 13:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!