痔になりやすい生活習慣とは?

第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こった理由、それぞれの国の目的、現在の国の間の関係(友好か?)をなるべくわかりやすく教えて頂きたいです。
簡単に、ざっとでいいのでお願いします。

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A 回答 (1件)

互いに国民の支持を集めるために拳を振り上げたが良い感じの落としどころが見つからないうちに


互いの国民が短絡的な愛国心に煽られた結果分別を失い
ブレーキの効かない機関車のように戦争へと突き進んだ

そんな事で?と思うような事が巡り巡って大規模な戦争に陥るという痛い教訓
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Aベストアンサー

>キャノンが世界初!ならありえますね。

キャノンが世界初でなければ、もっと可能性は高いですよね。
でも、NO10さんの言う通り、ピント固定方式であった可能性の方が高いでしょう。

日本でも固定焦点式のカメラが1986年頃から大衆向けに安価に売り出されています。
構想から大衆向けの商品になるまでに、10~15年位かかっても不思議はないと思いますよ。
NASAは国家威信をかけた事業であった筈ですから、費用は青天井だったと思います。

Q北方領土はいつに何の戦争で取られたんですか?

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え・・・ しっかり 勉強して
     普通になりなさい

     小学生でも知っとるわ

QF.ルーズベルトは、なぜ、日本に嫌悪感を持っていたのか?

アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領が個人的に中国に親近感をもち、日本に嫌悪感を持っていたのが、日米戦争の遠因になりました。なぜ、中国に親近感をもち、日本に嫌悪感を持っていたのでしょうか。

Aベストアンサー

宋三姉妹、特に蒋介石の妻であった「宋美齢」
の影響が強かったと言われています。

宋美齢は親中派のフランクリン・ルーズベルト大統領やその妻
エレノアと親密な関係を構築し、
日中戦争から第二次世界大戦に至るアメリカの対日政策に
大きな影響を与えたといわれる。
(wikより抜粋)

日本は宋三姉妹に負けたようなものだ、と評する
専門家もいるぐらいです。



フランクリン・ルーズベルトはオランダ出身で、「有色人種への差別が格別に強かった」と、ニューヨーク州ハイドパークの大統領私邸で会談した英国のロナルド・キャンベル公使は本国に書き送っている。キャンベルが、この会談の席上、ルーズベルトから打ち明けられたのが「劣等アジア人種」の品種改良計画だった。

「インド系、あるいはユーラシア系とアジア人種を、さらにはヨーロッパ人とアジア人種を交配させ、それによって立派な文明をこの地に生み出していく。ただ日本人は除外し、もとの島々に隔離して衰えさせる」

Q三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦

三国志のコミックスを読んでいるのですが、何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。
そこで気になったのですが、当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??
また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所と考えてよろしいのでしょうか?
どなたか詳しい方に教えていただきたいです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それすら両陣営ともやや盛った数なので十万に届いていたかどうか。

>何十〜100万の兵
この数は当時の人にとってはSFファンタジー設定でした。
近代の戦争でやっと兵数「数十万」規模の戦闘が記録に登場します。古代と現代の人間の数がこれだけ違うことを考えれば、十万~100万の兵数がいかに思い切った架空設定であったか理解できるはずです。
あり得ない数で架空のお話を創って当時の観客を驚かせたのでしょう。なんでも派手なほうがエンターテイメントとして客を呼べますからね。

なお小説やコミックの『三国志』は三国時代以降に民間で演じられた舞台劇をもとにしたフィクションです。
小説家やマンガ作家の中にも現実を全く学ばずに書いている人が多いですから、あまり本気に受け取らないことです。


>また三国志に登場する「城」と呼ばれるものは「キングダム」で描かれているような民間人も暮らすような場所

他の方が回答されている通りです。
日本的に言えば「都市」「街」です。
城を攻略することはすなわち街を攻略することになります。
「●●城が陥落した」という表現があれば、日本では「江戸が陥落した(江戸城ではなく)」というイメージになります。

>当時の中華にはどれほどの人口がいたのでしょうか??

現代日本のように正確な戸籍がなく、また全ての人が役所に登録していたわけではないので正確な人口はわかっていません。他の回答者の方が仰る通り3000万人~5000万人と推定するのが妥当でしょう。

>何十〜100万の兵で侵攻を開始したといった、とても大規模な戦争が多く行われていますよね。

コミックや小説などの描写はたいてい嘘なので本気にしないでください。
最大規模の戦闘となった赤壁戦で両陣営合わせて十万を少し超える兵数です。それす...続きを読む

Q江戸時代~明治時代の苗字に関して

江戸時代に公家や武家以外の一般の人々は苗字を公称できなかったと言っても多くの人が実際は苗字を持っていたそうで、明治時代になるとその苗字を使用したという話を聞きますが明治時代になってから苗字を付ける際に制約というのは特になかったのでしょうか?与謝野晶子の与謝野家はもともとの苗字は与謝野ではなかったそうですが、特に制約らしい制約は存在しなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

江戸時代に苗字御免の人や武家以外の人は名字を公称できませんでした。持っていなかったのではなく公的な場(あるいは文書)で使ってはいけなかったのです。私的な範囲ではどこまで使われていたか正確にはわかりませんが小生のまわりで言えばまず墓があります。「俗名 竹蔵」の脇にやや小さめの字で「田中姓」のように書いてある墓がいくつもあります。「田中竹蔵」と一行に書くと苗字を唱えたことになり御法度だつたのでしょうね。
日記帳などの私的な帳面でも使われています。持ち主を示すためと思いますが裏表紙に「田中氏」のように書いてあることが多いです。
江戸時代は何かあると証文を書きました。それにはハンコを押しますが基本的に苗字が彫ってあります。古文書の研究者の話ではどう考えても田中姓のはずなのに山本というハンコが押してあることもあるそうです。
領主が特別に苗字を許可する場合その旨を伝えるだけでどんな苗字にするかは指定しません(特別に文字や苗字そのものを与える場合は別)。
一般人が公称できるようになるのは明治3年9月からですが、苗字は公的にはなかったわけですから変えるのも勝手。どんな苗字にしようと制限はなかったようです。中には永く使わなかったためにわからなくなった人もいたでしょう。こんな人は新たに作ったでしょうね。
商人は「伊勢屋」「越後屋」などの屋号を使いました。苗字が使えないためのささやかな抵抗だったかもしれません。屋号は農村などでも使っています。本家を「元屋」、東の方へ分家すると「東屋」とか。まわりに同姓の人が多いと苗字では区別できず名前か屋号で呼び合わないとややこしかったのです。

#1の方、失礼ながら、
國定忠治の本名は長岡忠次郎。笹川の繁蔵は岩瀬繁蔵。清水次郎長は山本長五郎。日本左衛門(日本駄右衛門)は濱島庄兵衛。というわけでヤクザでも苗字があります。
なお石川五右衛門の本名は古過ぎてわかりません(豊臣秀吉の頃の人)。

江戸時代に苗字御免の人や武家以外の人は名字を公称できませんでした。持っていなかったのではなく公的な場(あるいは文書)で使ってはいけなかったのです。私的な範囲ではどこまで使われていたか正確にはわかりませんが小生のまわりで言えばまず墓があります。「俗名 竹蔵」の脇にやや小さめの字で「田中姓」のように書いてある墓がいくつもあります。「田中竹蔵」と一行に書くと苗字を唱えたことになり御法度だつたのでしょうね。
日記帳などの私的な帳面でも使われています。持ち主を示すためと思いますが裏表紙...続きを読む

Q第一世界大戦が起こった理由を簡単に教えてください

第一世界大戦が起こった理由を簡単に教えてください

Aベストアンサー

事は、英国の産業革命にまで遡ります。

これで独仏などの他のヨーロッパ諸国が
焦りまして、英国に追いつけ、追い抜けという
競争が始まり、
それが帝国主義へと発展しました。
追いつかないと侵略されるからです。


※帝国主義(ていこくしゅぎ、英語: imperialism)とは、
一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを
拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために
、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、
さらにそれを推し進めようとする思想や政策。


その過程で、ドイツは、隣国のフランスを孤立させるために、
オーストリア・ハンガリーなどと同盟を結びます。
イギリスはドイツの進出に脅威を感じ、それに対抗するため
フランスやロシアなどと協定を結び、後に連合国を形成しました。
こうして、ヨーロッパの列強は二つに分かれて対立していきました。

そうした中で、オーストリア・ハンガリーの帝位継承者夫妻が
セルビア人の青年に暗殺されるという事件が起き、
これがきっかけで第一次大戦が始まりました。

米国は当初は中立だったのですが、ルスタニア事件を
口実に参戦し、英仏に味方しました。

英仏に味方したのは、イギリスやフランスが負けると、
大量の貸付が焦げ付くことになり、資金の回収が困難になるからです。
第一次世界大戦では、ドイツに勝ってもらうよりは、
イギリスやフランスに勝ってもらう方がアメリカには
都合が良かったわけです。
この戦争で米国は大儲けをして、一躍世界一の
大国に躍り出ることになりました。


※ルシタニア号事件.
第一次世界大戦中の1915年、ドイツ軍の潜水艦が
イギリス客船を撃沈した。
多数のアメリカ人乗客が犠牲となったため、
アメリカが参戦するきっかけとなった。

事は、英国の産業革命にまで遡ります。

これで独仏などの他のヨーロッパ諸国が
焦りまして、英国に追いつけ、追い抜けという
競争が始まり、
それが帝国主義へと発展しました。
追いつかないと侵略されるからです。


※帝国主義(ていこくしゅぎ、英語: imperialism)とは、
一つの国家が、自国の民族主義、文化、宗教、経済体系などを
拡大するため、あるいは新たな領土や天然資源などを獲得するために
、軍事力を背景に他の民族や国家を積極的に侵略し、
さらにそれを推し進めようとする思想や政策。


その過...続きを読む

Q日中戦争とはどんな戦闘だったのですか?

太平洋戦争なら米軍が詳細にビデオや写真で記録を残しているし、海上でも陸上でも戦史に残る戦闘をを繰り広げました。時系列に整理して3年8ヶ月の戦争が理解できるのですが、それに比べて日中戦争はどのような戦闘だったのでしょうか? ゲリラ相手の掃討作戦みたいな戦闘ですか?

Aベストアンサー

>ゲリラ相手の掃討作戦みたいな戦闘ですか?

はい、概ねそうです。
中国軍は連合軍の一員でしたから武器の援助を受けて結構立派な武器をもっていることがありました。とくにチェコ製の機関銃は威力がありました。当時世界最強と言われた機関銃です。これにかなりの数の日本兵が撃たれたようです。

しかしながら日本軍は、軍隊としての統率がとれており、愛国心もあり、責任感もありました。武器においても前述の例外はありましたが、中国軍より全体的にすぐれておりました。

中国軍は士気は低く、上官は兵士をけしかけるだけ。不利と見るとすぐ退却しました。主として広い国土を利用した作戦でした。首都を重慶に移しどんどん逃げました。ただし、都市部では便衣兵が日本軍を悩ませました。便衣兵とはゲリラのことです。一般人との区別ができないので便衣兵と便衣兵をかくまっていた民間人が殺されました。
いわゆる南京虐殺30万の嘘はここから出ました。

虐殺というからには軍隊対軍隊の尋常の勝負ではなく、
投降した兵士や民間人を殺した場合を虐殺と呼びます。
日本軍は軍服を着ていない便衣兵やかくまった者を射殺しました。
中国は300人程度の便衣兵が殺されたことを千倍にふくらませて南京大虐殺という嘘をついています。

>ゲリラ相手の掃討作戦みたいな戦闘ですか?

はい、概ねそうです。
中国軍は連合軍の一員でしたから武器の援助を受けて結構立派な武器をもっていることがありました。とくにチェコ製の機関銃は威力がありました。当時世界最強と言われた機関銃です。これにかなりの数の日本兵が撃たれたようです。

しかしながら日本軍は、軍隊としての統率がとれており、愛国心もあり、責任感もありました。武器においても前述の例外はありましたが、中国軍より全体的にすぐれておりました。

中国軍は士気は低く、上官は兵士を...続きを読む

Q戦争が進むと日本軍に独立部隊が増えるのはなぜ?

日本の戦史を見ていて気づいたことが有ります。旧日本軍では師団に属しない部隊は頭に「独立」がついて独立部隊と呼ばれます。日清日露戦争では独立部隊は少なく、砲兵旅団とか騎兵旅団が少しある程度でした。しかし日中戦争あたりから混成旅団などで独立部隊が増えだし、太平洋戦争では独立混成連隊・独立歩兵大隊・独立速射砲大隊・独立戦車中隊など独立部隊がどんどん出現し細分化されていきます。師団を離れた小兵力の部隊が増え続けた理由は何なのでしょうか?

Aベストアンサー

師団では戦闘単位として大きすぎるようになってきたからではないでしょうか。

師団はそもそもそれ単独で方面の戦闘行動を継続できる諸兵科連合の戦闘単位であり最小の戦略単位です。
ところが、師団では大きすぎて小回りがきかない場合というのが往々にして発生するようになってきます。
そこで必要な戦域に必要な戦力を投入するために師団の隷下に属さない独立部隊が増えていったわけです。

同じような事はヨーロッパでも起きていますよ。
ドイツ軍の重戦車大隊はほぼ独立部隊として各戦域を転戦していますが、まさにこれがいい例でしょう。

参考程度にどうぞ。

Qヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

ヒトラーはどれほど馬鹿だったのですか。

Aベストアンサー

総統閣下は馬鹿では無いです 、当時のアメリカのニューディール政策に相当する国家公共事業を、一人で考案しました。

労働者の待遇を良くする為、劣悪だった職場の衛生管理を整え、仕事に対しての余暇を充実させました。

戦争が無ければドイツの労働者家族は、フォルクスワーゲンに乗ってアウトバーンを走り、海岸のリゾートホテルに宿泊して充実した休暇を過ごしていたはずです、あるいはブレーメン号やオイローパー号のリゾート船に乗ってクルージングを楽しんでいたでしょう。

色々な方向から総統閣下の事を調べると、必ずしも愚か者では無いと解るはずです、なにせノーベル平和賞にノミネートされたぐらいですから。

Q元号と西暦は同日でもどうして一月程の差があるのですか?

元号と西暦は同日でもどうして一月程の差があるのですか?

また過去に元号の日付で起こった出来事(例えば戦争や天災)は

今の現実には西暦の日付に起こったと言う事でしょうか?

また明治時代近辺で、調整されてる様ですが、何がきっかけで

そうなったのでしょうか?

Aベストアンサー

もう少し、暦全般について調べたほうが良さそうですよ。興味があるなら、なおさら色々と知れて面白いと思います。

基本的に暦には、暦法と紀年法があります。
暦法とは、いつを1年の始まりにして、月をどうして、といったことを決めているものです。地球の文明のすべての暦に”月”があるのは、ある意味不思議でもありますが、”年”より”月”のほうが身近だったようで”月”から決められることも多かったです。太陰暦と呼ばれます。すぐに”年”の周期にも気づきますので、月ベースで年を決めるのが太陰太陽暦、年ベースに月を割り振るのが太陽暦です。
太陽暦も古くエジプトで紀元前何年だったか忘れましたが採用されている例があったと思います。今の西暦と呼ばれるものも太陽暦ですね。ローマの暦が元になっていますが謎な部分も多いです、カエサルなんかも確か大改革をやってたりします、調べてみるのも面白いと思います。
太陰太陽暦は中国で長らく使われており、これが日本にも入ってきて江戸時代まで使われていました。1年の春分・夏至・秋分・冬至を基準に24分割して、冬至と春分の丁度真ん中を年の替わりとしますが(実際は冬至を11月として1月を決めてたらしい)、月の満ち欠けベースで日にちをカウントするので、1月1日はいつも新月です。中国では国としては西暦を使っていますが、人々は昔から長らく使われてきた太陰太陽暦を元に新年を祝ったりします。これは西暦が人為的に決めたものに対して、太陰太陽暦が月や太陽の運行といった自然を元に決められているものであることも、その理由にあると思います。

紀年法は暦法とよく混同されますが、今年が何年というのをどこを基準に数えているかというのを決めているものです。西暦はキリストの誕生年であることが有名ですね(算出を間違えていることでも有名ですが)。上記のローマの暦は、もちろんキリスト誕生前、つまり紀元前から使われています。当時はローマ暦で、基準は知らないですが、執政官か何かを基準に〇〇何年みたいな感じで、しかも干支のように何年かで元に戻るので研究者では記録が1周期前か後かで論争になってたりもするようですが、それはともかく、暦法で書いたローマの暦と紀年法としてのローマ暦を混同しないでください。暦法としてのローマの暦はずっと使い続けられ、10世紀ころからキリスト誕生年基準の西暦という紀年法が広まって今の西暦となっています。

昔の日付については、当時その場所(国)で使われていた月日に、西暦に直した年で記述するのが一般的です。例えば元旦の出来事を西暦の月日に直すと、2月の何でもない日の出来事になってしまって訳が分からなくなることもあるためです。


ざっとさわりですが。
あと日本に西暦が導入されたときの混乱の話とか、たぶん他の人が面白く書いてくれると思うので任せます(あるいは自分で調べてみてください)。

もう少し、暦全般について調べたほうが良さそうですよ。興味があるなら、なおさら色々と知れて面白いと思います。

基本的に暦には、暦法と紀年法があります。
暦法とは、いつを1年の始まりにして、月をどうして、といったことを決めているものです。地球の文明のすべての暦に”月”があるのは、ある意味不思議でもありますが、”年”より”月”のほうが身近だったようで”月”から決められることも多かったです。太陰暦と呼ばれます。すぐに”年”の周期にも気づきますので、月ベースで年を決めるのが太陰太陽暦、年ベース...続きを読む


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