プロが教えるわが家の防犯対策術!

人の顔には目と耳と鼻と口と頭があります。
目で見たものは感じたことなのでしょーか、それとも頭で考えた結果なのでしょーか。
耳に聞こえるものは感じたことなのでしょーか、それとも頭で考えた結果なのでしょーか。
鼻で嗅いだものは感じたことなのでしょーか、それとも頭で考えた結果なのでしょーか。
口で噛んで味わったものは感じたことなのでしょーか、それとも頭で考えた結果なのでしょーか。
果たしてこれらのものは感じるものなのか、考えた結果なのか区別ができるのですか?
思考を停止し全く考えることなくものを見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり出来るものでしょーか。
感覚は一切の思考と分離して単独で存在しうるものですか。
純然たる感覚は単独で成り立つものでしょーか。
逆も然りで、
思考は一切の感覚と分離して単独で存在しうるものですか。
純然たる思考は単独で成り立つものでしょーか。

A 回答 (6件)

目で見て感じて 何かを考える。


マスクしたら 感じる事も考える事もできない。
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目で見たものは感性で受容しています。


受容した情報を悟性にて分類し、理性にて推論に利用することができます。

感性・悟性・理性ともに頭脳がつかさどる機能です。
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ついこの間 若い女性のソーシャルワーカーの方と面談する機会


がありました。

初めは マスクを顔いっぱいに掛けていたのですが 目を見ると
きれいなんですね。その耀きにおどろいた。

といったわたしの反応を察知してかどうなのか かのじょは マ
スクを取ってくれました。

いやぁ すごい。まれに見る美形。三十歳前だとも思うのですが
それからは なかなか真正面から見ることができない。

しかも――暑いのに窓が閉まっていたということもあるのですが
―― 額に汗が出て来てしまった。

         *

さあ。さてさて わたしの慌てぶりは 感覚の問題か? 思考の
それか? あるいは ほかに原因があるか?


分かっていることとしては:
目で見て おどろいたのです。
美形を視覚におさめたため あわてふためいたのです。

その結果 思考をしたというよりは 思考がまとまらなくなった
という思考の問題もあります。

そしておそらく汗をかいたのは 気温とそして血の中の何かが活
発に動き出したという要因もかかわっているでしょうが 汗をか
いたり あるいは顔を赤らめたりするのは 果たしてどういう原
因によるのか?

感覚や思考をも超えた《非思考の庭》における――われにとって
あずかり知らぬ――何かがはたらいて 赤面をしたりするのでは
ないだろうか?


        *

三つの要素・要因を挙げました。
相対的にですが それぞれは 独立しているでしょうね。
しかも 同時にはたらくとも言えるのでは?
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この回答へのお礼

>三つの要素・要因を挙げました。
相対的にですが それぞれは 独立しているでしょうね。
しかも 同時にはたらくとも言えるのでは?

見て、考えて、想像した=「非思考の庭に入った」ってことです。
これで非思考の庭が何か自分でも分かったのではないでしょーか。

お礼日時:2017/05/13 02:36

見たものはそこに存在するということで、脳の作用とは関係ありません。


そこにあるはずのないコップがあったら、見えないのでなく、見て驚くでしょう。驚くのは脳の作用ですけどね。
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「見る」という事を、視角=光子の受容に限定するならば、


そこにあるコップを見ているという事は、コップが網膜に
届いている訳ではなく、網膜表面上での量子(=光子)
相互作用パターンに対して、過去の五感の相関した感受
経験の蓄積から、類似経験の生理的感覚を励起させている
=そこに行けば何が起きるか(直接的(生理的)な経験)を
予測する事が、空間(遠隔感)を生んでいるのです。

その意味(過去の経験の参照)では、純粋な「感覚」では
ありませんが、反射的な脳の機能という意味では「思考」
でもありません。
むしろ感受~認識を原点として、「感覚=自分の感覚器官
上の相互作用」や「思考=外部環境を独立したものとした
操作」が派生しているのであり、結果に原因をあてはめる
のは無理があります。
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哲学の領域ですね。


とりあえずカントの「純粋理性批判」をお勧めしておきます。
難しければリチャード・バックの「かもめのジョナサン」からでもいいかも。
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