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「哲学とは理論の整頓方式である」

こう表現した人がいました。
なるほど、本質をついている、と思いました。

つまり、この世界の、社会の、人間の「本質」とはこうである、と定めてそして
理論が組み立てられる、という言い方でいいと思います。

哲学以外の科学の目的は世界、人間の「本質」を解明することではありません。

ですから、哲学的問題を科学の基準で議論をしようとしても、結論が出る道理が
ないと考えられますが、いかがお考えでしょうか?

もう一点は正当な哲学的議論を可能にするものがあるとしたら(屁理屈、詭弁、牽
強付会でないこと)それは、どんなものだと考えられますか?

質問者からの補足コメント



  • BGM by野坂昭如

      補足日時:2017/10/06 21:50
  • ついでにトンチンカン

    「哲学とは理論の整頓方式」の補足画像2
      補足日時:2017/10/18 21:48
  • HAPPY

    「アンチ」がうるさい、これが嫌だったということが唯一の理由です。

    あなたとのやり取りについては、私があなたの言語である哲学としての「神学」を全く知らない
    という点があります(これは問題ですわね)。

    あなたが枠から出てこないということであれは、こちらから出向くしかないというわけです。
    これには少々の訓練が必要でしょう。

    広く社会に伝えるという意味で、この訓練は大変に価値的なものになるでしょう。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2017/10/22 12:10

A 回答 (22件中21~22件)

東洋哲学は重要だと思っています。


物事の本質を突いていると感じます。
科学を超えているとは感じています。

今の科学は「何故」を捨てて、「如何に」を追求して「再現性・数式性・論理性」で表す事に舵を切り、発達しましたから。

「何故」の部分には「科学」では答えられない範疇だと思います。

ここは、東洋哲学に頑張って欲しいです。
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この回答へのお礼

>ここは、東洋哲学に頑張って欲しいです

ああ、賛成です。

お礼日時:2017/10/08 14:04

前にも回答した様な・・・・。



「科学や数学、医学」も、かつては全部1くくりで哲学でした。

その「哲学」から「科学や数学、医学」が独立して巣立ってしまったから、今の哲学は「考え方を考える」ものしか残らなくなってしまった。

だから、当然と言えば当然の事です。
あえて言えば「脱け殻」。

それに正当を求めても仕方ない。

どうしても、屁理屈、詭弁になってしまう。

正当性の尺度は「科学や数学」に持って行かれてしまった。

今の哲学は「考え方を考える」途上ですから。
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この回答へのお礼

類似と言いますか、共通点のある質問はしておりますので、その時に回答
していただいたのでしょうか?

と言いますか、人々が物事の本質を考えなくなったので哲学が廃れ、本質
の部分を切り離された「科学」が「根無し草」なっていると思いますね。

結局、カントなどの哲学は理解されていないのではないかと思うようにな
りました。

西洋哲学も東洋哲学も、我々はしっかり勉強しないといけないのではない
でしょうか?

お礼日時:2017/10/06 20:43

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