人生最悪の忘れ物

自分自身と言う言い方がありますが、
何故自分➕自身一緒じゃないといけないとわかる方はいますか。

各自分・自身の意味を調べると結局、
自分の事と言う意味になりますから、
何か強調する為の表現ですか。

日本語の学習者であるブラジル人です。

宜しくお願いします。

#japannicecountry
#japaneseis difficultbut beautiful
#banzaijapan

A 回答 (4件)

自分のことだと、僕自身、私自身


相手のことだと君自身、あなた自身
三人称だと彼自身、彼女たち自身
など人称+自身でつかうことばです。
それを全部ひっくるめてその人の立場におきかえると「自分自身」になります。

彼は自分自身をかっこいいと思っている
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この回答へのお礼

たくさんの先生が見えてありがとうございます!
感謝、感謝!

お礼日時:2018/02/15 13:11

自身、自分の体(身、身体)。


自分の存在に対して、外部で得られる情報による判断?、等ではなく。
自分の存在にたいし、自分の内側で得られる情報(自分について自分だけが知りえる情報?)による判断等。
自分、だけでは客観的存在でもあるが、自分自身、は主観的存在とでも・・・?。
したがって君自身のことは他人である私には知る由もなし・・・てことになります。
ただし一般的には、ここまで細かく定義?して、使用されているかどうかは別問題です。
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この回答へのお礼

素晴らしいご説明です。
Obrigada! ありがとうございます。

お礼日時:2018/02/15 18:27

代名詞に「自身」を付けるようになったのは明治以降の流れのようです。

それ以前は「自身番」のように自分の身・財産の意味で使われました。これからは想像ですが、明治になって外国文学や思想を和訳するとき、自我の強烈な外国の代名詞を自我の貧弱な日本語に翻訳する表現上の工夫であったろうと思います。大体、代名詞 I you he she 自体適当な日本語が無かったので相当苦労しているわけです。例えば「私」は本来「公」に対する意味で、つまらない個人的なことの意味でした。また「あなた」は元は「かなた」と言う遠い方角を示す意味でした。さらにはご提示の「自分」も「分」がつくので分かるように「身分」「分際」の意味が加わり卑下した表現です。この語感は現在も多少なりとも引き継がれています。
そうした中で明治の小説思想類で「自身」が現れるのは、西欧化の流れの中で自我の確立、「個人」の自覚が望まれたからですが、その傾向は今日でも生きていて、言葉の上でもどうしても自分を強調したい場合「自身」を貼り付けないと気が晴れない事になっているのでしょう。
一方で、「降る雪や明治は遠くなりにけり」中村草田男(昭和6年)懐旧の句ですが、「俺が俺が」の個人主義が跋扈する昭和、戦争の臭いのする昭和から振り返ると、そういう自我確立の流れが良かったのか悪かったのか、あるいはどこか取り違えて翻訳していたのか、と言う気持もします。

「自分」+「自身」という言葉は背景を考えるとなかなか深いものがあるようです。

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/96642/example/m0u/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
分かりやすいです。

お礼日時:2018/02/15 12:49

「自分」は一人称の代名詞のひとつです。

その自分を「再帰代名詞(a reflexive pronoun)」のように使う人があって、「myself」のように使うつもりで「自分自身」ということがあります。「君自身」とか「あなた自身」も言うことがあります。しかし、日本語では本来「再帰代名詞」は特に取り上げませんから、「自分」と言うことを強調した言い方と考えていいでしょう。
 古い言葉で「己を知る」というような言い方を真似たものと考えられます。
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この回答へのお礼

Muito obrigada.
ありがとうございます。
大変助かりました。

お礼日時:2018/02/15 12:49

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