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自分が何気なく言った言葉で人を傷つけてしまったり、怒らせてしまうことが多々あるのですが、これも発達障害の一種なのでしょうか?

先日病院に行った時の話です。薬を処方します、というところで

『どんな薬ですか?』

と聞いてしまいました。

先生は困惑した様子でしたが、処方する薬について丁寧に説明してくれました。

本当は【粉状の薬なのかそうでないのか】を聞きたかったのですが、咄嗟にその質問が出ませんでした。

医師の丁寧な薬の説明のあと、改めて「粉状の薬でしょうか?粉状の薬はどうしても飲むのに苦労してしまい、できれば錠剤にして頂けないでしょうか?」と口にしたら、

「だったら最初からそれを聞くべきです。どんな薬かと言われても困ります。質問の仕方が悪いです」

と言われました。

その後追加で『私が薬を作ってる訳じゃないから分からない。うちはメーカーと契約したものを出すだけだから』

と言われました。

話し方は冷静でしたが、かなり怒っている空気でした。

自分の無知にも恥ずかしくなりましたし(メーカー契約した薬を出していることを知らず、自分の希望を言ってしまったという意味で)、どうして訳の分からない質問をしてしまったのだろうと、本当に反省しました。

診察室を出る時、『ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした』と謝罪しましたが、無視されました。

そこまで医師を怒らせてしまったのかと、本当に申し訳なく思いました。



また、別の時の話になりますが、

母乳育児相談の名を掲げている所に行った際、

「母乳が出なくてとても悩んでいます。正直母乳をあげることが苦痛なんです」と口にしたら、

「そういう人の手助けはしたくない」と激怒されました。

自分は相談のつもりで言ったのですが、間違っていました。



思い返せばそういう、何気なく言った一言で、相手を怒らせてしまうことが多々あると気付きました。

こういうのは一種のコミュニケーション障害、発達障害なのでしょうか?


子育てで病院に行く暇がなく、今までうやむやにしてきました。

加えて今は基本的に家にいるので、人との接点がない分トラブルも少ないのですが、



今後子供が幼稚園に通うようになり、ママ友との付き合いがあったり、パートに出た時のことを考え、病院に通った方が良いのかと悩んでいます。

分かりにくい文章になってしまい申し訳ありませんが、アドバイスよろしくお願い致します。

A 回答 (19件中11~19件)

長い回答文なので、数回にわけてかいたもの。

 ーその2- ❹の部分

No.6です。 お礼文を読みました。
❶> うまく書けませんが、心のそこから生きるのがしんどい、です。
❷-1> 人を怒らせたい訳ではありません。不快にさせたい訳ではありません。
❷-2> けれど、どうしても、空気が読めず、他人と上手く付き合えません。
❸> この状況を打開するには、どのような対策があるのでしょうか?
❹> 病院に通うということに固執してしまって、どうも良い案が浮かんできません。
❺> 御教授願います。

④ 方策が一つしか浮かばないのは、まだ窮地から脱してないからです
サッカーでもバスケでも、(どのような状況にあろうと)シュートしか思い浮かばないのは、まさに窮地です。プレーヤーの位置や状況を見れば、いろんな手があることを思い浮かべられるのが、窮地を脱し平常のプレー状態にあるということです。 どのような状況にあろうが、何をしていようが、子供のことしか頭に浮かばない、恋人のことしか頭に浮かばない、がんの宣告を受けたことしか頭に浮かばない、今月の金策のことしか頭に浮かばない、酒を飲みたいたばこを吸いたいということしか頭に浮かばない、などは、まさに窮地にいるってことです。 
周りの状況を考慮したり、他からの情報に反応して自分の行動や思考が影響されるのが普通です。 そうしたことができずに、周りから遮断されて、状況に無関係に、いつも自分だけの世界で同じことを繰り返しているような症状を、ASD(自閉症スペクトラム)といいます。 
病的なASDではなくても、(状況に関わらず、現状にそぐわないような思考を繰り返して思い浮かべる)ことが頻繁に起きるようなら、強硬な対策も必要です。 
その強硬な対策でもいくつもあります。 一つしかないなどということはあり得ません。 
例をあげます。

1)思い浮かべた唯一の策・固執している策で、何がどのように変化するのかをできる限りしっかり調べたり考えたりする
例:ここでどうシュートするとどうなるか/ここでどの病院に通うとどうなるか
「病院に期待することは、病気なのかどうかをみてもらう、そして病気だった場合でもそうでなくても、社会でどのように生きて行けば、トラブルにならずに生きていけるのかを学ぶことにあります」 それって、病院に通うことで得られるようなものではないということはわかると思うのですが。 「きちんと診察を受け、これからの治療(生きづらさの改善)を進めて行こうと思っています」 それも、診察を受けて進めることができることではないです。 保険診療ではなく、自由診療であっても、トラブルを起こさず生きていく・生きづらさを改善することそれ自体は、診療行為の中には入りません。 認知療法・認知行動療法という分野があって、当人の行動や認知の仕方を変える方法をやっているところもありますが、その適用範囲は、うつ等の気分障害、強迫症/強迫性障害(OCD)、 社交不安障害、パニック障害、心的外傷後ストレス障害又は神経性過食症の患者です。 大人のASDがもたらす二次障害を軽減する方策をとってくれるところはありますが、ASDそのものの治療をしてくれるところや、トラブルにならずに生きていける対策・生きづらさの改善策を直接サポートするところはないでしょう。
《思い浮かべた唯一の策・固執している策ではどうにもならない》ということをしっかりと強固に思えば、《思い浮かべた唯一の策・固執している策》を頭から排除することにつながっていきます。

2)一般例を考えるか、調べてみる
例:シュート以外にパス、ドリブルや故意のプレーはたくさんあります。野球でも投手は、球種もコースも攻め方は多種ですし、三振だけを狙うことはなく、打たせてとるとか、敬遠もあります。 体が不調の場合でも、通院や入院ではなく、民間療法やサプリメント、各種健康法、さらには神頼みやそのうち治るだろうと我慢するというのもあります。 どれが一番イイというのが決まっているのではないです。 どれも駄目な場合もあるし、これが効いたがあれは駄目だったということもあります。 「今の私」から離れて、「一般例」を思うと、方策は多種類見つかると思います。 「病院に通うということに固執してしまって」は、「今の私に固執してしまっているのを止め、一般例に広げれば」改善されます。その固執から離脱できれば、結果として、病院に通うということではない方策も頭に浮かびます。 乳がん、子宮がんのような小さな異変が新たに発見された場合だって、既に肺がんでレベル4・入院3ヶ月目で体力低下も甚だしい状況になっていれば、今更ということになるでしょう。 一般例を考えるということは、自分の今に固執しているのを離れることそのものです。 自分の今に固執しているのを離れ、一般例を数多く考えていると、こころの狭隘さ、思考の枠が広がります。ゆとりの気分が少しでてきて、窮地に陥っている気分が緩和されます。「病院に通わないと!病院に行けば!」というような強迫的想いから逃れられます。 副次効果として、病院に行くよりも手軽で自分にも向いたものに気づく可能性もないとは言えません。

3)いいかげんさにもっと関心をもち、イイカゲンであることを積極的に許容します
例:自分自身のこれまでを振り返ってみるとか、友人や知人、親兄弟、学校の先生、アニメの登場人物などの言動や生き方をちょっと思い起こすと、いつも最適な行為をとっているのではないのがすぐにわかります。 失敗やトラブルは日常茶飯です。 医者の不養生、スポーツマンのけがや不調もあるし、子供は失敗の中で育つというくらい失敗が多いです。 政治家や役人、学校の先生にしても、ドジやミスを必ずします。恋人同士、夫婦でこじれたり不快に思ったことがない人などいないでしょう。親だって子育てをパーフェクトにはできません。近所づきあいにしても「あの人はなんだ!」と全く思われたことがない人などほとんどいないでしょう。それでも、みんななんとかやって行っているのです。学校は毎年卒業生を送り出し、病院は診療を続けています。 「適当・いい加減でも良いのだ!」とは思ってはいけないでしょうが、「適当・いい加減でもなんとかやっていけるのが実態だ・そうでなければだれもやっていけなくなる」という考えも大事です。 窮地から脱する強硬な対策とすれば、「いいかげんさを許容することの重要性」をしっかり認識することで、《病院に通うということに固執するのから離れられます》そして、いい加減な方策、適当にごまかす、とりあえずカラオケ、DVD鑑賞、部屋の掃除、服の入替整理、体躯を鍛える健康法、親や知人に久しぶりの頼りを書いてみるなどの、[病院に通うということ]以外のことをやってみることができると思います。
[病院に通うこと] ……………… これが良い結果をもたらすとは限らないし、良い結果をもたらすこともある
[病院に通う以外のこと]………… これが良い結果をもたらすとは限らないし、良い結果をもたらすこともある
だったら、[病院に通う以外のこと]も考えてみようということにつながる可能性がでてきます。
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この回答へのお礼

返信が遅くなってすみません。

私としては「どうして? なぜ?」という言葉を、原因が分からないからはっきりさせたい、という意味で使ってきました。

私は今までずっと同じ行動を繰り返してきました。気を付けても、原因が分からないから、また同じように人を不快にさせてしまう。
本当は人を傷つけたくないのに、思うように行きません。

そういう時は必ず、過去からヒントを得ようとしていました。
この行為がしんどさを強くしてしまう、という事なのでしょうか。

過去を振り返る事で解決策を探っているので、主軸が過去になっているのは事実です。

今回のような失敗に対する悔やみ等の気持ちを忘れるのはなかなか難しいですね。

繰り返し同じ事をやってしまっていると、ますます失敗が大きくなり、余計に忘れられなくなってしまいます。

結果、しんどさはどんどん、強くなってしまいます。

人と接する時にいつも必ず失敗すると思い込んでしまいます。

なんせ、今まで思うような結果になったことがありません。

人間として生まれた以上、誰とも関わらずに生きていくことは出来ませんので、
絶対に失敗する、という思いは常に付き纏います。

本当に生きづらい、です。

すみません、せっかくコメントを頂き、きちんとお返ししようと思い、ずっと内容を考えていたのですが、良い答えが思い浮かびませんでした。

私の知能が低いためです。申し訳ございません。

出来るだけ頑張って返答していたので、場にそぐわない言葉の羅列になってしまいました。繰り返し謝罪させて下さい。

現状、私は自分のことを発達障害である可能性は高いと思っています。

こうして yoreyoreさんが丁寧に説明して下さっていますが、どうにも言葉が浮かんできません。

これも障害の一つなのか、はたまた私の単なる知能の低さなのかは分かりませんが、これからやろうとしていることは明確です。

病院は障害を診断してもらうための機関で、ファーストステップにして行きたいと思っています。

ソーシャルスキルトレーニングを受けることも検討しています。

他にもまだやれることがあるので、色々調べています。

チグハグな回答になってしまい、本当にすみません。

お礼日時:2018/05/06 00:07

長い回答文なので、数回にわけてかきます。

 ーその1-

No.6です。 お礼文を読みました。
❶> うまく書けませんが、心のそこから生きるのがしんどい、です。
❷-1> 人を怒らせたい訳ではありません。不快にさせたい訳ではありません。
❷-2> けれど、どうしても、空気が読めず、他人と上手く付き合えません。
❸> この状況を打開するには、どのような対策があるのでしょうか?
❹> 病院に通うということに固執してしまって、どうも良い案が浮かんできません。
❺> 御教授願います。

お教えできるような知識や経験はないです。 しかし、私なりに思うことはあります。 それを下記に書きます。

① 「しんどさ」について
多くの場合、起きてしまったこと、やってしまったこと、起きてしまった感情のもつれや不満、生じてしまったトラブルを振り返るときに、「どうして? なぜ?」という想いが生じて、その想いが自分につらさやしんどさをもたらすようです。 「どうして? なぜ?」を文字通りに理解すると、理由や原因がわからないでそれをはっきりとさせたいというようにも解釈は可能です。 しかし、挨拶で「おはよう」「さようなら」「では、また」を文字通りに理解するのはまっとうなものとは言えませんよね。 クチから出てくる言葉にしろ、心の中でわきでてきた言葉にしろ、その言葉は文字通りの意味をもつものではなくて、ある気持ちの状態を表すためのその社会での共通的な定型句(フレーズ)である可能性が高いです。  「どうして? なぜ?」「どうすればいいの? どうしたらよかったの!」は、現代社会での共通的な定型句(フレーズ)としては、[困惑している・途方に暮れている]というときに使われるだけのものと考えてほぼ間違いはないです。 起きてしまったこと、やってしまったこと、起きてしまった感情のもつれや不満、生じてしまったトラブルを振り返って、自分で[困惑している・途方に暮れている]ことを示すフレーズ(どうして? なぜ?どうすればいいの? どうしたらよかったの!)を繰り返すことは、さらに困惑を高めて、自分をつらくするだけの結果をもたらします。 心のそこから生きるのがしんどいのは、やった失敗、起こしたトラブルが多いからではなく、(どうして? なぜ?どうすればいいの? どうしたらよかったの!)を繰り返し過ぎた結果だという可能性は高いです。

② なにをこころの中で想っているか
「人を怒らせたい訳ではありません」「不快にさせたい訳ではありません」「どうしても、空気が読めず、他人と上手く付き合えません」 これらは文法的には過去形や完了形ではなく、原型です。 なんとなく、現在から今後に向かっているような文にも理解できますが、そうとは限りません。 こころの中で想い起こしていたのは、(あのときも)という過去のことがメインになっている可能性が高いです。 明日誰かに会うときの場面を思い浮かべて、怒らせたい訳でも不快にさせたいのでもないと考えているケースはむしろまれです。 もしも、今後の具体的状況を想定して現実的な対策案を思考しているのではなくて、既に起きたこと・起こしたこと・トラブル・人間関係のこじれを「悔恨・悔やみ・無念」の気持ちも含めて、「釈明・弁明」の気持ちを込めて、怒らせたい訳ではなかった・不快にさせたい訳ではなかった・どうしても空気が読めず上手くなかったんだ!という想いを強く感じて、それを繰り返して言葉にしたりしているなら、そういうことは「しんどい気持ち」をされにしんどくするでしょう。 (しんどく・しんどいは「心労」が語源だという説もあります。心労でも辛労でも、難儀なことを繰り返しているから起きるのですから、繰り返さなければ、辛労にはなならいし、しんどいことにもならないのでしょう) 極端な例をあげれば、失敗しても、トラブルを起こしても、すぐにそれを忘れてのほほんとしていれば、馬鹿みたいに思われてしまうかもしれませんが、当人は気楽なもので、決してしんどくはなったりしません。 しんどさを作るのは、自分の心の中に何を繰り返して想い描いているのかによります。 肉体労働や強い緊張を必要とする仕事を続けていても、心の中で、つらい・いやだ・もうやめたいと繰り返し思っていればしんどさはひどくなるばかりですが、心の中で、そのようなことは考えておらず、うまくやることに集中してれば、しんどくなったりはしません。 しんどさを少しでも減らしたいのであれば、こころの中で思うこと、言葉にすることの内容に気を遣い、釈明・弁明・悔恨・悔やみの気持ちが混じっている「人を怒らせたい訳ではありません」「不快にさせたい訳ではありません」「どうしても、空気が読めず、他人と上手く付き合えません」などを忘れるようにしたらイイと思います。 また、もう起こしてしまった失敗やトラブルは今からどう悔やみ後悔しても、やり直しはききません。 過去のことを繰り返し思い起こすのはできるだけやめるようにした方がいいです。

③ 打開策とは個別のものです
サッカー、野球、ゴルフ、商売、借金の返済、どのようなことでも、打開策というのは[窮地に陥った状況]ごとに変わります。今の窮地はどのようなことなのかをはっきりさせることが打開策を探るために第一にやることです。
「この状況を打開する」という「この状況」とは何なのかを、自分で明確にするのが第一です。
そのしんどい状況は、「人を怒らせたい/不快にさせたい/空気を読みたくない/他人と付き合いたくない」という気持ちや、「人を和ませたい/愉快にさせたい/空気を読みたい/他人とうまく付き合いたい」という気持ちを抱くのやだから打開したいというのではなくて、たぶん「心のそこから生きるのがしんどい」ことが打開したい状況なのでしょう。 そして、生きるのがしんどいというこころの底の状態を作り出しているのは、繰り返して「悔恨・悔やみ・無念」の気持ちも含めて、「釈明・弁明」の気持ちを込めて、怒らせたい訳ではなかった・不快にさせたい訳ではなかった・どうしても空気が読めず上手くなかったんだ!という想いを言葉にしたりしていることにあるのです。 打開策は、そういう想いを振り払い、思わないようにすることです。 
大勢の前でしゃべる前に上がってしまい窮地に陥ったときの打開策は、上がったらどうしよう、上がらないようになりたい、失敗したくない、うまく話せるようになりたいという想いを振り払うことです。 借金の返済で窮地に陥ったときに「どうしよう、どうしよう」という想いを振り払うのが第一にやるべきことです。ゴルフでまずい場所にボールが行ってしまったときにも「どうしよう、どうしよう」という想いを振り払うのが第一にやるべきことです。 それが窮地を脱する打開策です。 窮地をでれば、平常心で事態に対処できます。 身体からも、こころからも、技能的にも、知的にも、普段の実力で対処が可能になります。
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この回答へのお礼

ご丁寧にコメントして頂きありがとうございます。

今返信をしようと思ったのですが、上手く返せそうもないので、時間をかけて返信させて下さい。

勝手ですみません。

お礼日時:2018/05/05 00:27

お医者さん側などのほうがどうかしてるのでは?、という意見(回答)が目立っていますが、残念ながら、私にはそうは思えませんでした。


コミュニケーションで相手から何らかの反応が返ってくるとき、その反応の原因を作ってしまうのはやはり、こちら側ですからね。

「相手から、自分が望んでいる回答や理解などを得る」、つまりは「相手から心地よい反応を返してもらう」ためには、こちら側にも一定のスキル(言動のふさわしさ)が必要になってきます。
たとえば、親しくなりたいと思うクラスメートなどがいて、話しかけようとするとき。
目には見えませんけれど、相手からも「あなたと親しくなりたい」と思われるための話しかけ方、などというものがあるんですね。暗黙の了解とでも言ったらいいでしょうか。
一般の人ですと、そういったことが何の苦労もなくできます。
ところが、あなたの場合は、おそらくはそうではないでしょう。
そういった場面に対してかなりの不安や恐怖を感じてしまうか、あるいは、逆に、不安や恐怖は全く感じないまま、自分が望んでいた結果とは真逆の反応を相手から返されてしまって困惑だけが残る‥‥。
そんな感じではないかと思います。
前者は社会不安障害、後者は自閉スペクトラム(アスペルガー症候群はその一種)といいます。
あなたの場合、おそらくはどちらかにあてはまる可能性も高いと思われるので、何らかの対処が必要になってくるとは思います。

はっきり言いますが、病院に出かけて診断がついたとしても、あまり意味はありません。
薬物療法も、ただそれだけで効果が著しく出る、というわけでもありません。
つまり、ご自身で「ご自身にとっての不利なコミュニケーション・パターン」を認識して、ある種の継続的な訓練によって対処方法を学習する、といった方法のほうが現実的になってきます。

そういった考え方に基づいて、実際、ソーシャル・スキル・トレーニング(SST)という心理治療が行なわれています。
いわゆる「大人の発達障害」の専門外来やリハビリプログラムが充実している昭和大学附属烏山病院(東京都世田谷区)のものが有名です(非常に予約が取りづらいのが難点ですが、全国各地から人が集まります。)。
SSTプログラムのイメージがたいへんよくわかる資料(PDFファイル)がありますから、以下のURLをごらんになってみて下さい(クリックして下さい。途切れているように見えますが、クリックできます。)。

http://goo.gl/iJbXkj または
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-1220 …

SSTを大人の方に対して実施している機関はたいへん少なく、現実には、ご自分で自宅で応用していただく場合も多くなっています。
https://decoboco.jp/contents/30 を参照なさってみて下さい。
また、https://cocooru.com/checks/3 もどうぞ(結果は、診断を確定させるものではありません!)。

どちらにしても、診断や病名・障害名の確定を目的にしてはいけません。
病院にかかる、ということがすべてではないのです。いわゆる「精神科通院」だけでは、むしろ逆効果になることさえありますよ。
なぜなら、「気づき」といいますか、心理的にあなたが学ぶ(コミュニケーションの時間の流れの各段階ごとに、ふさわしい応対のしかたなどを学んでゆく)ことで、さまざまなトラブルを回避できるようにしてゆくのが、現実の生活の中でいちばん効果が出ることなのですからね。
(No.6 さんもたいへん細かく書いて下さっていますが、言わんとしていることは同様だと思いますよ。)
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この回答へのお礼

ご返信ありがとうございます。

お医者さんの方がどうかしている、とは私も思いません。
だからこそ、この質問をしました。

ただ、私の論点が異なっていたために、他の方に勘違いをさせてしまった(この場合は医師が悪い、と思わせてしまったこと)、に申し訳なく思います。


相手を怒らせてしまった、自分が悪い、という感覚は、

〉コミュニケーションで相手から何らかの反応が返ってくるとき、その反応の原因を作ってしまうのはやはり、こちら側

というのを分かっているからです。繰り返しになりますが、原因が分からないために、何度も同じことをしてしまいます。

kurikuri_maroonさんのコメントが的確すぎて、かなり驚いています。

私は社会不安障害、と自閉スペクトラムの両方があるようです。

学生時代でいうとクラス替えなどが最も苦痛でした。

人との距離感が掴めない私は、初日から孤立。

それはどこへ行っても続きました。

社会人になってからが顕著でした。

確実に孤立、社会人の基本である報相連が出来ない、果てにはいじめに発展しました。

全て私が悪いと思っています。


以下、かなり偏りのある文章になることをお許しください。


他の方から、病気のせいにして楽しようとしてるとか、逃げにしかならないと言われましたが

発達障害という診断がつけば、なるほど、そうだったのかとスッキリします。

その後で、適切な職場探しがしたいのです。

発達障害かも?という状態だと、障害者支援が受けられないのかな、と思っているので。


SSTも受け、仕事含めできる限り普通に近い生活ができれば、と思っています。

診断名の確定はファーストステップかなと思っています。

実は現在不妊治療中なのですが、発達障害は遺伝する可能性が高いと聞きました。

このまま治療を続けて子供を産んでも、その子を不幸にしてしまうのではないかと悩んでいます。

更に発達障害である(私は確定だと思っています)ことを、家族および義理の母などに打ち明けるべきか悩んでいます。

夫は発達障害などの疾患についてかなり否定的な考えを持っているので、離婚になりそうです。

今後子供を1人で育てて行かなくてはならない不安(親権が取れれば)や風当たりが強いことなども考慮すると、立ち止まってはいられないですよね。

お礼日時:2018/05/04 14:55

質問文だけからは、相手のほうが神経質すぎると読み取れますが


質問文に明示されないその時の細かな状況があると思います。
質問者さんが気づいていない、ほかに相手を刺激するような言動があったかもしれませんので。
ただ、質問文からは、相手がノイローゼなだけで、
質問者さんは何も間違っていないように私には感じます
失礼な医者だな、やぶ医者は市ね
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

質問の内容が人を怒らせてしまったとばかり思っていたので、それ以外のことは質問文に書きませんでしたが、ご指摘の通り話し方や質問の内容が原因ではなく、それ以外のところにあったと確信しました。

みなさんがコメントをくださったおかげでやっとそれに気付けました。

なので私の質問文だけだと、失礼な医者だと感じてしまうだろうなと思いました。

勘違いさせてしまいすみません。

話は逸れましたが、インターネットで調べていたら、アスペルガーという言葉に出会いました。

私はその障害の特徴にほぼ当てはまります。

アスペルガー傾向もしくはアスペルガーであると、今は思っています。(IQは低いと想定できるので、カナー症候群かもですが)


勿論判断するのは医師なので、きちんと診察を受け、これからの治療(生きづらさの改善)を進めて行こうと思っています。

お礼日時:2018/05/04 00:57

No.4回答( kurikuri_maroonさん :2018/05/03 05:25 )に対するお礼(2018/05/03 10:57)を読みました。



風邪への処方薬は、対症療法=症状の緩和が普通です。
医師から風邪だと言われたときのことでも、そもそも外来診察に行ってどういうことを期待していたのでしょうか。重病でなければ服薬治療を勧められるのが普通です。粉薬が苦手であったにしても、粉薬の服薬方法はいろいろあります。熱やだるさ、鼻水、咳、節々の痛みなどでも、(風邪が原因で)対症療法の薬を飲むくらいなら我慢するという選択肢もあるわけですから、診察を受けるときには、自分の考えをそれなりに持っておいた方が、その場でオタオタして誤解を招く発言や行動をしなくて済むと思います。

発達障害でも、薬に期待されることは、発達障害そのものをなくすためのものではなく、発達障害の症状を和らげる効果です。和らげられる発達障害の症状とはどんなものかを考え、自分がなんとかしたいという症状とそうしたものがあっているかを考えることが大事になるとわかります。発達障害なのか、病院に通った方が良いのかというような程度で、行き当たりばったりの行動を起こすと、相手(医師)の言葉で触発されて発言し(「この患者さんは何しにここに来たのだろう?」)と思われかねません。仮に、「今後子供が幼稚園に通うことや、ママ友との付き合い、パートに出た時のことを考えて、私が病院に通おうかなとこちらを受診しました」と言ったら、医師はなんと思うと想像されますか。

コミュニケーションの上手/下手、流れがわかる/わからない、空気が読める/読めないというその場での対応のことではなくて、【①自分は何を望んでいるのかをはっきりさせる、②その望みには付帯条件などがあるのか、その望みがかなわなくてもしょうがないとあきらめる大事なことを持っていないかを自問する、③自分の望みを実現させるのにどのような方法があるのか、常識的な範囲でさらっと考える(医者やアドバイザー、薬や注射、我慢や特訓ばかりが方法ではないです)④医師、保育士、カウンセラー、学校の先生などに相談しようと思った場合には、その相手には何をしてもらうことが可能なのかを常識的な範囲で考える、⑤(①~④)で矛盾がないと思えたら、具体策を検討する(時間、金、距離、頻度、関係者の思い)、⑥夫や両親の気分や感情を悪くしないための配慮をしておく 】ことが、結構大事だと思います。

> 会話力はだいぶ落ちています。私の場合元々の会話力も乏しいので、更に悪化したような感じですが。

上記①~⑤がそれなりにできていれば、会話力やコミュ力、感受性、雰囲気を読み取る力は低くても、たいていは大丈夫です。
ただ、日本語の理解力はないと困ります。
A(英語や韓国語で説明されてしまっては、どうにも会話は成立しないし、相手の説明を無視したことをやってしまって怒らせることになる)
B(相手は日本語で説明しているのに、その内容が理解できなければ、結果として、相手を怒らせる)
Aならば、「言葉が理解できてないのだろう」という寛容な態度で対応してもらえますが、Bだと、「なんだコイツ」ということばかりになります。
日本語の理解力は実際の会話で上達させるのが良いですが、テレビドラマ、小説、絵本、アニメ、劇場映画のDVDを(同じものを4回、5回と読んで、見直して)その中の登場人物の台詞回しや情景描写を順番にそらでいえるほどになると、確実に日本語の理解力が上がります。

> 色々な人と接する機会が増えれば、会話力も多少なりとも上がるでしょうか?

そうとは限りません。 コンビニ店員、スーパーのレジなどを経験しても、料理店で接客員として働いても、会話能力が上がるとは言い切れません。 言葉というのは、時間の流れの中に存在するものという面があります。 字引・事典・マニュアルなどの中、インターネットのwebサイトの中にあるのは、(流れの中)ではないのが普通です。 「私は子供が好き」「子供は私が好き」「私の子供が好き」「子供の私が好き」は意味が違いますが、その言葉の発せられる前にどんなことが話されていたのかで、意味が全く違うことになるのも多いです。 そういう理解は、話す相手が多様であるという経験によって理解能力が高まるよりも、話の展開をじっくり味わったり考えたりしたりという経験によって理解能力が高まる方が多いです。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

今回病院に行ったのは、薬を処方されるのを前提に、「粉状の薬ではなくできれば錠剤にして欲しい」という希望がありました。

以前通っていた病院では、粉状の薬は飲み辛くないですか、と必ず聞いてくださるところなのでそのタイミングで返答していましたが、今回は聞くタイミングや発言が不適切だった為に、医師を怒らせてしまいました。その場の空気を読むことが全くできませんでした。

発達障害に関しては、特に薬を処方されることはないかな、という考えです。

ただ、以前から生きづらさがあり、その原因をずっと探ってきました。

病院に期待することは、病気なのかどうかをみてもらう、そして病気だった場合でもそうでなくても、社会でどのように生きて行けば、トラブルにならずに生きていけるのかを学ぶことにあります。

子供が幼稚園に通い始めると、どうしてもママ友達との関わりが増えます。

ここで何かトラブルになったら、自分ではなく子供に迷惑がかかる為、やはり病院に行って、専門の医師に相談するのが良いのではないかと思い始めたのです。

以前はカウンセリングや心療内科に行っていました。

またそこで色々相談して行こうと思っています。

社会での生きづらさを無くし、それなりに生きていく、ということが目標なのですが、

ご指摘いただいた6までの項目の答えが曖昧だなと、私自身でも思います。

結論から言えば、上記の6項目に関して真っ当な意見を述べることが出来ないのです。

だからこそ、社会でもうまくやって行けない、当たり前のことが出来ない、他人とずれている、結果、嫌煙されてしまうのです。

そのくせ、接客業ばかりを選んできました。

おっしゃる通り、コミュニケーション能力は少しも改善されず、トラブルメーカーとなり、ついにはいじめに発展しました。

接客には向かない、ということに気づいたのは本当に最近です。

うまく書けませんが、心のそこから生きるのがしんどい、です。

人を怒らせたい訳ではありません。

不快にさせたい訳ではありません。

けれど、どうしても、空気が読めず、他人と上手く付き合えません。

この状況を打開するには、どのような対策があるのでしょうか?

病院に通うということに固執してしまって、どうも良い案が浮かんできません。

御教授願います。

お礼日時:2018/05/03 15:02

それで怒る医師の方がどうかしてると思いましたし、障害がある結果怒らすってことはなくなないですがそれだけで障害とは言い切れないですね。


人と普段会わなければ会話力は落ちる可能性はありますね
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
最初は私も、どうしてその発言で医者にそこまで怒られなければならないのだろうと、モヤモヤしていました。
自分が悪いと思いつつも、どこが原因なのか、どうしても分からなかったんです。
家にいることが多く、会話するのがたまに行く病院とかになるので、会話力はだいぶ落ちています。私の場合元々の会話力も乏しいので、更に悪化したような感じですが。

色々な人と接する機会が増えれば、会話力も多少なりとも上がるでしょうか?

お礼日時:2018/05/03 10:28

勘違いをされやすい方なのかと印象を受けました。


まず、医者との話で自分の求めている回答ではない場合は説明途中でも「その内容ではなく[粉状の薬なのかそうではないのか]を聞きたかったんです」とハッキリ言えばよかったのかと。咄嗟に出なかったとしても説明されている最中に思い至れたのであれば問題はないと思います。
私自信も勘違いをされやすい人だったので相手の話を遮ってでも言っていた方が結果的によかったのかな。
そして、「母乳が出なくてとても悩んでいます。正直母乳をあげることが苦痛なんです」の発言では 後者の文面から我が子に対して母乳をあげたくないという気持ちが強くて伝わってしまったせいか相手を怒らせてしまったようで。
言葉のニュアンスが悪かったようですね。相手に同情をされたいあまりに自分本意な発言だと感じてしまった相談相手も相手ですが…。

病院に通った方が良いのかと思うのなら専門の病院へ。病気の有無云々は別として正しい対処方や改善策を一緒に考えてくれます。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
返答が遅くなってすみません。

ご指摘通り、医師の説明が途中でも質問しなおすべきでした。
丁寧に説明してくれているので中断するのは申し訳ない、というずれた私の考えが結果として余計に医師を苛立たせてしまいました。


そうですね母乳に関して、『苦痛』と言ってるのに何で相談に来るの?と、思わせてしまったようです。数年前なので、それ以前の会話の流れは忘れてしまったのですが、その一言以外にも要因が様々あるように思います。

どちらの場面においても、適切なタイミングと適切な発言が出来なかったことが原因なのかなと思うようになりました。

(当時はその一言だけで人を怒らせてしまった、と思い悩んでいましたが)

実は以前からカウンセリングに行っていました。カウンセラーさんにはずっと「あまりに生きづらいので、自分に何か病気があるのではないか」と相談してきました。

結局妊娠を機に、カウンセリングには行けなくなり、モヤモヤしたままでした。

子供が幼稚園に上がり、時間的余裕が少し出てきそうなので、専門病院に通おうと思います。

お礼日時:2018/05/03 12:06

文章では、そんな怒らなくてもいい様な聞き方ですよ



何で、そんなに怒るんだろう?って思います

たまたま怒りやすい人に当たっただけなのかな?って思いましたが
思い返すと何度もあるらしいので
喋り方とかなのかな?

ゆっくり、優しい喋り方を心掛けてみてはどうでしょう?

もしくは、オドオドした喋り方なら
ハッキリハキハキと喋る意識をしてみるとか


発達障害の可能性はわかりませんが
気になるなら調べてみるのもいいですね

もしかしたら、質問者さんが気にし過ぎの場合もあるかもなんで
気にしない様にするのもありかもです。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

話し方に関してはかなり気を付けていたつもりです、が、受け取った方としては不快になることもありますね。

医師や母乳相談員の方には本当に申し訳ない気持ちでたくさんです。

他の方のコメントも読んでいて、話し方に加えて、空気が読めないのが原因ではないかと思うようになりました。

自分では一言で人を怒らせてしまった、ように感じても、実際はそうではなく、会話の流れにあった、ということに気付けたのは、こうしてたくさんの方がコメントしてくれたからです。


正直気にしすぎであって欲しいです。


仕事も人間関係が原因で続かないので、(今は無職です)やはり自分に何かあるのかと、思っています。

なかなか人の気持ちが読めず、人にこう言ったらこう感じる、ということが分からないので、この文章でも不快にさせているかもしれないことを申し訳なく思います。

医療機関に相談してみようと思います。

お礼日時:2018/05/03 12:16

書いてあることだけでは、あなたに不手際はない気がします。

もう少し手前のところ、たとえばそこに行くまでなかなか言いたいことが理解してもらえなかったり、朝の行動から説明して無駄が多かったり、他人を差し置いて我先にと相談したりしていませんか?
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この回答へのお礼

お早いアドバイスありがとうございます。

自分は人を怒らせてしまうことが多く、加えて誤解されることも多い、という自覚はあり、会話や行動にかなり気を遣っています。

が、ご指摘の通り、他人を差し置いて我先に相談したり等の行動があるかもしれません。

そういったことを自分では気を付けているつもりでも、つもり、であって、受け取る側は不快な思いをしている可能性が高いです。

なので、質問文に書いたこと以外の部分で人を怒らせてしまっているかもしれません。

なんだか他人事のように書いてしまい申し訳ありません。

ご指摘の部分に関して、無意識にやってしまっているようです。

ですので、あまり思い出せなくてすみません。

この無意識にやっている部分が本当に厄介、だと思っています。

難しいです。

お礼日時:2018/05/03 01:19

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