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永遠のテーマといいますか、忘れ去られつつあるテーマと言ってよいかと思いますが、
これを何故問うかといいますと、知りたいからであり、それは仮に私がこれを知った時
には人生において何の変化もないとは思わず、この根本的問題をベースにしてあらゆる
ものを一歩深く知り感じ、とても豊かな知的生活がひょっとしたらできるのではないか
と期待するからであります。
科学的にはおそらくこれを確かめるすべはないと思いますが、どのように迫っているのか?
また、哲学ではどうなのか?それ以外ではどうなのか?
1.科学的見解をお願いします。
2.哲学的見解をお願いします
3.非科学的見解をお願いします。
4.個人的見解をお願いします。
No.26
- 回答日時:
?マークがあったので簡単に説明しますが アミーバーのような生物は分裂して生きるので
実際には太古の昔十数億年前から生き続けているものもいます。
動物が死ぬのは次世代のために縄張りや生存空間を残すためです
世代交代を速めた方が素早く環境に適応できます
殆ど進化せずに生きてる個体はどうしても少数派になったり絶滅したりします
しかし人間は頭で学習し考えて進化?しますから頭さえしっかりしていれば体も衰える必要はないのです
体が衰えるのはエントロピーの法則もありますが、それを修復するだけの能力を持つことは
整体としての体には可能だと思います。子供の成長過程を見たらそれがわかります。
ので 人間はじつは死ぬ必要は無く やむを得ず死んで行くのです。
単細胞生物は、接合による遺伝子交換によって若返ることができるので、
寿命というものが無い、と。
あるいは、死によって環境に適応する種もある、と。
高等生物である、人間にそういった生命の力を発現させることは可能だと
いうことですね?
まあ、ともかく生命というものは不思議だ。
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No.24
- 回答日時:
頂いたご返事への疑問を述べてみます。
色心不二と云うのは、肉体とそこに在る心を思えば容易に理解できます。
生死不二と云うのは、命は必ず死すと云う事で、これまでに生き続けた命のない事から納得できます。
依正不二と云うのも、結果が後の因につながると云う事で、これもなるほどと思えます。
しかし、肉体と精神の対比から考えて、それが有るものと「空」との対比になるとは思えません。
なぜならば「空」とは実体に対する言葉だからです。
空とはこの世の定まらぬ現象の事、を云うのではないでしょうか。
私なら次のような言葉を創造します。
実体の実を使って・・・
『実空不二』と。
肉体と精神の対比ではなかったですね、失礼しました。
肉体と「色法」、精神と「心法」の対比でした。
『実空不二』…
美空ひばりに似ていますが、正しいのではないでしょうか?
No.23
- 回答日時:
1.科学的見解をお願いします。
無から生命は生まれません。但し、エネルギーが物質に姿を変えることはあります。
2.哲学的見解をお願いします
哲学は科学的な答えがない問いを考えるのが領分です。したがって、本件では哲学は科学を批准します。
3.非科学的見解をお願いします。
NHKの番組が⚪︎▽◇×と言ってたよ。
4.個人的見解をお願いします。
生命はきっと宇宙のいたるところで発生してるよ。
地球の至る所でゴキブリが発生するようなもんがと思う。
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No.22
- 回答日時:
つらつらと長く書いた私の趣味のような文章に付き合っていただきありがとうございます。
かなり理解してくださった様でうれしいです。いくつかの質問に端的に回答したいのですが、以下。
タオイズムの表現は、私の言ったことを解釈していただくのに大変有用だと思います。取り上げていただき助かります。
無と空の違いについて。これは人それぞれという事があり微妙なのですが、私は、空は、有が無いと成立しないものだと思っています。例えば色があるから透明がそれ独自の状態として認識される様なものです。他方、無は、もっと独立的で、別に有に左右される事がありません。これを仮に絶対無と呼ぶとしましょう。今回、話題にしているのはこの絶対とか、無限とか、そう言った究極的な性質を持つ概念を扱っているという事です。
また、真空が周りの空気を引き寄せる様に、無があらゆる事象を引き起こすと言っても良いと思います。ただこの時、あらゆる事象は無に先立って居るのではないという事に注意する必要があるでしょう。
そして、非存在系の実例をという事ですが、それは提示することはできないのです。あくまで言葉の上では指示できるが、存在の外の世界を具体的にあれこれ知ることは出来ないでしょう。そこに行った時点で、観測者の存在が矛盾し破綻してしまうと考えられるからです。コンバート(変換)できるのであれば、非存在の何かを観測したら持ち帰る事ができるのかもしれません。
しかしそれでも、非存在を含めて、非非存在を混沌と呼ぶことは出来るかもしれません。
混沌は科学的には具体的な意味を持つ用語ではありますが、ここでは、"あらゆる可能性"の事です。あらゆる系になり得る可能性と言っても良いです。
にゃんぽこさん、さすがですね。
仰るように「空」は「無」ではありません。「絶対無」ということですね。
子供の頃に読んだ漫画(たぶん手塚治虫)のなかである修行僧が「無」を語り
若き釈尊(たぶん)がそれに対し疑問を呈するという場面があり、「無」って
何だろうと思ったことを思い出しました。
子供のころから哲学に興味があったんですね、もっと早く勉強をしていれば
よかった(笑)。
「無」があらゆる事象を許容する、引き起こす、ということですね。
現時点では、そう理解するのが精一杯のようです。
「あらゆる可能性」ー存在系をガンジスの砂の一粒としたーこの概念は戦慄と
恐怖すら覚えますね。
まあ、よく思いついたなと感心しますし、何とも言えないものがあります。
気が遠くなったところで、ちょっとブレイクタイム。
このカテでどなたかと話していた時に思いついたことなのですが…
この世には「創造」というものが無い、あるいは僅かなのではないか、と。
つまり、宇宙にはあらゆるものがすでにパーツとして存在し、その組み合わせ
によって無限の可能性が存在するのではないか、と。
そして、新しい組み合わせによって出来上がったものが新たなパーツとなり、
可能性はさらに広がってゆく、と。
私の場合は「存在系」のみで、それ以外のことは考えていませんでした。
あるいは、仰るような「あらゆる可能性」があるのか?
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No.20
- 回答日時:
この宇宙は始まりというものはなく、終わりというものも無いと釈尊は言ったらしい。
釈尊が言うのだから、そうなのでしょう。
これを想像するために、私は球体を持ち出します。
球の表面を見ていると、どこが始まりで終わりはどこなのだろうと思えてきますね。
針の先である一点を指し示して、ここを始まりとした場合の終わりは?と考えると結局針の先で指し示したところになってしまいます。
だから、始まりというものはなく、終わりというものもないという事を言い換えると、始まり=終わりと言えることになります。
これを有と無に転用すると、有=無ということになります。
物事の二面性。
心質と物質。雌雄。え〜と、もっと何かあるかしら?
次にあげるのは、二面性と言えるのか分かりません。比較というものでしょうか。
大小、高低、硬軟、強弱、明暗、善悪、とか。
まあ要するに、この世の中は二つの面を持っている、と言いたいのです。
表裏一体なんて言葉もあるし。
有と無は表裏一体ではないでしょうか。
また、絶対という言葉を二つとない、比較するもののないという意味で使えば、この宇宙を総括する精神こそは絶対と言えるのだと受け止めています。
この精神の力に依って宇宙は存在していると思います。
☆ 弱い頭だから、何を言っているのか分からなくなってきて、うまくまとめられませんでした。
仰りたいことは分かります。
>この宇宙は始まりというものはなく、終わりというものも無いと釈尊は言ったらしい
釈尊が言うのだから、そうなのでしょう
私もそう思います。ただ、釈尊が言ったからということだけでなく、そうであるならば
私の中の「鶏が先か卵が先か」の疑問が解決します。
これは私が幼いころ父親が語ったことで、当時は本当に不思議で考え込んだものです。
実はこれが私と哲学との出会いだったんだなあと思います。
物事には相対する概念が二面的に備わっているということがあまりにも多くありますね。
仏教哲学にも、生死不二、色心不二、依正不二などなどがあります。
ただ、有無不二というのは聞いたことがないですね。
生と死の対比、肉体と精神の対比から考えると、有るものと無いものの対比ではなく、
有るものと「空」との対比なのかなあと思います。
No.19
- 回答日時:
これで3度目となり、しつこくて申し訳ありませんが、
素朴な疑問が湧いてしまって・・・・。
「無から有が生まれるのか、生まれないのか?(生命の起源)」
↑
人類が誕生してから現在まで、「無」を確認したことは無いのではないか、
と思います。
子供の時は日差しに漂うチリを見て、「チリとチリの間には何も無い。」と
思った記憶があります。
しかし、今になってみてば、空気の存在があります。
真空という言葉があって、空気を抜いていく装置があり、ではその結果、
「無が生じたか?」と言えば、宇宙空間と同じで、全く「無」ではない。
宇宙には「ダークマター」が充満している、とも言い出します。
原子の周りを電子が飛び交い、では、その飛び回っている空間は「無」か、
と言えば、結局、「無」ではない。
「無から有が生まれるか?」という問いは、
「確認」したこともない物を、平気で「存在する」という前提で
提示されています。
私も、平気で「無から有は生じない。」と平気で答えますが、
しかし、「無」そのものを確認出来るわけではありません。
確認出来ない事を前提に問を組み立てて居るこの問は、
空中に建造物を建てるようなもので、本当は成立しないのではないか?
人間は常に「有」の世界に存在しています。
「生命の起源」という観点からでも、それは科学的な見地から、
或いは宇宙に存在する有機物から、あくまで「有」の世界の
変転という意味で、説明可能なように思います。
詰まり、「土に帰る。」と言う考え方は、「有」の世界の中での
変転であり、正しい。
古くから有る「問」のようですが、その「問」を作成した方は、
「無」に関して、「日差しに漂うチリの間には何もない。」程度の
理解だったのではないか?
今の哲学の世界では「無」をどのように理解しているのでしょうか?
ここでも私同様、皆さん「無は存在する」前提で話されますが、
恐らく誰も「無」を疑った方は居ない。
なんか変な感じです。
https://kotobank.jp/word/%E7%84%A1-140186
私がこの質問で「無」といったのは、「有」の反対概念のことで、つまり「ない」という
目に見えない形而上の概念のことです。
回答者の皆さんはキサラギさん以外は、それを前提にお答えいただいていると思います。
要は「鶏が先か卵が先か」を何処までも遡った先の生命の起源の問題です。
ビッグバンは「無」から起こったものであり、灼熱の無生の地球に生命が自然発生した、
というのが科学の見地で、(これを無矛盾で説明できるとの意見もありますが)この事が
科学でどうなっているのか、哲学的にはどうなのか、宗教では、というのが質問の趣旨で
ありました。
科学では、論理的説明ができるようです。
哲学では、「無」と翻訳される概念の中に、様々なものがあるようです。
宗教では、天地創造の神、無始無終、などがあるようです。
No.18
- 回答日時:
人間が認識できる無が真空であるならば、無とは周りより圧力が低い状態。
有とは無より圧力が高い状態。かな?
真空
https://kotobank.jp/word/%E7%9C%9F%E7%A9%BA-18374
No.17
- 回答日時:
無から有は生まれ得ない
有は無になり得ない
現在、有であるということは永遠の過去から永遠の未来まで有である
これで論理的になにひとつ矛盾はありません
起源も神も必要としません
哲学的にはこれで充分です
科学的にも上記の論理で全ての事象を無矛盾に説明可能ですが、検証不可という意味では科学の範疇を超えています
私は哲学をはじめ、学問というものの全体像を把握しているという
自覚がまるでありませんので、仰ることの理解ができません。
例えば「永遠の過去」を論理的にどう説明できるのか?
「神」は比喩だと考えていますので私の中で問題はないのですが、起源
が分からなければ「有」の因が分からないということで、これを何故哲
学的に「充分」と仰るのか?
No.16
- 回答日時:
生命というものは
我々の宇宙の内部における
有から有の一環として地球上に発生した
と理解してよさそうです。
ここで問題になるのは
我々の宇宙の前提としての有がなぜ生じたか
ということです。
おそらくは
少なくとも現時点の人間の
認識能力の限界をはるかに超えた
‘この世の全体‘の因果律が
我々の宇宙の有の前提となる
ビッグバンを引き起こしたんだろう
くらいに思っています。
>生命というものは我々の宇宙の内部における
>有から有の一環として地球上に発生したと理
>解してよさそうです
そのようですね。
>この世の全体
つまり、少なくとも、膨張を続けている我々が住む「ビッグバン宇宙」と同等のもの
が無数に存在している大宇宙が存在するはずであるということですね。
そう考えると、腑に落ちる気がします。
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言い忘れました。
>これだけを証明するのに、莫大な、努力と、資材と、エネルギー要するので
と仰いましたが、これって証明できるんですか?
№3でお答えいただいたような情報は、ネット上でも山ほどあります。
要は物質の変化のことであって、今回の質問は無から有は生まれるか
ということであって、根本的に異なる問題です。
その点をご賢察頂き、素っ気ない対応をお許しいただければ幸いです。
相対性理論にしても不完全性定理にしても、完全に理解している人は
わずかしかいないとよく言われます。
哲学の世界もおそらくそうだと思います。ハイデッガーなどは難解だ
といいますから。
まして素人なら尚更で、このカテには今プロの方はいるんでしょうか?
たぶんいないと思います。従って勿論私も含めて「キサラギ世界観」を
理解している人、あるいは批判のための批判でなく、正当な批判ができ
る人はいないでしょう。
それだけ本格的なものはあると思う。私にもいずれそれがはっきりとわ
かるでしょう。
(つづき)
仏教徒においても同様のことが言えると思います。懐疑はあるはずです。しかし、その懐疑を晴らすための思索をしているかといえば、どうもそうは見えない。
つまり、現代においては宗教の教えというものは形骸化してしまい「あまり信じられていない」ということになると思います(爆弾発言か?)。
宗教・哲学は人間の役に立つものでなければ不要のものとして削除されるべきものであると思います。
結論としては、私は必要なものだと考えます。以前申し上げましたが、人間は宗教的・哲学的存在であり、切っても切れない関係があると思うからです。
従って、人類がどの哲学を支持するにせよ、違う考え方を対決させる(対話・議論)という行為は必要なものであると思います。独善にならないために。
今回は余談で終わってしまいました。
次の五濁云々については、補足欄では足りなそうですので、次回述べることにします。
唯物的な生命観とか「弱肉強食」が世の中の本質であるという哲学とか、人間など取るに足らない存在であるなどという考え方が現代ではとても強いと思うのです。
そういう思想・哲学が現在猛烈に流布していると見ています。その結果は、人間にとって自分だけは尊い存在ですが、他人は(場合によっては家族すら)取るに足らない、あるいはクソ・カスの存在ということになります。
夢・希望・理想・愛・友情などは枯れてゆき、自分の快楽の総和をいかに増大させるかということのみ
人は考えるようになるでしょう。現代はその「走り」の時代だと思います。
一方、仏教の哲学は正反対です。すべての人に仏性があるという考え方で、キリスト教的に言えば、すべての人が「神」と同格なのです。究極の生命尊厳、人間主義の思想であると思います。
書き忘れましたが、「人生」とはこう言えると考えます。
主体性を持った一念三千の生命の、行動・言葉・思いの集大成が人生だと思います。
それは、その人の生きた「環境」の影響を与え、残るものは残り、消えるものは消え
るでしょう。
環境に影響を与えた分だけ自分の中に残るものがあると考えられます。その主観の総
計が人生だとも言えると思います。
その主観の中に「幸不幸」があり、これがまた、哲学的に追及すべき問題ですね。
これは尋常ではないと、歳とともに思いはじめ、腰を入れて勉強を始めたというわけです。
大変大まかですが、基本構造はこういうことになっています。
「神の力」に匹敵する力を、何故か人間は持っているわけで、このことの意味を人間はよくよく
理解しなければいけないと思います。
>うーむ。楽しい。考えるのは楽しいですね
声聞・縁覚の幸せですね。
失礼、また長くなりました。
ここにコピーさせていただきました。