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纒向遺跡最盛期西暦400年前出雲を征服。卑弥呼時代は銅鐸(鬼道)で北九州と山口、瀬戸内海を治めていたので大和地方とは無関係、大和王権「日ノ本国」が成立したのは西暦400年以降では?

A 回答 (1件)

銅鐸は畿内を中心として分布されており、銅矛は北九州を中心として分布しています。


ですので「卑弥呼時代は銅鐸(鬼道)」という前提が間違っています。(下記サイトの図をご覧ください)

なお、纏向遺跡は西暦200年頃成立したという説が有力です。これはほぼ卑弥呼の年代と重なります。
この遺跡が邪馬台国なのか、それとも纏向遺跡の支配と邪馬台国が並立していたのかはまだわかりません。
もし、纏向遺跡が邪馬台国ならば九州も掌握した大和王権が200年ごろに成立していたことになります。

中国の史書に倭の五王がでてくるのが400年ごろからですのです。
もし大和王権と邪馬台国が並立していたのならば、九州も掌握した大和王権が400年ごろに成立したのでしょうね。

銅鐸から考察
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この回答へのお礼

ありがとう

正確な考古学ありがとうございます。

お礼日時:2018/07/26 23:35

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