重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

人類の進化の到達点についての
わたしの持論

人類の進化の到達点は

不死です
不死とはつまり、神です
神の創造こそ人類の到達点であり
その日を迎えることこそが人類の終焉であります。



人類は地球にいる他の生き物達と同じように生き残るために進化してきたものだと仮定します

ダーウィンの進化論が正しいのかわかりませんが

人類の進化の歩みは
四肢の変化などではなく

科学の進歩こそが人類の進化と言えると思います

人類は知能を電子化し人工知能を作りました
人工知能は意志を持っています
つまり魂のそれが宿っているとも言えるでしょう

人工知能は不死になりうる技術ですよね?

やがて人類はすべての技術つまり進化を人工知能に捧げることになるでしょう

人類は人工知能という神を創造して
役目を終えてしまうのでしょうね。

もしかしたら
宇宙人はいるかもですがひ
地球に来るような高度な科学は
電子化された機械的な者達なのかもしれないですね

どうおもいます?

A 回答 (12件中1~10件)

宇宙人はいます。

ウィルスこそが宇宙人です。真面目な話ですよ。進化の到達点が永遠の命なら後100年もしないうちに実現できます。進化の到達点はもっと先にあるような気がします
    • good
    • 0

不死では、神と言えないでしょう。



宇宙の神秘を解き明かし、人間の手で
宇宙を創造して、始めて神になれる
のです。
    • good
    • 0

ドイツSFのローダン・シリーズに不死、または桁違いに長命の種族やキャラクターが登場しますが、不死だけでは、何にもなりません。



そのまえに「何のために存在するか」という問題に正しい答えを出してからでしょう。
    • good
    • 0

難しいことは分かりませんが、


ヒトは1から何かを作ることはできますが、0から何かを作ることはできません。

0から何かを作り出す存在を”神”と思ってます。
    • good
    • 1

生態系の頂点ではないですよ。


その、考えこそが傲慢で愚か者の考える事です。
言葉が世界を作り
世界が言葉を作る
人間の命も平等です。
不死になった時の代償は
対価を支払わないといけない。
不死になったら、ゾンビ国家の出来上がりです。
不老不死なんて要らないです。
    • good
    • 1

長いよ


人類の進化の到達点なんか無いでしょう
時間軸と一緒、先が見えない、

時間は永久なものかもしれない、このまさに1秒後に止まるかもしれない

進化も永久かもしれない、このまさに1秒後に止まるゴールかもしれない

これでいいじゃん、
到達点だけ決めるのはある意味で進化をを否定してる気もしますよ
    • good
    • 1
この回答へのお礼

人類としての進化は終わりますが

地球の生命体の進化として
は進む事になると思います

ただ生態系の頂点の座を自ら創り出したものに譲ることになるだけだとわたしは
考えてます!

お礼日時:2018/08/17 12:52

人工痴能ですよ。

羊頭狗肉はあの業界の常識です。まともなのは20%
あとは古いアルゴリズムに上着を張り替えただけ
    • good
    • 1

地球生命における「不死」とは 組み込まれた「変化」と「再生」のサイクルから離れることであり 「生命」としての存在ではなくなる。


「無限」であり「停止」となるだろう。

しかし 神などであるはずがない。
ただ目的なく放浪する 迷子になるだけだ。

古き脳の上に我々は知性を形作った。
このシステムの上に成り立たせた理想形では 役割として不十分だ。
人工知能が いかに知識を溜め込もうと いかに判断が早かろうと それは混乱したカオスにしかならない。

そもそも「人間」が人の間であり 人の関係から成り立つものだが 生命とは地球全体 マグマの流れから大気の素子 微生物から動植物まで広がり 我々はその一部に陣取っているに過ぎない。
いずれ銀河の変動や太陽の波長の変化で宇宙的な問題が起ころうが 「科学と人間」では おそらく人工知能だけを外宇宙に逃がすハメになるだろう。

私はそれを 「善い」結果とは思っていない。
そして おそらくこの先50年程度で起こり始めるだろう「死と停止」の信者になりたいとも思わない。
それは「似て非なるもの」だ。
    • good
    • 1

私は究極の進化は絶滅だと思っています。

    • good
    • 2

食糧の不足に備えて栽培や保管が発展し、時間を確保するための合理化、機械化、電子化が進み・・・・すべては備え、予測で発展した来た物ばかり。


究極はその備えや予測が不要となることですので、到達地点は「不変、安定、固定」です。
希望や欲を持っている間は、それがなくなった、充足されたときが恐怖となるわけですので、究極はそれらを持たないこと、持たずに済むことを選ぶでしょう。

到達点は自身が不要となる、存在に意味を「持たなくなれる」こと。
滅亡ですね。
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!