許せない心理テスト

当方、歴史には詳しくありません。
日本史に詳しく、さらに他国の歴史と日本を対比しているような先生に回答をお願いしたいと思います。

天皇は日本のシンボルとされているようですが、インターネットなどで調べた所、必ずしも天皇が日本やその歴史であると言えないと言えないような印象を受けました。
天皇以外に日本のルーツを見つけるのは難しいので天皇を日本の象徴としているような。
天皇と日本は、どの程度強い結びつきがあるのでしょうか。

またそれと、日本の天皇は国内から存在を否定されるようなものなのでしょうか?
天皇が不要と言う議論も持ち上がるようですが、私にはその議論が国内で持ち上がることの意味がわかりません。

出来れば、子供にも説明できるような回答を頂けるとありがたいです。

質問者からの補足コメント

  • 例えば、天皇がいなくても日本は日本なのでしょうか。
    研修者は、それは別の国であると言うことが多いようです。

      補足日時:2019/01/23 13:15

A 回答 (6件)

天皇は日本のシンボルとされているようですが、インターネットなどで調べた所、必ずしも天皇が日本やその歴史であると言えないと言えないような印象を受けました。


  ↑
天皇=日本 ではありませんが、日本という国を
特徴づける存在であるのは確かです。
歴史上、天皇によって日本が統一されたのですから。



皇以外に日本のルーツを見つけるのは難しいので天皇を日本の象徴としているような。
天皇と日本は、どの程度強い結びつきがあるのでしょうか。
  ↑
根本は国民を統合する力がある、ということです。

途上国が途上国であるのは、色々な原因がありますが最大のものは、
国民が統合されていない、ということです。
どうして統合されていないか、といえば、国民に、
国民であるとの連帯感が無い、薄いからです。
イラクやアフガンがその典型です。

イラク人、アフガン人という意識が希薄なので、
国民がまとまらず年中ゴタゴタしています。
中国なども、大正時代の留学生ですら、中国人であるという
意識はほとんど無かった、と言われています。
皆、北京人、上海人です。

日本だって、幕末時は薩摩藩人、会津藩人という意識の方が強かったのです。
そこで、山縣有朋と西周が相談して天皇を持ってくることにしました。
お前等は、薩摩藩人という以前に、天皇が治める日本という国の国民だ、
日本人なのだ。
これが成功したわけです。
これを国民国家といい、アジアで最初にこの国民国家樹立に成功したのが日本で、
中韓などは大きく遅れを取りました。

アラブの春を見てください。
シリア、リビア、チュニジア、エジプト、みな共和制国家ですが、大混乱です。
これに対し、モロッコ、カタール、バーレーン、オマーンなどの
王政国家はみな安定しています。

1,独自性
先人は、中国に対する独自性の発露の為、天皇という呼称にしたのです。
現代では、欧米に対する独自性の徴表という意味を持っています。
独自性を持たない国は衰退します。

2,歴史を観て下さい
幕末、幕府の受け皿としての天皇がいなかったら日本は
列強の植民地にされていたかもしれません。


3,公、という概念の醸成
オリンピックや国体とかの催しものはみな、国家を国民に意識させる為に
行われているのです。
国旗や、国歌などもその類いです。
その中でも、天皇というのは強力なツールです。
天皇は生きている歴史であり、歩く国家なのです。
人々は天皇に接し、想うとき否応なしに日本国家や日本の歴史を想起します。
米国もこれを羨ましがり、天皇の存在は17個師団の軍隊に相当する力があると分析していました。

4,汚職だらけのアジア諸国の中で、日本は比較的清潔でした。
それは、汚職は天皇に対する犯罪で、絶対に許せない、
という考え方が強かったからです。

5,かつて官僚は、政治家などは選挙区の代表に過ぎないが我々は天皇の官吏として、
日本全体の事を考える立場にある、と誇り高く仕事をしていたのです。

6,戦後、社会主義革命の嵐が吹き荒れました。
その前に立ちはだかったのが天皇制です。
社会主義は平等を理念としますので、天皇制と相容れないのです。

7,権威と権力を分離し、もって独裁を防止する。
 権力は徳川将軍が手にしていたが、権威は天皇にあった。
 池田大作が政権をとり、独裁を敷こうとしても、
 天皇制は大きな障害物になるでしょう。

9、象徴性
選挙で選ぶとなると政治家みたいな人が選ばれることになります。




またそれと、日本の天皇は国内から存在を否定されるような
ものなのでしょうか?
  ↑
社会主義者達は否定しています。
社会主義は平等を理念としていますので、
ああした特権階級の存在は否定します。



天皇が不要と言う議論も持ち上がるようですが、
私にはその議論が国内で持ち上がることの意味がわかりません。
 ↑
一つは、社会主義に基づく不要論です。
一つは、民主主義に基づく不要論があります。



例えば、天皇がいなくても日本は日本なのでしょうか。
   ↑
これは難しい問題ですね。
日本の特徴を代表しているのが天皇ですから。
移民が増えて、移民が大多数になっても、天皇が
いれば日本は日本だ、と言えそうにも思えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
歴史的な政治と結果を整理するとそのようなことになるのですね。

お礼日時:2019/01/24 12:07

帰国子女です。

帰国して以来「日本とは何か?」をずっと考え続けています。

日本の事を考える前に「国」と言うものを考えてみましょう。
日本人は意識していませんが、日本のように古代からほとんど国の領土や国民さらに支配者が変化していない国は「ほぼない」のが実際なのです。

では「国」という集合体はどういうものなのでしょうか?日本は国境を持っていませんが、陸地の国境を持つ国はなぜ「ここからここまでが俺の国」と言えるのでしょうか?その基準はどこにあるのでしょうか?

たとえばヨーロッパの国は元々古代ローマに支配されたか否か、で国の境界が決まります。スペイン・フランス・ドイツの国境が今の位置にあるのは、スペインがローマ属州・フランスがローマ本領域・ドイツは初期にはローマ外だったからです。ローマ崩壊後にはスペインがイスラム教国になったり、フランスとドイツが東西フランク王国で分離したり、といろいろな過程がありますが、現在の分類は「過去からの様々な歴史的経緯」があるわけです。

特にヨーロッパでは東西フランク王国の分離から始まるフランスとドイツの仲の悪さは今でも続いています。あまり口には出しませんがどちらも「元々ローマを引き継いだフランク王国の正当な継承国はこっち」と考えているからです。ドイツが第一次大戦時も第二次大戦時もヨーロッパ侵攻をしたのは「元々ヨーロッパにはフランク王国があって、ドイツはその正当な継承国だから、ヨーロッパを征服して服従させるのは当然の権利」とドイツ国民が考えていたからで、その潜在意識を利用したヒトラーは国民を扇動するのに使ったわけです。

このように「国」には過去からのいろいろな経緯とそれによってもたらされるその国の国民の国家意識があるわけです。

では「日本」という国を見てみましょう。日本が今の国土のうち九州・四国・本州の東北を除く部分を統一した国家にしたのは今の天皇の先祖、つまり大和朝廷によって統一王朝が出来た時代のことです。この時点から日本の枠組みはほとんど変化していません。

その後平安時代までに朝廷と貴族(公家)は東北地方まで平定して本州のほぼ全部も日本の領土にしましたし、なにより701年の大宝律令の施行によって「日本」と言う国号が定まりました。
これらの功績はすべて朝廷つまり天皇家に帰するものであるといえます。

さて、この後鎌倉幕府ができるのですが、この幕府が実に面白いのです。なぜかというと「鎌倉幕府は結局朝廷を倒さなかった」からです。

世界の歴史を見てみると、ある国に別の民族や国が攻め込んで支配してしまうことが良くあります。そうなるとそれ以前の歴史的な継承は一部を残して途切れてしまうわけです。また中国などは易姓革命という概念があって、同じ漢族でも別の一族が支配している一族を滅ぼして国の仕組みを変えてしまうことがありました。

しかし鎌倉幕府は「朝廷から国家運営権(幕府は軍事政権)を許可してもらう」と言う形で鎌倉に政府を作り、朝廷を武力で押さえつけつつも、代替わりには必ず朝廷から次の代での幕府の許可をもらっています。

これは実はけっこう不思議なことで、このやり方が戦国時代まで続き「天下取り」と言うのは結局「京都に上って朝廷から幕府開闢の許可を得ること」という伝統になっていくわけです。もちろん徳川幕府も将軍が変われば、必ず天皇の許可をもらっていました。

このやり方になにがあるのか?それは詳しくは分かりません。ただ、間違いなく「日本が天皇家を中心に朝廷を作って統一国家になっていく過程で約束された国家運営の正当性」がそこにあるのだと思います。

推測ですが私は天皇が各地を征服する時に「俺の家来に為ればみんな平等になれるし、みんなの神さまを平等にお祭りする」と約束したからだと考えています。実は多神教時代の古代ローマは征服した民族をローマ市民として迎える時に、首都ローマの神々の丘にその民族の神の神殿を立てて、みんなでお祈りできるようにしていた、という実績があるのです。

今年の11月に新天皇の大嘗祭があり、このとき新天皇は「一人で神々の前で天皇になる許可をもらう」とされていますが、この神々とは「天皇家が征服し家来になった各地の豪族たちのそれぞれの氏神が主体」だと私は考えています。

だから豪族から守護や大名に変化していく時期を経ても「日本は自分たちと天皇が約束して統一国家を作った国」と言う約束が守られ、だから「天皇が国家運営の許可を出した人に従う」という理由が会ったのだと考えています。

そうでなければあれほど長い間戦国時代があったのに「許可書1枚」で全国の勇猛果敢な武将たちが異議を唱えなくなるのは不思議としか言いようがないからです。

だから日本は「天皇が統一した国であり、各地の人々と天皇の間では『この国を維持し、豊かにし、子々孫々まで受け継ぐ』という約束がなされている国だと私は考えています。

もちろん、今後天皇制が廃止されても、日本という国土の枠組みは残るでしょう。なにせ1500年以上この枠組みでやってきたのですから、それは残ると思います。

しかし私は「それは日本国とは言わない」と思います。かつて日本だった、日本文化と日本人の土台に立つ別の国だと私は考えます。

だから極端にいえば日本=天皇だと私は思います。王国ってそういうもんじゃないですか。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。
たしかに、天皇を中心とする国家(日本)は一度も断絶されたことがないと思います

お礼日時:2019/01/24 11:57

世界4大文明は、メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明であることは良く知られていると思います。

どれも大河に近接して農耕を営んだ民族が都市を建設し、都市で文明が生まれたのであります。狩猟・採集民族も騎馬遊牧民族も都市は建設していないし、文明も生んでいません。農耕の高い生産性が、王族・貴族・詩人・学者・医者・僧侶・神官といった直接生産に携わらない知識階級を生んだのです。狩猟・採集民族も騎馬遊牧民族も、知識階級を生まなかった。なぜなら彼らを食べさせる食料を生産できなかったからです。都市は知識階級が集住する場所として建設され、都市に住む知識階級によって文明が生まれたのであります。では誰が日本に稲作を持ち込んで普及させたのか。どうやって日本人は農耕民族になったのか。文書資料がある訳でなく確かなことは分からないが、誰かが黄河文明から日本列島に稲作を持ち込んだのは間違いないと思います。大河とは言わないが日本列島は河川が豊富で、水利は十分、稲作に適した肥沃な土壌もあり、稲が育つ温暖な気象条件にも恵まれています。

今、我々がこの世に生を受けているのは誰かが日本列島に稲作を持ち込んで普及させたお陰なのではありますまいか。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。
たしかに起源は大事だと思います。

お礼日時:2019/01/24 11:49

>天皇と日本は、どの程度強い結びつきがあるのでしょうか。


漠然としすぎているので、この質問に答えることはできません。

確かなのは、戦国期にはすでに朝廷の権威は確立していたということです。
信長ですら、朝廷に勝つことはできませんでした。
(攻め潰すことはできるが、その場合全国の大名から「朝敵」の烙印を押され、袋叩きにあって滅ぼされる)

平安期、室町期については言わずもがな。
明治以降についてもご覧のとおり。

江戸時代だけが、将軍が朝廷をコントロールしきった唯一の時期だと思います。

奈良以前は資料が不確かのため、確たることが言えません。

以上の点をふまえれば
>日本の天皇は国内から存在を否定されるようなものなのでしょうか?
この質問の答えも浮かび上がります。

権力者の権力と権威は、その集団の構成員の合意によって成り立つ。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。
たしかに天皇が統治した時間は長くないと思います。
確かに権力はなんらかの支持を集めての権力だと思います。
しかし日本人の立場として日本の象徴を支持しない理由なんてあるのでしょうか。
外国ではよくスパイや敵対国がそういった活動をしていたようですが。

お礼日時:2019/01/24 11:47

当たり前の話ですが、現在この地球上の命あるものは地球上に命が誕生してからすべて途切れずに現在に至っています。


 そして初期の神話部分(古事記や日本書紀などでその時の天皇の都合がいいように作られた歴史)を除いて1500年以上家系がはっきりしているのが皇室のみです。

 その時時の為政者によって都合のいいように扱われたのが天皇(皇室)だと思います。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます
確かに朝廷は実質的な権力は奪われましたが、名前だけは今も利用されてますね

お礼日時:2019/01/24 11:39

天皇の位置づけは、その時代や社会情勢によって様々に変化しています


で、現在の日本国憲法下では、国や国民の象徴としての位置づけですね

過去に遡れば、多数の有力氏族の中でも一番有力だったという時代もあれば
天皇が政治権力を握る時代もありました
政治の実権を臣下に握られて、名ばかりの存在だった時期もあれば
日々の暮らしにも苦労するような困窮の時代もありました

それに応じて、国民・人民の暮らしに密接に関わる時期もあれば、居ることは居るが・・・という時もありました
なので、一概には言えません

まぁ(立憲)君主制を採用している国家自体が少数派であり、象徴という曖昧さがあるので
一定程度の天皇制不要論者も存在します
私も若い頃は、不要論に共感していましたけどね

ただ今考えてみると、日本人の特性というか性向として大統領制のような絶対的な権力者よりも
象徴が存在した上で、実務はまあ別の機構でというのが適しているのかなぁとは考えています
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます
あなた若しくは国民が天皇の要不用を決定するべきと言う考え方を取ってるのですね。
日本が日本足り得たのは、今の社会よりずっと昔からなのでその考え方に違和感を持っています。

お礼日時:2019/01/24 11:41

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