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日本語には自分を表す単語として、わたし、わたくし、おれ、あたい、わし、おいどん、うち、小生、吾が輩、せっしゃ、など沢山あるのに英語にはなぜIとかmeぐらいしかないのでしょうか?日本よりはるかに広い地域で話され、歴史も古いのに不思議でなりません。他の外国語ではどうなのでしょうか?

A 回答 (9件)

>朕は国家なり


オリジナルはL'[E']tat, c'est moi. 'The country, it is me'ですね。
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英語にも I以外に 自分を表すことばは あります。



ただし、それは 日本語の朕にあたる言葉で、国王以外は 使えません。

ルイ14世の言った「朕は国家なり」 は 英語では 「WE ARE THE STATES」と訳されます。

WEは 私たち(複数)ではなく、私(単数)です。王様だけは 自分のことを言うときに、 Iではなく WEを使います。

でも 現在の エリザベス2世は Iをつかっているみたいですけど。
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アメリカに36年住んでいる者です。

私なりに書かせてくださいね。

これは、英語にIかmeしかないのはなぜかと考えるよりもなぜ日本語にはそのようにたくさんあるのか、と考えた方が、英語のように自分を示す物が少ない言葉に理由を見つけるより分かり易いのではないかと思います。

言葉とはフィーリングを伝える道具だとこのカテで私は言いつづけています。 フィーリングを上手く伝える事ができるということは表現すると言う事だけでなく相手にそのフィーリングを分かってもらいたいからこの表現をするんだと考えることができると思います。

さて、上に私は「私なりに書かせてくださいね。」と書きました。 これを、「俺なりに書かせてくださいね」と書いたら、それを読んだ人は私のことをどう思うでしょうか。 「俺」とかいてそれが持つネガティブなフィーリングを持って欲しくないから無難な「私」を使う、と言う考えがありますね。 また、「拙者は」なんていったら「昔の言い方だな」と感じるよりも「この人ちょっとおかしんじゃないの」と感じてしまいますよね。

つまり、これらはこれらなりに相手に伝えようとする意味あいがあると言う事です。 でも自分のことを言っていると言う事自体は同じです。 そう考えると、これらは単なる「違う意味合いを持った」単語であってnice,good,inexpensive,fast等の形容詞が全て「いいね」という意味あいで使われるにもかかわらずこれらの単語持つ意味あいの範囲が変わってくるのと大変良く似ていることがわかります。 

しかし、日本語は他の言葉と同じようにその言葉が話されている文化を表現している物、言い換えれば文化が表現方法を変えていると考えると日本では言葉の使い方によってその人の性格・人格またイメージなども一緒に表現「しなくてはならない」言葉だと言う事ができると思います。

これは自分を示す表現だけでなく相手を表現するのも同じですね。 さらに、「丁寧な単語」だけでなく、文章の終りの表現も非常に大切な「文化的要素が高い」表現力のひとつとなると思います。(なると思うぜ、なると思いますわ、などと変化させる事で「自分」のイメージ・雰囲気を変えることができますね)

つまり、外人さんがこの変換を上手く使うと結局「日本語が上手いな」と評価されるわけですね。 つまり、TPOにあった日本語を使い分ける表現力を持っていると判断されるわけです。

では英語の場合はどうかと言うと、性別による違い、地位による違い、年齢による違いがそのまま社会的立場の判断には使われない、と言う根本的な文化的違いが非常に日本より少ないので言葉による変化を持たせる必要がそれほどない、と言うことになるわけですね。

しかし、「人間としての基本的感情」というものはどの言葉でもありますね。 つまり、自分の身近な社会にいる人とその外側にいる人に対しての対応の違いを持たせたり相手の気持ちを思う気持ちなどはあるわけです。 ですから、他の言葉でも英語でもこの違いをだす「丁寧な表現」というものは存在するわけです。

ですから、日本語の「各自分」が持つフィーリングを出す必要があると感じた場合はA girl like me, とかthough still young, とかAs an old guy,と言うような表現をしなくてはならなくなるわけです。 道具なわけですから使い慣れる・使いこなせるようになるまでは大変かもしれないけどそうなれば非常に便利な物だと言う事にもなるわけですね。 ですから、言葉は道具である、と言う表現がこの意味合いも持っているということが分かると思います。

と言う事で、フィーリングを伝える道具としての言葉と言う視点から全くの自己主張ですが書かせてもらいました。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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まず事実として、韓国語とタイ語の例を挙げます(いずれも豊富な敬語体系があります)。


(韓)na;naeとjeo;je(それぞれ「僕、わたし」「わたくし」くらいの違い)
(泰)phomと(di-)chhun (男性と女性)

たしかに欧米語で一人称の使い分けはあまり目にしませんね。そもそも「人称代名詞」なるものは、言語発生の初期からあったものではなく、ラテン語の途中から出てきたような感じなのです。人称代名詞が確立していないころには、これを動詞の活用によって示しましたので、今でもラテン語起源のイタリア語やスペイン語、他にもチェコ語など教会スラブ語起源の言語も、人称代名詞を明示しません。

アジアに目を向けると、日本語・韓国語・タイ語は一人称を明示しなくても意味が通りますね。少なくとも日本語の一人称は「代名詞」ではないといわれることが多くあります。英語などの学習であたりまえのように感じられた一人称代名詞が、日本語にはないのだというと俄かには信じがたいかもしれませんね。

代名詞でなければなんなんだ!との声も聞こえそうですが、代名詞でなければ普通の名詞です。実質語です。例えば、人称代名詞は限定修飾をあまり許しません(he who...や広告語など)が、実質語であればどんどん限定してしまいます。
?? beautiful I/me
OK きれいな私

印欧祖語(#5さんのご回答を参照)では、*ego(m)「自己」(実質語)なる語形があり、これが広くヨーロッパ中に広まっているようです。
英語:I, ドイツ語:ich, フランス語:je, イタリア語:io, チェコ語:j[a'], ロシア語:я, ラテン語:egoなどなど。

二人称単数の尊称について。
フランス語ではvous(2pl)、ドイツ語ではSie(3pl)、イタリア語ではLei(3sg/f)、チェコ語ではVy(2pl)、英語(現代では廃用)ではyou(2pl; sgはthou)など。中国語でもni3とnin2の区別があるんでしたかね?後者が尊称ですな。
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英語もドイツ語もフランス語もスペイン語もルーツは同じ言語です。

印欧語族に属し、屈折語に分類されます。屈折語というのは 動詞や名詞、形容詞などが複雑に語尾変化する言語です。今でこそ 英語はシンプルになっていますが、大昔は複雑な活用を持っていました。

言語の変遷というのは歴史と共に類義語が多様化する場合と、逆に淘汰されて絞られるものとがあります。

さて、問題の人称代名詞ですが、印欧語族では動詞が人称によって変化していました。それで、1人称と2人称は単数、複数 それぞれ一つの形しかありません。
スペイン語に Vdという人称代名詞があります。tuより丁寧な言い方で2人称を表しますが、意味は3人称です。これは 名詞から転用された代名詞だからだと思います。

日本語では 印欧語族のように 人称代名詞という体系があまり確立されなかったのだと思います。1人称も、2人称も名詞から転用されたと思われます。韓国語やベトナム語も 1人称や2人称を指す言葉が多彩にあります。
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>英語にはなぜIとかmeぐらいしかないのでしょうか?



 日本語の彼、彼女、彼らという表現は
明治時代に英語やドイツ語、フランス語を
訳す際に、日本語の表現に該当する
言葉がなかったために、作られた
代名詞です。

 あなたも、君も英語だとYouですが、

      あたな 君       
フランス語 Vous  Tu
ドイツ語  Sie  Du


 英語というと、今では大国アメリアの
言葉ということで権威がありそうですが、
ヨーロッパの歴史の上では、1066年に
フランス語を使うノルマン人というのが
イギリスを侵略し、英語は長い間支配される
下層階級の言葉だったんです。
 今では17世紀のイギリスの物理学者として
有名なアイザック・ニュートンも、
書物を出すときは、フランス語の古語である
ラテン語で出版していました。

 17世紀の初頭だったと思いますが、
イギリスでは国王と議会が対立し、
国王は失脚し、その後いわゆる王政復古と
なりますが、その後国王の命でできた
王立学会は貴族と民衆の集まりで、
さらに18世紀には産業革命で
大衆が力を持ち始めたというような
経緯があり、表現の上で差別が
残りにくい環境だったのだと思います。

 そのため、フランス語には上下を区別
する二人称、あなたと君の表現が
残ったのですが、英語にはその区別は
のこらなかった。
  
 またNo.2のご回答で
>中国語は我のみですし、

 とありますが、他の一人称もあったんです。
有名どこでは、秦の始皇帝は自分を表す
一人称として、朕という表現を使って
いました。

 日本の天皇陛下も戦前は、私は・・・ではなく
朕は・・・と言っていました。

>わたし、わたくし、おれ、あたい、わし、おいどん、うち、小生、吾が輩、せっしゃ、

 全て、社会的地位や地域差から来る言葉
ですね。今の日常生活の中で、
我輩を使うのはネコくらいで、拙者は
ギター侍さんくらいでしょう。
わし(ワシズムですか?)、うち(ラムちゃん)、
・・・
と考えて行くと、実際使われる一人称は
限られてくることが分かると思います。

 江戸時代に長い間、関所などで自由な旅が
制限されていたので、地域間の交流が少なくなり、
いろいろな表現が出てきてしまたった。 
 ただ、言葉というのは通じないと意味があり
ませんから、地域間の交流が盛んになって、
差別意識や地域差が無くなってくると
だんだんまとまってくるんだと思います。

 



 
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ひとつの仮説として


日本人の自己意識の構造が核を持たず,
他者依存的,状況依存的なものであることと関連があるとする考えがあります。
つまり相手との関係の中での自分の役割が意識され,
それに応じた一人称の使い分けがなされているのだと。
子どもに対して親が自分のことを「お父さん」,「お母さん」と呼んだり,
生徒の前で教師が自分のことを「先生」と呼ぶことも
この延長として理解できます。

もっとも一人称代名詞と自己意識の
どちらが原因でどちらが結果なのかはわかりませんが。

ところで英語のIとmeは意味が違うので取替えがききませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。他者依存的,状況依存的なものである・・・なるほど。説得力があります。

お礼日時:2004/12/20 01:09

まず日本語の例の中にいくつか方言から派生しているものがありますが、そういったものなら英語にもあると思います。

(所謂なまりですから)
広域で話されようと、歴史が古かろうとその概念に重きを置かなければ単語は増えていきません。日本人は態度で自分を表すことが苦手な人種ですからせめて言葉で、という発想からさまざまな言い方が出てきたのかもしれません。
中国語は我のみですし、フランス語はjeのみですから、イレギュラーなのは日本語なのでは?
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この回答へのお礼

ありがとうございました。日本は小さな国なのに不思議です。

お礼日時:2004/12/20 01:04

日本語は、世界の言語の中でも上下関係をとても重視する言語です。

尊敬語・丁寧語・謙譲語・・・このような使い分けがある言語って珍しいんです。でも日本らしいといえば日本らしいですよね。英語にもちょっと丁寧ないい方("I want to..."ではなく"I would like to..."、"Can I...?"ではなく"May I...?"と言ったり)もあります。でも、日本語ほど上下を区別することはないんですね。自分を誰かの上に見せることも、下に見せることもなく、基本的に皆「同等」というのが、英語的な考えです。だから自分を示す言葉として"I"しかないのでしょう。スペイン語も同じです。スペイン語は相手("you")の上下は区別しますが、自分は"yo"としか表しません。

少しでも参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。日本人について考えさせられました。

お礼日時:2004/12/20 00:46

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