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「宗教の目的は人間の魂の救済である」とゆー人がいますが、
これが宗教の目的ですか?
人間の何を救済するのですか?
何をもって救済するのですか?

さらにまた「宇宙の法則は、宗教の目的である、人間の魂の救済とは、何の関係もない」とゆーておりますが、宇宙の法則の探求は人間の魂の救済とは無縁であると断定するその根拠は何であるとかんがえますか?

A 回答 (24件中11~20件)

金儲けです。

坊主丸儲け。
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回答№12の聖書観に反論します。



▼ (Richard Swinburne:The Purpose of Religion) ~~~~~~~~~~~~~
[OxfordScholarshipOnline]=回答№12に引用

The purposes of the practice of a religion are to achieve the goals of salvation for
oneself and others, and (if there is a God) to render due worship and obedience
to God.

▽ 宗教のオシヘを実践するのは なぜか? ――自己がすくわれるため 同じくまた
他人(ひと)がすくわれるためであり この目的が成就するためである。そのときには
〔もし神があるなら〕オシヘに則った必要な礼拝と従属を神にささげていることになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ ところが 聖書の場合は 次のように言っています。つまり キリスト・イエスの
〔外交官(アポストロス=使徒)となったパウロの理解による〕ことばとは 矛盾する
ようなのです。



▲ (パウロ:ローマ書 1:16-17 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
[KJV] 16:  For I am not ashamed of the gospel of Christ: for it is the power
of God unto salvation to every one that believeth; to the Jew first, and also to
the Greek.

[新共同訳] 16: わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア
人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

[KJV] 17:  For therein is the righteousness of God revealed from faith to
faith: as it is written, The just shall live by faith.

[新共同訳] 17: 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わり
まで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」(ハバクク書
2:4)と書いてあるとおりです。

[原文] 17: δικαιοσύνη γὰρ θεοῦ ἐν αὐτῷ ἀποκαλύπτεται ἐκ πίστεως εἰς πίστιν
καθὼς γέγραπται Ὁ δὲ δίκαιος ἐκ πίστεως ζήσεται

⇒ https://www.blueletterbible.org/kjv/rom/1/1/t_co …
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ すなわち 《初めから終わりまで信仰を通して( ἐκ πίστεως εἰς πίστιν ) 実現さ
れる》(ローマ書1:17)場合と《すくわれるためにオシヘを実践すること the prac-
tice of a religion 》とは 明らかに異なるものであるからには このオクスフォード
の定義は 聖書には当てはまらないでしょう。


もっとも 《キリスト教 the Christian religion 》と聖書とは別だということであれば
前者をことさら――このいまの問題で――取り上げることもなかった ということであ
るかも分かりません。
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宗教と言っても様々です。

人間と言っても様々なように宗教でも人助けに真剣な宗教も在れば

教理の確りした宗教?も在れば 金儲けに熱心な宗教からオウム真理教まであります

人集めに必死の宗教もありますね。宗教は人間の集まり、仲間づくりでしょう。
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これは、私の回答でした。



一番目の回答として、オックスフォードオンラインで教材になっている本の、宗教の定義をあげます。

https://www.oxfordscholarship.com/view/10.1093/a …

The purposes of the practice of a religion are to achieve the goals of salvation for oneself and others, and (if there is a God) to render due worship and obedience to God. Different religions have different understandings of salvation and God. It is rational for someone to pursue these goals by following a religious way (the practices commended by some religion, e.g., Buddhism or Christianity), in so far as they judge that it would be greatly worthwhile to achieve those goals and in so far as they judge that it is to some degree probable that they will attain them by following the way of that religion. They will judge that in so far as they judge the creed of that religion to be to some degree probable (not necessarily more probable than not). The goals of the Christian religion are better than those of Buddhism.

宗教の目的は1)自分自身あるいは他者の救済を目的とする、そして、2)もし神がいるなら、礼拝をおこない、神に従う。

宗教により、救済の定義は違ってくる。

仏教やキリスト教を例にあげれば、救済の方法は違ってくるが、人々が救済が有効であり、救済が可能であると判断する限り、有効な手段といえる。宗教の信条から救済へたどり着く道が可能であると判断する限り(可能性がないわけではない。)救済の方法論においては、キリスト教のほうが仏教より優れている。

(意訳ですが、もし、疑問がおありでしたら、グーグル翻訳にかけてみてください。)

というわけで、西洋のアカデミック界での最高学府の見解です。これは、東洋の見解とは違っている可能性があります。

+++++
人間の何を救済するのですか?
何をもって救済するのですか?

人間をこの世の”悪”から救済するように考えます。死への恐れも、人間の心を委縮させる、悪の一つに数えられます。恐れから自由になれる。人間と関係を持ちたがる、神の力をもってです。

+++++
宇宙の法則は、宗教の目的である、人間の魂の救済とは、何の関係もない*****

これは、私は、”宇宙の法則は、宗教の目的である、人間の魂の救済とは、何の関係もないでしょう”と書きました。お礼の中で、質問者さんが反論をなさるところです。これについての反論をお待ちしおります。宇宙の法則と、人間の救済とは、どう関係があるのでしょうか。

以前他の質問者さんが、拝火教の例をあげられたことがあります。古代インドは、中東を通して、古代ギリシアの思想にも影響を及ぼしているといわれております。日本でも、空海さんの真言宗があり、宇宙の真理である真言を唱えることが、救済につながる、という教義だったと思いますが、私は詳しくありません。

拝火教については、善き神と悪しき神の戦いの話しか知りません。ですから、詳しくご存じなら、歓迎します。キリスト教では、神はすべてを包括してるように考えます。悪魔は下っ端扱いです。
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科学というものがどこまで発達するか未知ですから、断定はできないのかも


しれませんが、本質的には科学の限界というものがあって、それは、精神の
深い部分であったり、運の問題であったり、死後の問題であったりするわけ
です。

それらは、哲学の範疇でなければ扱えないと思います。
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>仏教においては生を受けることが既に苦しみの始まりと教えているのです。


>死んで土に帰ること、そして無になることは苦である生からの解放であれば苦ではないのではありませんか。

では、なぜ仏教は六道なるものを示しているのでしょうか。
あと、仏教(だけではないですが)は輪廻転生もうたっていますね。
生(苦)からの解放であれば、それらを示す必要はないと思いますが。

死ぬことに恐怖を感じる人がいるからこそ、このようなものを示しているのでは。
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極論を書けば、宗教が存在する意義は「死んだら無に帰る」という恐怖、絶望からの逃避のためにある。


逃避を「救い」と呼び、無にならず残るものを「魂」と呼ぶ。

「死んだら無に帰る」を肯定する宗教はおそらくない。
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この回答へのお礼

「死んだら土に帰る」でよいのではないでしょーか。
これは現実なのであるから誰も受け入れるしかないです。
これがなぜ恐怖なのでしょーか。
仏教においては生を受けることが既に苦しみの始まりと教えているのです。
死んで土に帰ること、そして無になることは苦である生からの解放であれば苦ではないのではありませんか。

お礼日時:2019/11/10 18:06

《要らぬお世話だ》という見解を もし宗教がみとめているなら


まだしも・・・。


《わがたましいを救済して欲しい》という自己表出なる意識の排
泄を――つまり そうです 意識の・悩みのウンコです を――
《宗教の目的は 人間の魂の救済だ》と言いかえることによって 
おこなっているのです。


精神の胃袋がよわく したがって悩みの消化にこまっており 何
とかまわりの人間を自分の意識の中に巻き込んで 多少はくるし
みをやわらげようとしているのでしょう。


役職に就いている場合は――その権限が多少ともほかの人間に対
して効くことがありますから これに酔ってしまい―― すでに
《支配欲に支配されてしまったたましい》があたかも自己運動を
起こしているといった体たらくなんだと考えられます。


金儲けになるなら余計に精を出してシュウキョウ活動にいそしむ
でしょうし 一文の得にもならない場合でもその清貧をほこりと
してシュウキョウ活動に邁進します。


《信じる》と《信じなさい〔と言って意識の排泄をする〕》との
あいだには 宇宙の果てから果てまでの隔たりがあります。
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宗教の目的は心の平安。


宗教者の目的は蓄財。
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全ては宗教、宗派によって異なる。


中には嘘の中に教義を建て、テキトーに信じ込ませている宗教もある。

質問者様ご存知のように、一括りに『宗教』と言ったって、多種多様にあるのだから。

では、『真理は何か?真実は何か?』という事だが、哲学カテゴリーに長年住む質問者様
であるから、そこは探求しなさいよ。

>「宇宙の法則は、宗教の目的である、人間の魂の救済とは、何の関係もない」

これについては、大いに連動する。
関係すると、、、仏は言っています。
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