次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。
理由はハッキリしませんが、2)には少しだけ異和感があります。
1)庭には二羽鶏がいる
2)私には弟がいる
ハを削除すると、かなり違いが出てきます。
3)庭に二羽鶏がいる
4)私に弟がいる
3)は1)とほぼ同義に感じます。4)は2)と相当違うような。
ちなみに、「私に弟がいることを友人には隠していた」だとなぜか不自然ではなくなります。
さらに少しかえます。
5)庭は二羽鶏がいる
6)私は弟がいる
5)だとほとんど×ではないかと。6)だとやや不自然さが残りますが「私に弟がいる」よりはマシのような。
A 回答 (47件中41~47件)
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No.7
- 回答日時:
#6です。
シチュエーションの設定に不備があるようなので、少し訂正させてください。
×
え~っと、本日お越しの方の中で、弟さんをお持ちの方は誰もおられないでしょうか?
b:私に弟がいる。
〇
妹さんばかりのようですね。万一妹さんだけの場合、今回の実験は延期させていただきますので、あらかじめご了承ください。
b:私に弟がいる。
コメントありがとうございます。
これはNo.6に対するお礼コメントです。
妙なことになって申し訳ございません。
>感覚の相違と片づけるのは簡単ですが、
「感覚の相違」としか言いようがないと思います。
「推測」してもムダでしょう。
No.8のコメントに対するお礼をご確認ください。
>特殊な状況を設定すればOKというのは、いいかえれば、特殊な状況を設定しなければNGってことでしょう。
当方はそういう考え方には不自然に感じますし、異和感を覚えます。
あとは補足のリンク先をご確認ください。
ところで、hakobuluさんは、誰よりも多くNo.1のかたとやり取りしていると思いますが、あの異次元の文法が理解できるのでしょうか。まったく理解できないのは、当方の理解力の問題なのでしょうか。
No.6
- 回答日時:
1.
2)私には弟がいる。
私にはまったく違和感はありませんけどね。
感覚の相違と片づけるのは簡単ですが、敢えて違和感の理由を推測させていただきましょう。
おそらくですが、「そうした表現をするシチュエーションが稀である」というだけの理由ではないかという気がします。
たとえば以下のようなシチュエーションなら自然でしょう。
a: 今回の任務は極めて危険だ。全員、志願してもらったが、ご両親が子供すべてを失う可能性を極力排除したい。そこで、兄弟のいる者を優先的に作戦要員として採用したいと思う。
君はたしか一人っ子だったね。今回の任務からは外れてもらおう。
b: 私には弟がいる。
2.
4)私に弟がいる。
こちらも同様にシチュエーションの問題かと。
a:今回の心理実験では、年下のご兄弟、つまり、弟か妹をお持ちの方を募集しています。
挙手でお知らせください。
あなたは妹さんがいらっしゃるのですね。ではお願いします。
あ、あなたも妹さんがおられると。あなたもお願いします。
あなたも妹さんがおられるのですね。わかりました、お願いします。
え~っと、本日お越しの方の中で、弟さんをお持ちの方は誰もおられないでしょうか?
b:私に弟がいる。
これは、
・私という人格としての存在場所に弟という続柄の人物がいる。
というニュアンス(意図)の文だと思います。
主題提示がされておらず、「私」について言うならば~、という意図はまったく無い。
そのため、「弟がいること」自体を唐突に押し出すシチュエーションが必要なわけですが、それが極めて稀であるため違和感を覚えやすいのでしょう。
「私に弟がいることを友人には隠していた」
という文においては、「隠していたこと」の内容として「弟がいること」が設定されているため、『「弟がいること」自体を唐突に押し出すシチュエーション』ではなくなっており、そのため違和感なく自然に聞こえるのではないかと。
3.
6)私は弟がいる。
・私について言うならば、弟がいる、という事実がある。
といったニュアンスですが、これは、
・私について言うならば、弟という続柄の人物を所有している。
という意味でもある。
「私はパソコンがある」なども同様の構図であり、特に違和感は覚えません。
しかし、
5)庭は二羽鶏がいる
の場合は、
庭が二羽鶏を所有している、というニュアンスになってしまうため不自然になる。
ということではないかという気がします。
・私は二羽鶏がいる。
なら何ら違和感は生じないはず。
「私」は、
「私は」のように、「一個の人格として」主題提示することと、
「私に(は)」のように、「人格としての存在場所として」機能することの両方ができる。
「庭」には、それができない。(たぶん)
コメントありがとうございます。
>たぶんどの例でも、庭...と私..で使われ方は同じだと思います。
だとすると、3)4)の違い、5)6)の違いはどこから生まれるのでしょう。
>さらに「何処」にとか「誰に」とかを強調したい場合は「に」に続けて「は」をつけて「には」にします。
辞書の記述を見るとそのとおりだと思います。辞書に関しては後ほど補足します。
だとすると、「強調」(または「比較」)のニュアンスがなければ「に」になるはずです。
4)は不自然に感じませんか。
>庭が二羽鶏を所有している、というニュアンスになってしまうため不自然
そうかもしれません。
正面は5人SPがいる。裏口は2人SPがいる。裏口のほうが手薄だ。
でも「正面」や「裏口」が所有していますか?
……あまりにも特殊すぎますか(泣)。
>「私は」のように、「一個の人格として」主題提示することと、
>「私に(は)」のように、「人格としての存在場所として」機能することの両方ができる。
>「庭」には、それができない。(たぶん)
これはポイントになる気がします。
No.5
- 回答日時:
いる、は自動詞?、なら目的語は不要、となれば「に」はどちらも場所を表します。
「は」係助詞、簡単に言えば、「私に」(場所・位置)、を主題にし、以下それにかかる説明をします、内容は主題にかかる内容に限定されます、言いかえれば提示した主題に限定して・・とも理解できます。
現実には、どんな状況で使うか?、使われるか?によります、「私に」・・単純に場所・位置の表現だけでOK?、またはそれを限定することで強調の必要があるのか。
表現に対する、表現者の、表現に対する感性(TPO)次第?。
年下の兄弟のことで話が盛り上がっているが、他の者は女兄弟ばかり・・・、そんな中なら「私には」。
単純に兄弟の有無を聞かれただけなら「(私は)弟がいます」。
> 5)だとほとんど×ではないかと。6)だとやや不自然さが残りますが「私に弟がいる」よりはマシのような。
実際に使われる状況によって異なり、これだけで判断は拙速です。
コメントありがとうございます。
>いる、は自動詞?、なら目的語は不要、となれば「に」はどちらも場所を表します。
あまり関係ないのでは。
「(私は)記入欄に住所を書きました」のような文でも、「に」は場所を表わすはずです。SF文法の場合は違うようですが。
>表現に対する、表現者の、表現に対する感性(TPO)次第?。
それはそのとおりだと思いますが……。
>単純に兄弟の有無を聞かれただけなら「(私は)弟がいます」。
おそらく、(私は)を省略して「弟がいます」が素直でしょう。
主題(「主語」でもほぼ同様?)を入れるなら(私は)(私には)のどちらもありでしょう。
No.4
- 回答日時:
#1の補足です。
現在の日本語学、日本語文法論の助詞理解がどの程度のレベルかについて、
<モノの存在場所を表わす「で」?>
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comment_count=0&comm …
で提起しておりますので参照下さい。
他の回答もこうしたパラダイム下での発想でしかないのは明らかかと愚考致します。■
本題に関係のないコメントお控えください。
迷惑です。
そんな書き方をするから、ここでもリンク先でも誰にもまともに相手をしてもらえないんですy。
No.3
- 回答日時:
たぶんどの例でも、庭...と私..で使われ方は同じだと思います。
基本は34の形になります。文章の主語は「鶏」「弟」で、それを「何処に」とか「誰に」とか補足している形になっています。
さらに「何処」にとか「誰に」とかを強調したい場合は「に」に続けて「は」をつけて「には」にします。こうすることによって、補足した内容が強く伝わってきます。さらに、何かと比較していっているのだというニュアンスが生まれてきます。またそういうふうに比較したいときに使うこともあります。
たとえば1でしたら、「他のどこにも鶏がいない」というような状態が背景にあるときに使います。「私」「弟」の関係でも同じです。「に(だけ)は」という意味合いなのでしょう。
56の例はどちらも違和感があります。
文章の主語は「鶏」「弟」ですが、「には」を「は」だけにすることで「は」は強調のためにつけられたものではなく、主語を示すものになります。主語が2つになって文章のつながりがわかりにくくなってしまいます。「私は」「庭は」に続けて「いる(います)」という動詞がくることはありません。また、これ以外に対応する動詞はありません。主語がどうなったのかわからず終わってしまっています。ものすごくおかしな感じがしてきます。
コメントありがとうございます。
>たぶんどの例でも、庭...と私..で使われ方は同じだと思います。
だとすると、3)4)の違い、5)6)の違いはどこから生まれるのでしょう。
>さらに「何処」にとか「誰に」とかを強調したい場合は「に」に続けて「は」をつけて「には」にします。
辞書の記述を見るとそのとおりだと思います。辞書に関しては後ほど補足します。
だとすると、「強調」(または「比較」)のニュアンスがなければ「に」になるはずです。
4)は不自然に感じませんか。
>庭が二羽鶏を所有している、というニュアンスになってしまうため不自然
そうかもしれません。
正面は5人SPがいる。裏口は2人SPがいる。裏口のほうが手薄だ。
でも「正面」や「裏口」が所有していますか?
……あまりにも特殊すぎますか(泣)。
>「私は」のように、「一個の人格として」主題提示することと、
>「私に(は)」のように、「人格としての存在場所として」機能することの両方ができる。
>「庭」には、それができない。(たぶん)
これはポイントになる気がします。
No.2
- 回答日時:
語感的にはちょっとわたしとは違うようです。
1)庭には二羽鶏がいる
洒落としての言い方ではありませんか。
3)庭に二羽鶏がいる
主題化する「は」を外しただけで、内容にそれほど差が出ません。
5)庭は二羽鶏がいる
「庭」を主題化しているだけで、「いる」とは結びつきにくいようです。
(「庭には」の「は」は「庭に」を主題化しています)
2)私には弟がいる
わたしが(勝手に)師とと仰いでいる金田一春彦氏は、「わたしには三人の子があり、
お手伝いさんが一人います」という文を引いて、子どもはこの家に生まれ、そのままここに住んでいるので「ある」を使う。お手伝いさんは「ここに居よう」という意志を持って住んでいるので、「いる」を使ったと、説明されていました。
そういえば、「妻も子もある」「妻子ある身」という言い方があります。たとえ鶏でも余所へ行きたければ行くことは可能だけれども、餌をもらうこともできるからここにいるだけである。(まあ、大げさな話です)弟も妻子並にあつかえば、「ある」でしょうね。
4)私に弟がいる これも同様に「弟がある」と言いたいところです。
6)私は弟がいる 同じように「わたしに関して言えば」(私を主題化して)弟がある。
コメントありがとうございます。
>語感的にはちょっとわたしとは違うようです。
いろいろあると思います。
>洒落としての言い方ではありませんか。
たしかにそのとおりです。つい……。
「庭には弟がいる」でお考えいただければ幸いです。
>5)庭は二羽鶏がいる
>「庭」を主題化しているだけで、「いる」とは結びつきにくいようです。
つまり、1)2)の「には」の働き自体は同様であっても、「庭」と「私」で違いが出るということですかね。
このあたりがわからなくて……。
「妻子ある身」は現在でもいいますが、「わたしには三人の子があり」はやや古風な気がします。
この金田一氏の「いる」「ある」の使い分けはどうなんでしょう。
古いエントリーですが、下記あたりが関係するかもしれません。
【「持っている」 「ある」 「いる」【1】【2】【3】 】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1212. …
No.1
- 回答日時:
格助詞「に」は空間的な位置付けの認識を表わし、副助詞「は」は特殊性の認識を表わします。
したがって、1)、2)の2つの文の「には」の働きは同じです。
4)と2)の相違は副助詞「は」の特殊性の認識の差異によるもので、「は」が無い場合は単に私個人の弟の有無という事実の表現であり、「は」が加わると他との比較・対照の認識が表現されます。
5)庭は二羽鶏がいる
が×となるのは、「二羽鶏がいる」のが「庭」自体の特殊性の問題ではなく、「庭」を格助詞「に」で空間的な場所として位置付け、その位置付けられた場所としての「庭」の特殊性として捉え、表現しなければ論理性を失うためです。
6)私は弟がいる
は私の特殊性として意味をもち、「私は弟がいるが、彼にはいない。」のような適切な対象的事実の表現になります。
このような助詞の語の意義と、対象→認識→表現の過程的な構造という言語表現の本質を捉えることなく、感覚的な不自然感をいくら並べても何の解決、解明にもなりません。■
コメントありがとうございます。
>したがって、1)、2)の2つの文の「には」の働きは同じです。
それなのに、3)と4)の違いが出るのはなぜなのでしょう。
3)に関してはスルーですか?
5)6)の違いが出るのはなぜなのでしょう。
>このような助詞の語の意義と、対象→認識→表現の過程的な構造という言語表現の本質を捉えることなく、感覚的な不自然感をいくら並べても何の解決、解明にもなりません。
毎度毎度繰り返される「お念仏」は迷惑なのでやめてください。
いずれにしても、現代の日本語のルールに即したコメントをお願いします。
当方は未来の「SF文法」のことはわかりません。
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コメントありがとうございます。
No.6へのお礼は、他のかたへのお礼を間違って投稿したものです。なぜか時々こういう現象が起きます。
申し訳ございません。
「前問」のリストと辞書の記述です。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12559141996.html
以下は一部の抜粋(重言)。
「ニ」は〈 時・場所・対象、比較の基準など、格助詞「に」で示されるもの〉『大辞林』でいいだろう。問題は「ハ」。
強める『大辞泉』
特にとりたてる気持ちを表す係助詞『大辞林』
強調または取りたてて示す『日国』
こりゃ……さて、どうしよう(笑)。
「取りたて」は「主題」と言いかえることができるだろう。「強調」のこともあるらしい。おそらく「比較」の場合もある。まぁ、大差はないか。
語釈を見ると、『大辞林』が詳しい。ほかの2冊の語釈のほかに、④⑤がある。
個人的には「念仏コメントには本当に困ったもんだ」のような使い方もあると思う。「ニハ」の前には否定的な「対象」が入る。
【1】
いままでとはかなり違うことを考え始めました。
これは新たに質問したほうがいいですかね。
まだ考えが未整理です。
ツッコミややさしくお願いします。
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12568517384.html
以下は一部の抜粋(重言)。
1)庭には鶏がいる
これはやはり「庭に鶏がいる」(②存在の場所 物理的・抽象的)が原形で、それに主題化(「取り立て」でも「強調」でもいい)の「ハ」がついたものと考えるのが妥当では。
問題は下記。
2)私には弟がいる
これも述語が「いる」だから「私」は「場所」と考えたいんだけど、そう考えると、1)~6)を並べたときの差異が説明できなくなる。
〈2〉で紹介したリンク先の〈1存在の場所・時点〉の小分類〈b. 私に子供がある。〈所有者〉 〉でいいのでは。
以下【2】へ。
【2】
考え方をかえるために、「ある」に持ち込む。
1.庭には花壇がある
2.私には夢がある
3.庭に花壇がある
4.私に夢がある
5.庭は花壇がある
6.私は夢がある
こう並べると、「庭」のほうは、「3.庭に花壇がある」が原形で、「ハ」がついて「庭には花壇がある」。「庭は花壇がある」は、ちょっと特殊な文脈が必要な気がする。
一方、「私」のほうは、「私ニ夢がある」が原形で、「ハ」がついて「私には夢がある」。
それとは別に、「私は夢がある」が原形で、それに「ニ」がついたのでは。こうなると「ニ」が不明? ああそうか。別に無理やり「ニ」をつける必要はなく、これで一文。
「ハ」は普通の主題で、「ある」がついて所有を表わす。
一方、「所有」のイメージに結び付きにくい〈5.庭は花壇がある〉はナシ。
元の文もこれと同じことなのでは。
仕切り直すために、下記の質問をしました。以降は下記でお願いします。
【次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。1)庭には二羽鶏がいる 2)私には弟がいる その2】
失礼しました。リンク先が抜けてしまいました。
仕切り直すために、下記の質問をしました。以降は下記でお願いします。
【次の2つの文の「には」の働きは別なのでしょうか。1)庭には二羽鶏がいる 2)私には弟がいる その2】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/11497505.html