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第二次大戦後の日本の食糧難について、以下のような事がよく語られています。
「食料は配給だけでは足りず、列車に乗って地方の農家まで買い出しにでかけた」
疑問なんですが、地方の農家には都会の人に売りさばくほど食料が余っていたのに、なぜ都市では配給の食料が足りないんでしょうか?
国がもっと沢山農家から取り立てて配給を増やせば、わざわざ買い出しに出かけずに済むと思うんですが、なぜこんなアンバランスな状態だったんでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • >ここに書いても分からないと思います

    質問に答えないのなら、最初から回答しないでください。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/02/11 14:20

A 回答 (16件中1~10件)

#7です。



> 戦時中は政府があらゆる民間物資を無理やり徴発してましたが、そういうことは出来なかったんでしょうか?

戦後になると警察力も弱くなったということです。戦前・戦中は特高や憲兵もいましたが戦後は解体。取締る警察官も役人も闇から食料を得ないと生きていけなかったのです。取締は緩くなりますね。

ヤミ米を拒否して餓死した裁判官がいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3 …
命をつないだ人はみんな闇の食料を入手していたことになります。

配給制度は米については昭和60年頃まであったと思います。ですが米穀通帳なんか見たことはありません。生まれてから(小生1952年生まれ)ヤミ米しか食べていません。供給が十分になり政府の介入は不要になったということです。
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農家ですが、祖父の話ではサツマイモどころかイモのツルなどを食べて居たそうです


米どころか穀物は麦、少なくとも我が家の祖先は「売りさばける」ほどの食料は無かったと聞いていました
「国が農家から取り立てて配給を増やせば・・・」、自己中な考えでしょうか?、国に供出した残りで食いつないだ来たそうですが。
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農家の側から考えると、配給用という理由で買い叩かれるより、言い値で買ってくれる買い出し部隊へ売るほうが儲かる。


当時の日本の通貨は、インフレで不安定、ほとんど信用がなかったため、米ドルや貴金属、高価な着物などとの物々交換もできた闇市場の方がお得。
全ての食料が配給用に統制されていたわけではなく、統制品から漏れた作物を作れば、合法的に自由市場という名の闇市に流せる。有名なのが、ピーマン。統制品でないから、どんどん作って流通されたが、和食向きでないのと、土壌との相性で、不味い野菜のトップになった。

配給=お役所仕事。農家から、消費者までの中間で、倉庫に山積みのままだったり、横流しされたりは、戦後だけでは有りません。
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世の中って


取り締まるとか
なかなか難しいし
さらに、バランス良く
物事を整えるとかってのも
難しいですもんね

今の世の中をみても
格差なんかは
アンバランスな状態をあらわしてるし
政治の世界や、犯罪などの治安も
アンバランスですもんね

現実って
アンバランスな状態が普通なのかと

思いますよ


共産主義の大国ほど
賄賂がまかり通り
アンバランスだと言えるし
社会主義なんかは
どこもかしこも
破綻してますもんね
アンバランスな状態すら
維持できない

資本主義なんかだと
競争原理が働いてて
バランスなんかは

なきにしもあらず

社会を統制できるのなんて

戦争状態で、外敵に侵略される時ぐらいなのかも?
知れないでね
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日本全体で見れば決して潤沢な食糧はありませんでしたが、確かに食糧は田舎のほうに偏在していました。



>国がもっと沢山農家から取り立てて配給を増やせば、わざわざ買い出しに出かけずに済むと思うんですが、・・・・

まず敗戦直後ですが、国全体の統制が取れておらず、日本の隅々まで取り締まれるほどの余裕はありませんでした。
当時日本は急激なインフレに見舞われていました。説明するまでもありませんが、インフレとは貨幣価値が下落する現象です。
言い換えれば、モノを持っている方が得する時代です。当然ながらコメなどの保存のきく食糧は出し惜しみ・売り惜しみが横行していました。
当局としてできたのはせいぜい市中に流通する闇物資の取り締まり程度で、それも見せしめ程度のものです。
農家が小分けして隠した食糧を洗いざらい探し出すなど到底不可能です。

農村部での取り締まりを徹底しなかったのはもう一つ、農民の生産意欲をそがないようにという配慮です。
ただでさえ足りない食糧を、厳しい取り締まりで農家の生産意欲を損なわせたら元も子もありません。
官憲がもし真面目に取り締まろうと思ったらできたでしょうが敢えてしなかったのです。例えば都市部からの
買い出し人の後をつけ、農家と交渉・買い入れしている現場を押さえればいとも簡単にできたでしょう。
でも敢えてそれをしなかったのです。取り締まりは闇物資を買い込んで都市部に運んでくる人間を中心に行われ
物を没収するという方法をとりました。

農家には、ともかく食糧を一生懸命増産すれば収入が増え豊かになれるということを実感させることが先決でした。

これと並行して行われたのがGHQのやった農地改革ですが、これについては本題からやや外れるので説明を割愛します。
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単純に、運搬するすべがなかったからです。


インフラとかもですし、トラックとかふくめ、安価に運搬できなかったからです。
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まず、食料生産地の生産能力自体が落ちていた。


男手が戦地に奪われたし、肥料や農具などの供給体制もガタガタになった。

当時の国内物流は鉄道が主流だった。
必要物資を生産地に送るにも生産物を消費地に送るにも、鉄道の輸送力が欠かせなかった。
しかし本土空襲により、鉄道網は大ダメージを受け、必要な輸送能力を維持できなかった。

それが生産地にとっては「肥料や農具など必要物資の不足」となり、
消費地なら「生産物の供給の途絶」となる。

生産地は人口も少ないから、多少生産能力が落ちてもやっていける。
しかし消費地の人口は膨大であり、そうはいかない。
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この回答へのお礼

食料の絶対量が足りなかったのは分かるんですが、なぜ農村部と都市部の偏りが放置されていたんでしょうか?そこが知りたいです。

お礼日時:2020/02/11 14:13

農家の生産量すべてが政府買取ではなかったんです。

出来の悪いのみ政府に買い取らせ、残りの上品は闇の方に回す。

戦後の食料難は、No.6さんが回答されたように、今の日本人には理解などできるもんじゃないです。列車に乗るのも、窓から乗り込むんが当たり前の時代でした。
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この回答へのお礼

>農家の生産量すべてが政府買取ではなかったんです。

なぜ政府は配給に回す分をもっと徴発しなかったんでしょうか?闇に回すくらい余ってるんですよね?

お礼日時:2020/02/11 14:15

貨幣経済が破綻していたからです。


少なくとも、食料については。
だから地方で食料を買おうとしても、なかなか売ってもらえなかった。
何しろ、お金をもらっても、次の日にはお金の価値が低下しているので、受け取る人はいない。事実上、戦中から物凄いインフレーション状態です。
国が食料を買い上げるにしても、だれも金で売るわけがない。公定価格とヤミの値段では、100倍から300倍も違うからです。
ただし、高価な着物などと交換は可能であった。

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm

戦中、昭和16年くらいからの貨幣の変遷を見てると見えてきますよ。
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この回答へのお礼

>国が食料を買い上げるにしても、だれも金で売るわけがない。

江戸時代の年貢みたいに、もっと強制的に農家から買い上げなかったのはなぜなんでしょうか?戦時中の政府はあらゆる物資を徴発してたわけですから不可能ではないと思います。

お礼日時:2020/02/11 14:17

農家は自家用の食料だけを生産していたのではありません。

その何倍もを作って殆んどを売り自家の生活費にしていました。だから「農家」なのです。農家は「売るための農産物」をたくさん作り、持っていました。もっとも全国規模で見て全国民の胃袋を満たすのに十分な量ではなかったでしょうが、ひとつの地域程度の範囲で見れば余ることもあったかもしれません。
戦後に混乱した事情は、もうひとつ、配給制度では国の買い上げ価格が低かったのです。農家は安値では売りたくないですから戦後に価格統制が緩むと売り惜しんだのです。因って配給は品不足になっても農家は余るほど持っていることになりました。
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この回答へのお礼

>農家は安値では売りたくない

戦時中は政府があらゆる民間物資を無理やり徴発してましたが、そういうことは出来なかったんでしょうか?

お礼日時:2020/02/11 14:22

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