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士農工商って昔の農家ってお侍さんの次に偉かったのですか?

工業と商業は農家より身分が低かった?

食べ物も作らず、物も作らず、食べ物と物も売らない人のことをと言って、土地を与えずに川に住まわせた。

ということは、農家を泥まみれの臭い連中と馬鹿にしていたけど、昔は国民の2番目の地位だったってことですよね。

でも歴史教科書だと農家が貧しく描かれている。ということは、農家が貧しいなら、工業、商業、はもっと貧しかったはず。

農家が1番ランクが低いのかと思っていたけど武士の次に偉かったと考えると歴史教科書の描写はおかしいのでは?

そもそも農家の人は田んぼがあるのに、畑があるのに、歴史教科書ではボロボロの家の横に小さな畑を作って食べてました。

おかしいですよね。田んぼや畑があってそれを商いにしてる人が家の横に石垣作って小さな畑で収穫してる。

歴史教科書の農家っての土地が与えられず、川に掘っ立て小屋を作って土を持ってきて小さな畑を作ったなら歴史教科書の飢えにあえぐ農家の図にピッタリです。

歴史教科書は農家との生活を間違えたのでは?

A 回答 (7件)

質問者さんは差別用語を使われているようですが


まあ学術的な観点と言う事で大目に見てもらえるかもです。

武士の次に農業従事としたのは
年貢という、いわゆる税制の観点で
職人や商人には網がかかっていなかったからです。
職人らは税を収めない、だから格下なんです。
商人は自ら物を作らず右から左に流すだけ
だから、もっと格下なんです。

でも、その農業従事者のうち「百姓」と呼ばれる自営農家は
ほとんどいませんでした。
大多数は土地を持たない「小作人」です。
実態は「ドレイ」と変わりありません。
で、これらが歴史本や昔話に出てくる農業の絵なんです。

こういった制度は実はつい最近までありました。
戦争に負けて米軍が進駐し、こういった制度を壊してくてたおかげで
いまのような「田舎の農家」ができたんですよ。

ところで職人や商人はというと
その多くが江戸(当時から世界最大の都市)などに住んでいて
地方の連中を小ばかにしていました。
これも現代と変わりありませんが、税金などないので
その日暮らせればいいや、みたいな勤労態度で
午前だけ仕事して午後には遊んでる感じでした。
商人なんかは「名よリ実」をよく知っていたので
せっせとカネを貯めて、
それが今の日本を牛耳るメガバンクの始祖です。

「小作人」の子孫はというと、
大多数が戦後の高度成長期に都会に出てきて
さらにその子孫は都会育ちとして、その多くが
相変わらず為政者に搾取されるサラリーマンとして暮らしています。
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この回答へのお礼

皆さんありがとう

小作人は奴隷じゃない。いまでいうサラリーマン。

お礼日時:2020/02/17 19:23

士農工商って昔の農家ってお侍さんの次に偉かったのですか?


 ↑
士農工商という制度は存在しませんでした。
だから、2000年以降の教科書には、
出ていないはずです。



工業と商業は農家より身分が低かった?
   ↑
士農工商というのは、中国の思想であって
身分ではありません。
国家に対する貢献度により、上下を就けたものです。
士農工商の士とは、武士のことではなく
科挙に合格したキャリア官僚のことです。




でも歴史教科書だと農家が貧しく描かれている。ということは、農家が貧しいなら、
工業、商業、はもっと貧しかったはず。
  ↑
貧しい豊かとは別問題です。
最も豊かだったのは商人です。
支配者である武士は商人より貧しかったのです。
これは世界史でも希なことです。




農家が1番ランクが低いのかと思っていたけど武士の次に偉かったと考えると
歴史教科書の描写はおかしいのでは?
 ↑
士農工商という身分制度は存在しません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2 …

1990年代になると近世史の研究が進み、士農工商という身分制度や
上下関係は存在しないことが、実証的研究から明らかとなり[2]、
2000年代には「士農工商」の記述は、文部科学省検定済教科書から削除される様になった。
これに関係して、「四民平等」も本来の意味(すべての民は平等)ではなく、
「士農工商の身分制からの解放」という認識を前提に用いられたものであったため、
教科書から消された[1]。



歴史教科書は農家との生活を間違えたのでは?
 ↑
農家が貧しい、というのはマルクス史観に
基づいた想像です。
実証研究が進むにつれ、農家は結構豊かな暮らしを
していたことが明らかになっています。
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ある時代までは、消費税とか所得税とかが整備されていなかったので、田畑に対する課税が税収の中心でした。

税収にとって大切な農民は、税金を納めない商人やエンジニアよりも上位に位置づけられたのです。

今では丹生民は税金を冷めつどころか国の補助金をもらうばかりに落ちぶれたので、社会的な地位がなくなってしまったと考えられます。
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農家と言っても


百姓です

百姓というのは
農家、漁業、山林なども含まれていて
当時の日本人の80%は百姓でした

日本人の口にするものを
扱っていたのですから
大事にはされていました

大事にはされていましたが
税金として治める農作物などでは
悩まされていましたが
しかし
大事な食料を生産するわけですから
殺すわけにもいきません

工業や商業は
そういう意味では
百姓よりも
役には立ちません
いなくても
明日こまるわけではありません

当時のお役人は
土地しか記録していません

たとえば
漁業で裕福な家があっても
家の裏に小さな畑や田んぼがあれば
漁業の家でも
これくらいの土地しかなかったと
記録されます

そうなると
のちの記録を見た人は
この家を貧農と見なしてしまいます

昔の記録を見るとき
まだまだ誤った見方をしていることが
たくさん残されています
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農家でも、庄屋や小作農家とピンキリです。


小作が、商の丁稚レベル。
庄屋が、中流武士レベル。
当時、藩の収入は、米の取れ高で何万石と表現され、武士の収入もその米が何俵という基準、藩の財政を支える層ですから、商工より上で当然でしょう。
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教科書が間違えているのではなく、君の認識が間違っている。

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以下のURLの内容を読んでみて下さい。


あなたの認識と著しく異なる話しが載っています。
ただ、どちらが正しいかは、人それぞれの考え方だと思います。
https://rekijin.com/?p=27513
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