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日本の科学技術立国としての基盤が築かれたのはいつ頃ですか?
やはり富国強兵時に工部省やら工部大学校など工学に力を入れた明治維新からでしょうか?

A 回答 (3件)

基盤が築かれたのは江戸時代です。



江戸時代には西洋の産業革命を除く「近代化に必要なすべて」がそろっていたからです。近代化に必要なのは
・貨幣経済
・教育
・工業的分業
などです。

なので、明治になり西洋文明を取り入れ始めると日本はすぐに工業化していきます。もちろん重厚長大型産業に移行するには時間がかかりましたが、それでも「産業革命が起きたヨーロッパ以外で科学技術立国ができたのは当時日本だけ」だったことを踏まえれば、その基礎は江戸時代に出来ていた、とかんがえるのが妥当です。

近年になって途上国もかなり発展してきましたが、それでも第2次世界大戦が終わってから70年ぐらいかかっているわけです。戦後独立した後、教育や国の仕組み、経済の仕組みを整えるのに50年ぐらいかかり、その上で科学技術を使った産業を誘致するのに20年かかったと言えるわけです。

本来ならこれぐらいかかってもおかしくないので、もし明治時代より前に基礎が無ければ明治から50年後ぐらいにようやく当時の西洋に追いついたぐらいになっていたでしょうが、そうはならなかったのは、江戸時代にすでに科学技術(を学び利用する)基礎があったからです。
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明治の殖産興業で盛んになったのは軽工業で、大戦直前でも日本の輸出の主力は繊維ものだった。


司馬遼太郎は「木綿を売るために朝鮮を植民地にした」と揶揄した。
航空技術や造船技術は一部世界水準に達していたが、軍部やほんの一部の企業の話に過ぎない。

日本の産業が重工業化したのは戦後である。
日本は戦後復興を重工業に賭け、予算を傾斜配分した。
「重厚長大」と呼ばれた時代である。
この成果は昭和30年~40年ごろに結果として身を結び始め、公害やオイルショックまで続く。
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科学技術という熟語は、文科省が出来てから作られた意味不明の熟語です。


三省堂 大辞林 第三版 によると
「科学と技術。現代では、おもに科学を応用した技術をいう。テクノロジー。 」
昔から、科学を応用したものを技術と定義していました。技術の英語は今も昔もテクノロジーです。
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