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明治維新後に日清戦争や日露戦争、少し飛びますが太平洋戦争など、世界との戦争が起こってしまったのでしょうか?

富国強兵や殖産興業などで、国力を上げていって植民地化させないように頑張ったのは分かるのですが、その後なぜ戦争が起きてしまったのかがよく分かりません。
日本に起こった出来事や政策などを交えて教えてくれるとありがたいです。
そして自分は中学生で、歴史の事をよく知っているわけではないので(もしかしたら上の文もどこか間違えてるかもです)なるべく中学生にわかりやすいように教えてくれると尚ありがたいです。

A 回答 (6件)

質問者様の根本的な認識が気になります。



>国を守ろうとした結果武力に頼ってしまい、戦争が起こってしまったのですね...
>二度と繰り返してはいけませんね。

国を守るのは世界共通の「絶対正義」です。他国が侵略してくるなら「戦わない」という選択肢はありません。日清戦争は、明治維新後に清国が明らかに日本を圧迫していたこと、李氏朝鮮の態度が明確ではなかったこと、などから戦争に至ったものです。

日露戦争は、日清戦争で李氏朝鮮を独立国にしたのに、その間隙をぬってロシアが遼東半島に進出し、鉄道路線と軍港を作ろうとしたために日本がそれを阻止することを目的とした戦争です。

いずれにしても当時は「軍事力が強い国が、弱い国を占領し、または従わせること、植民地化することは合法」だったので、ちょっとでも隙ができればロシアのように西洋各国が領土を奪いに来ていた時代なのです。
 それを「武力を頼って国を守ろうとした」という認識で居るのは根本的に間違っています。

だから
>国を守るために勢力を広げ、勢力を広げるために欧米の国々の影響を排除する。そのせいで戦争が起こってしまうなんて...もっと他のやり方があったはずなのに...

と言う点についていえば「当時は他のやり方などなかった、なぜなら西洋列強自体が武力に頼り戦争を起こして勢力を広げていたから」となります。

すごく簡単にいえば「ジャイアンが数人いて、彼らが武力でのび太やスネ夫、他のクラスメイトのおもちゃを横取りし、漫画をかすめ取るのが合法だった」ということです。西洋列強というジャイアンは地球全体を支配下に置き、それに対抗するには『自分もジャイアン並みに喧嘩が強くなるしかない』状態であり、だから日本は戦争をしてでも自国領土を守ったのです。

この世界地図を見てください。
http://kaigai-otaku.jp/world/jk/jk009

この地図は現代までの間に「西洋列強の植民地または影響を受けた国々」の地図です。
この中で日本・韓国・タイだけがオレンジ色で”Never colonized by europa"とあります。つまり「西洋の植民地になったことがない」と言う意味です。この中で朝鮮半島は日本と併合したことで植民地化を免れていますから、当時独立を保ったのはタイと日本だけだったのです。

タイは西のインド方面にイギリスの植民地、東の東南アジアがフランスの植民地になり、ちょうど両国がにらみ合った状態を利用して独立を保ち、日本は明治維新で近代化して独立を保ったのです。

何度も書きますが、当時は「戦争をしない」という選択肢はほぼ無かった、のです。

それを踏まえたうえで
>富国強兵や殖産興業などで、国力を上げていって植民地化させないように頑張ったのは分かるのですが、その後なぜ戦争が起きてしまったのかがよく分かりません。

に答えるとすれば「日本列島の本国を守るために、周辺を犠牲にした」といえます。今の感覚では良いことではありませんが、西洋列強はアジアもアフリカもアメリカ大陸も植民地化しているのですから、他に選択の余地は無かったといえます。

日清戦争は「朝鮮半島が植民地にならないこと」が日本にとってもっと重要なことであり、これは今でも「北朝鮮が朝鮮半島を統一し、中国人民軍が対馬の向かい側まで来たら大変なことになる」というのと全く同じ、明治時代はこれが「清国に入り込んでいる西洋列強が朝鮮半島を植民地化し、対馬の向かい側に軍港を作ったら大変なことになる」という意識の元で行われた戦争でした。

日露戦争は、日本が清国に勝ち下関条約で朝鮮に干渉しないようにしたら、今度はロシアが李氏朝鮮に入り込んで遼東半島に進出しようとしたので、それを阻止する必要がありました。
 日露戦争にも一応勝ったわけですが、ロシアは国力があるので、いつまた朝鮮半島に入り込んでくるか分からず、だから「日本列島を守るために、朝鮮半島を自国支配下に置くしかない」と言う判断が朝鮮併合につながっていきます。

ただ、朝鮮を併合してみると、その先にはヨーロッパまでつながる大陸があり、大陸は陸地でつながっているので「朝鮮半島に西洋列強や中国(清国や当時反乱を起こし始めていた共産党軍(八路軍)など)が入り込まないようにするため」には朝鮮半島の先まで占領して2重の防衛ラインを引く必要がある、と日本陸軍は考えたのです。

なので、軍事力を使って満州国を建設し、ここに強大な国を作ることで本国日本を防衛することを考えたのです。
ただ、朝鮮半島までならせいぜい清国とロシアの権益を邪魔しただけなのですが、満州国を作り、さらに清国を圧迫したのは西洋列強から見れば「自分達が取った利権を日本が奪おうとしている」と見えたわけです。

これが太平洋戦争の発端になるわけですが、その他にも日本が世界で初めて国際連盟で「人種差別撤廃」を提案したことなども影響しているのです。
 この提案によって今まで「黄色人種だが、西洋列強と同じ利益を共有する」と思っていた日本が「実は、西洋列強がもっている植民地支配に反対する連中」であり「西洋の植民地利益を阻害する敵」に変わったのです。

このようなことからABCD包囲網などができ、日本が太平洋戦争に入っていくことになります。
この中で「アメリカと戦争をしないようにする選択肢」はあったかもしれませんが「日中事変(シナ事変)などからの大陸での戦争」は避けることができなかった、と私は考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、この時代は戦争をせざるおえない時代だったのですね。
まだまだ勉強不足でした...

お礼日時:2020/07/12 22:01

日本はちゃんと二二六事件でクーデターが起きて入れば太平洋戦争なんぞせず済んで日本はソ連や中国の相手して勝つべきだったのです。

連合国を打ち破り日本は戦勝国になるべきだったのです。
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アヘン戦争の事を調べてみて下さい、英国が清国で何をしでかしたのか、調べて下さい。


これを見た、幕末当時の武士は、次は日本国が、ヨーロッパ列強の餌食になると危機感を
持ったのが、大日本帝国の始まりなのです。

その後、日清、日露の戦争で大国のロシアと引き分けたので、日本は一等国になったと、
調子に乗って、万里の長城を越えて中華民国の西側に攻め入ったので、中国進出を、
狙っていた米国が先を越されたので、怒ったのが太平洋戦争の始まりです。

一等国のヨーロッパ列強国は、弱肉強食の如く、武力でアフリカ、アジア、南米を
切り取って植民地としました。

平和に暮らしていたアフリカに乗り込んで奴隷として売買しました。
第一次大戦後は敗戦国のトルコの領有地だった処を住んでいる民族に考慮する事無く、
地図上で定規で線引きして、ここは、俺んとこだよと植民地にしました。
米国、ヨーロパで起きている人種、民族の騒動は、上記の事が大きな要因なのです。
天に向かって吐いた唾が、自分の処に戻ってきているのです。

日本はギリギリの所で植民地になりませんでした。

兎に角、アヘン戦争を調べて下さい。
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この回答へのお礼

アヘン戦争でされた事がもしかしたらされるかもしれないとのことで明治維新を起こし、国を強くするために戦争を起こしてしまったのですね。
太平洋戦争については日本が真珠湾を攻撃して戦争が始まったという事しか知らなかったので、詳しく知れて良かったです。
そして、民族の問題もここから起きているのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/07/12 21:20

日清戦争は、ざっくりいうなら東学党の乱の余波である。


朝鮮については、清はもともと属国と思っているし、日本も国力増強と安全保障のためぜひ手に入れたかった。
だからこの乱に乗じて、清も日本も朝鮮に出兵した。
ここまでくれば、あとは朝鮮の支配権をめぐって軍事衝突が起こることはほとんど必然である。
当時の国際情勢と国際常識ならなおさら。

日露戦争は、避けることのできない戦争だった。
これにはロシアの南下政策が背景にある。
既にロシアは沿海州を手に入れ、さらに満州から朝鮮に触手を伸ばそうとしていた。
三国干渉は、この南下政策の取組の一つである。
三国干渉によってロシアは遼東半島を租借地とした。
遼東半島が手に入ったとなれば、そこからさらに朝鮮に手を伸ばすのはもはや時間の問題だった。
おりしもロシアではシベリア鉄道が極東に伸ばされつつあり、完成すれば何百万という兵力が極東になだれ込んでくる。
当時の日本の兵力は、無理をしても借金漬けになって国民に重税を課して増強しても、陸軍でロシアの1/10、海軍でさえ1/2。
戦端を切るとすればロシア側の兵力が極東に集まっていないあの時期しかなかった。
こうして、日本は自国の存亡と朝鮮半島の利益をかけてロシアに宣戦布告した。
ちなみに伊藤博文などは直前まで開戦に反対し、話し合いによる和平の道を探ろうとしていた。
それほど無謀なことだった。

太平洋戦争については資料が足りないし状況も錯綜しているので、明確に述べることができない。
実際10冊の本を読めば、十通りの原因とシナリオが書かれている。
資料が不足しているうえにその利害が現代人にまで及んでおり、客観的に探究することが難しい。
一つ確実なのは、日本とアメリカは「中国大陸と南方の権益をかけて衝突した」ということである。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
日清戦争は必然的に起こって、日露戦争は早い段階で手を打ったのですね。
太平洋戦争はまだ明確な事は分かってないのですか...これからの研究に期待ですね。

お礼日時:2020/07/12 21:11

>富国強兵や殖産興業などで、国力を上げていって植民地化させないように頑張った


そもそもはそういう立ち位置だったけどね

やがて国を守るという意味合いがどんどん拡大されていって
国を守るためには、勢力圏を拡げなければならないとか
欧米の影響力を排除してアジア人の為の国作りをしなけれならない <-その指導役は日本だよ~
と言うい感じで、当初の思想からかなり離れてしまったからね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
国を守るために勢力を広げ、勢力を広げるために欧米の国々の影響を排除する。そのせいで戦争が起こってしまうなんて...もっと他のやり方があったはずなのに...

お礼日時:2020/07/12 21:06

根底には、


当時の日本はアジアの中でも列強だったので、
アジアの植民地化を進める欧米から国を守り抜く
使命があったのではないでしょうか。
しかし、武力で物事を解決しようとしたことはお互いの反省ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
国を守ろうとした結果武力に頼ってしまい、戦争が起こってしまったのですね...
二度と繰り返してはいけませんね。

お礼日時:2020/07/12 21:03

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