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明治以来の天皇は伊勢神宮に参拝しております。
それ以前は、持統天皇が参拝の最後だそうです。
したがって、持統天皇以降から明治天皇以前の1000年間以上、天皇は伊勢神宮を参拝していないことになります。(斎王(さいおう)または斎皇女はいますが)

質問は、この間、天皇家は、伊勢神宮をとおした出自や先祖崇拝に関心がなかったのでしょうか?

A 回答 (4件)

江戸時代までは、皇室の祖先神の神社といえば八幡宮のほうです。


神仏習合なので、当時は八幡宮寺ですね。

京都に石清水八幡宮ができてからは、天皇はそこに参詣してます。
上皇になってからは熊野に参詣したりはしますが、伊勢神宮にはまず行かないですね。
持統天皇も伊勢神宮参詣が目的というより、壬申の乱で天武天皇と巡った地を後追いしているようなものでしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<江戸時代までは、皇室の祖先神の神社といえば八幡宮のほう>なのですね。
<神仏習合>とはいえ、八幡宮は一応仏教系ですよね。
持統天皇は<壬申の乱で天武天皇と巡った地を後追いしている>ようなのですか。
歴史は.複雑で面白いですね。

お礼日時:2020/07/24 07:34

「代参」させているのです。


古代以降、天皇が都を離れるのは異常事態とみなされるようになります。
自由に寺社を参拝できるのは譲位後です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<「代参」>させているのですね。

お礼日時:2020/07/23 23:52

七不思議の1つ(いえ他の六個は知りませんが)ですね。


そもそもにして先祖の神であるはずの天照大神を、やっかい払いするかのように転々と居場所を変えた挙句に当時としては彼方の地ともいえる伊勢に追い払ったことから不思議なことです。

当時は藤原氏が天皇家の外戚となり支配しようとしていました、今となっては誰?的な高木神が天照大神より強い決定権を持っていたりするのは、それを藤原氏に重ねて天皇家支配の正当性を説いているためとも言われたりします。それで天照大神は邪魔者にされているという邪推もできそうです。

また今では仏教と神道は別物扱いですが、江戸が終わるまでは”同じ”宗教、同じ神様仏様でした。天皇家が仏教を受け入れそちらに傾倒していきましたので、古くてローカルで正しくないかもしれない神道の神は、かえりみられなくなっただけなのかもしれません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうござい尾ます。
歴史を遡ると、天皇家は綱渡りのような不安定な存在だったのですね。
1、<天照大神>を<彼方の地ともいえる伊勢に追い払った>
2、<今となっては誰?的な高木神が天照大神より強い決定権を持っていた>
3、<天皇家が仏教を受け入れそちらに傾倒>
4、<古くてローカルで正しくないかもしれない神道の神は、かえりみられなくなっただけ>なのですね。
幕末・明治維新で天皇が担ぎあげられ、神道が指導方針、宗教に持ち上げれ、<天照大神>が思い出され、伊勢神宮に参拝せねば、となったということですね。

お礼日時:2020/07/23 18:09

天皇による参拝が長期にわたり空白だった理由については諸説が唱えられていますが、決定的なものはありません。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
承知しました。

お礼日時:2020/07/23 12:28

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