アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

太平洋戦争(第二次世界大戦)について。
日本は太平洋戦争もした理由としてアメリカに侵略されそうに(かなり語弊があるが)なったから的な理由で始めたと社会の先生から聞きました。日本国を守るためという大義名分で始まった戦争。
昭和20年8月15日に終戦となった際、日本が無条件降伏をしたと言う事は周知の事実ですが、無条件降伏によって何を取られた(損害)のでしょう。もっぱら、日本全土がアメリカの植民地にならなかったのはなぜですか?(沖縄はアメリカに占領されたけど)
どのような代償を払ったのでしょうか。
なんの条件も言えずにに負けを認めることが無条件降伏だと思っていました。
負けたのであれば日本も今やアメリカになっているのではないかと思って質問しました。
もっとも、敗戦国であるため、何かと発言力がない気がします!でも、戦争を仕掛けて、アメリカに負けて負けた代償としてとても酷いことされたのかな?!と思いました。どなたか教えてください。

A 回答 (16件中1~10件)

私も同じ疑問を抱いています。


知りたいですね。
    • good
    • 0

ザックリ言えば中国やロシア(当時ソビエト連邦)に対する最前線基地として日本を利用することでしょうね。



日本各地の米軍基地(専ら沖縄が言われますが他にもあります)がそれを示しています。
    • good
    • 1

日本向けの輸出禁止という貿易戦争から。

無言の圧力で挑発された日本が真珠湾攻撃という形で手を出したので、日本がいきなり戦争を吹っかけてきたとアピール。
実は、今の日本の領土の何倍もの広さを占領して支配下においてました。それら全てを解放、幕末当時に国際的な話し合いで決まってた領土だけは認めるから、他は全部手放せ。
広さは当時の地図を見ると明らか。

アメリカに倣って民主主義国家になれ。地主→小作の関係を解消し、農業従事者は自分の田畑を耕して生計が立てられるようにしろ。財閥解体で冨の一極集中を回避。バージ、戦争に協力した有力経営者は、しばらく何もするな。経営権は別の人に譲れ。

反面、ドイツのように、米ソで日本を分割して統治という提案を退けるために、どっちが戦勝国が分らないような優遇措置も。日本で作った工業製品、品質さえ良ければいくらでもアメリカに輸入しろ。買ってやる→対米貿易黒字。食料不足解消のため、給食用の食料は無償提供(実はアメリカも深刻な食糧不足だった時期に)脱脂粉乳は不評だったようですが、栄養的にはよいモノだったようで。ご飯→パンへの食生活の変化。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

1番分かりやすかったです。ありがとうございました。

お礼日時:2020/08/07 08:12

日本は占領されたのでアメリカの州の一つという話しは当時からありましたが、当時のアメリカ人から見て、日本は文化的にかなり遅れているように思われたと想像します。



あまり魅力を感じなかったんじゃないでしょうか。敵地(朝鮮、中国、ソ連)に近いし、火山ばっかりの島国だし。

日本人はサルにしか見えないし、住みたい場所だとは全く思わなかったのでしょう。ただ軍事利用する場所としては(位置的日本)要所だっただけですね。
    • good
    • 1

この話は 日露戦争の頃から始めないといけません


日露戦争で日本が辛うじて勝てた最大の要因は
アメリカとイギリスが 日本の国債を購入して 日本の軍費を確保できたことです
アメリカは 日露戦争終結後に 当時のアメリカの鉄道王ハリマンが
満洲地域の鉄道を自分達が独占したいと日本に申し出ました
これがアメリカが狙っていたことでした
しかし日本はこれを拒否し 逆に当時の帝政ロシアと接近することで
アメリカの要求を撥ねつけました

アメリカ軍の資料を見てみると どうやらこの時期くらいから
日本との全面戦争を意識してて
「馬は海をどれくらい泳げるか」
などの基礎研究を始めていたようです

当時のアメリカにとって最も頭の痛かった問題が日英同盟でしたので
第一次世界大戦終結後のワシントン会議において
日英同盟が終結しました

それからも かなりの期間 日本は基本的に英国と共同で中国への進出をしていたのですが
満州事変からの一連の中国との全面戦争によって
欧米列強が中国に維持していた権益を 日本が略奪する事例が多くなりました

一方 当時のアメリカでは
リンドバーグ氏のような著名人をはじめとして ナチズムに共感する人が多く
アメリカはドイツと同盟を結ぶべきだ と唱える人が多くいました

ここに気がついた 当時駐英大使だった吉田茂氏は
再度日英同盟を結ぶことを具申しましたが
当時の日本社会は この意味が解らず
ナチスの勝利を疑わずに 日独伊三国同盟を締結してしまいました

これによって アメリカは 日本とドイツを倒さないといけないと言うように世論が一変したのですが
アメリカが様々な形でドイツを挑発しても ドイツはこの挑発に乗りませんでした

このため アメリカは 日本と戦争状態にすることによって
自動的にドイツと戦争することになることに目をつけて
原油及びアメリカ産の屑鉄の対日輸出を禁止して 日本との交渉に当たりました
この交渉は 表向きは貿易交渉で 論点はずっと万里の長城以南への日本軍の駐屯期間をめぐって交渉していたのですが
「気は熟した」と考えたアメリカは
突如として それまでの交渉過程など一切無視したハル・ノートを最後通牒として日本に突きつけ
「日本に先に撃たせろ」
の方針で 無理矢理日本を対米戦以外に方法がないようにしてしまったのが
流れです
    • good
    • 1

#5さんの歴史の流れを踏まえたうえで、当時のアメリカは実は「孤立主義」という「ヨーロッパの戦争に加担しない」と言う方針でした。



日本は明治以降日清・日露と勝ち進み、第一大戦を日英同盟のおかげで戦勝国になったため、戦後の国際連盟でも理事国を務めるぐらいの大国になっていたわけです。国際連盟は協調主義を取り、軍縮条約も作りましたし、各国に九カ国条約という「中国で自国の権益を優先する姿勢はお互いに自制すること」という条約も結ばせていました。

しかし、日本はヨーロッパ各国とちがい、古来から中国の動向を直接受ける地理的な立ち位置にいたため、朝鮮からさらに満州国を作り、さらに清国崩壊や南京事件などが起きると日本国内から「中国の動きを封じないと日本人の被害が大きくなる」という不満がでて、日本はさらに中国大陸に入り込んで戦争状態になります。これが日中事変とよばれるものです。

ヨーロッパ各国は日本の都合などは知りません。なので各国から見れば「日本は九カ国条約を出し抜いて自国権益を拡大させるつもりだ」とみえたわけです。

これにドイツのナチスの台頭などが加わり、#5さんが書くような欧米側の都合もあって対日強硬路線ができあがったわけです。

では大東亜戦争が自衛戦争だったのか、といえば「なぜ満州国が必要だったのか?」が分かれば解決できます。
明治以降の日本は一貫して「朝鮮半島をロシアや中国(当時は清)が占領すれば、日本の独立が脅かされる」と認識していました。これは今も同じで、韓国が北朝鮮に併合されれば、中国軍がプサンに駐留するかもしれず、それは日本の防衛にとって非常に悪影響がある、ということです。

なので、最初明治政府は朝鮮王朝に「日本と同じように開国して近代化しませんか?お手伝いしますよ」と呼びかけたのですが、朝鮮はこれを拒否、そして中国にすり寄ったので、日本は仕方なく日清戦争を行い、勝って中国の影響を排除したら朝鮮王朝はロシアにすり寄ったのでロシアと戦い、結局日本が朝鮮併合して「日本本土を守ることが出来た」ということになったわけです。

しかし日本人が朝鮮を納めてみると、島国である日本と違って陸地の国境はすぐ隣に敵国がいるわけです。彼らが攻めてきたら防ぐのは容易ではないし、特にロシア・中国は人口も多いのでかなりの危機感をもっていたわけです。
で、日本はその解決策として満州国をつくったわけで、満州を維持できれば人口も多く、日本の本土防衛にもなる、という考えだったわけです。
 でも結局その先の中国国境付近で国民軍や八路軍(のちの共産党軍)などがテロやゲリラ戦をやるので、それを抑え込むために日本はずるずると中国に入り込み、ヨーロッパ各国はそのような日本をみて「自国の権益を拡大している」とにんしきしたわけです。たしかにそれは間違いないのですが、日本側から見れば「本土防衛のために仕方なくやっていること」でした。

この点がマッカーサーをして「日本は自国防衛をしただけ」という認識につながっていくわけですが、ヨーロッパ本国側の都合、ドイツやソ連の台頭といった都合によって日本付近の権益も守る必要が出てきて、それがハルノートになっていくわけです。

対米開戦の結果、日本は無条件降伏をしたわけですが、その結果失ったのは「明治以降に帝国主義で拡大した権益」で、残ったのは「日本が古来から持っていて、国際的も認めれていた【固有の領土】」だったわけです。

>日本全土がアメリカの植民地にならなかったのはなぜですか?
一番大きな理由は「連合国軍側は防衛線戦争であって、侵略戦争ではない」と言う認識だったからです。

だから日本も「帝国主義的拡大=侵略して取得したとされる土地」は返還したのですが、日本固有の領土はちゃんと残ったわけです。

ただ、アメリカにはもう一つ思惑がありました、それは「ソ連に領土分割のスキを与えない」ということです。日本が降伏する3か月ほど前にドイツが降伏していて、ソ連は対ドイツ戦に功績があったため進駐軍の一角をしめ、その後ドイツ新政府設立に対して「共産主義政府を作りたい」と申し出をしています。その結果、ドイツは東西に分割され、1985年まで共産主義である東ドイツが出来たわけです。

このやり方はアメリカとしては失敗で、特に太平洋を挟んでソ連と向かい合っているアメリカは日本を分割統治させる意思はなかったのです。
 ソ連はドイツ戦が5月に終結した後、3か月程度をかけて兵士を日本海側に送り、対日参戦するとされていました(日ソ不可侵条約を破棄する、という意志を示していました)
 そのためアメリカ側は「ソ連が参戦する前に日本を叩き潰して降伏させる」必要性に迫られ、原爆投下の判断もそれに沿ったものだったと言われています。

その結果、日本はソ連軍参戦直前に降伏し、アメリカが優先的に日本を占領統治することになります。このときGHQには小数ですが、イギリス軍などがいたわけです。

>どのような代償を払ったのでしょうか。
結果から言えば日本はなんの代償も払っていない、といえます。せいぜい今でも残る在日米軍が代償といえるかもしれませんが、敗戦からの復活と日本の軍事費を節約できた、と言う点から見れば十分にペイしています。あ、後は日本の領空は米軍の制空権下にある、と言う点もあります。

沖縄は当時すでに米軍が「共産主義のソ連に対する橋頭保」という意味でしばらく軍政を敷くことを考えて居たので、沖縄の本土復帰は遅れましたが、それでも1972年には変換されています。

>もっとも、敗戦国であるため、何かと発言力がない気がします!
それは半分本当で半分ウソです。
本当の部分は、たとえば今でも国連は元々連合国軍総司令部が元になっているので、日本とドイツに対して「敵国条項が残っている」などの負の遺産はたしかにあります。そのため、日本が軍事的な野心にまい進するのはむずかしい、と言う側面はあります。

しかし半分は「戦後70年間日本国民が軍隊の復活を望まなかった」と言う点も大きく、日本は一時期世界2位(実質的には米国よりも強い1位)の経済大国になりながらも、経済発展だけに注力し軍事的な能力を復活させようとしなかったからです。日本が冷戦構造の間「アメリカの核の傘」に守られることを選んだのは日本国民の総意であるといっていいでしょう。

しかし、ソ連が崩壊し、世界の軍事バランスが変わり、さらに中国が台頭してきている今日本の役割も変化しています。
今後は軍事的な発言権も獲得していく方向に日本も変わるでしょう。というかすでに日本周辺の国家は日本の軍事的な協力に期待しており、たとえばフィリピンには自衛隊の哨戒機の供与と訓練、自衛隊とベトナム軍の交流などや、ジブチに自衛隊初の海外基地を作るなど、積極的に国際協調路線に参加する方向に変化しています。

このようなことを続ければ、日本の発言力は大きくなっていくでしょう。

また「日本は米国の犬」という人がいますが、これは歴史を知らない、としか言いようがありません。
元々どんな国でも「近隣にある超大国と付き合うには、超大国の意向を踏まえるか、滅亡するリスクを負って対立するか」の選択肢しかないからです。

日本はすでにアメリカと戦争して滅亡の淵まで行ったわけですから、次はそうならないように協調路線を取るのは正しい選択だと私は思います。もちろん「アメリカに対抗できる超大国と連携する」方法もありますが、ロシアや中国に比べればアメリカは同じ民主主義の国だしなにより「フェア」を重んじる国柄があるので、これほど日本にとってラッキーな相手はない、と私は考えます
(アメリカのフェアさとロシアや中国のアンフェアさは歴史を学べばすぐに理解できます)
    • good
    • 2

完璧な民主国家を作るための大実験という説もありますね。

    • good
    • 0

なぜ、バ○はカテゴリーを選ばないのだろう。



回答はしますが、次からは気を付けて下さい。
あなたがどこに投稿をしているつもりなのかは知りませんが、
ここで扱うのは「映画」の「戦争・歴史」の為の場です。
史実に関するカテゴリーは他にあります。
カテ違いは他の質問を流す上に、質問するべき場を寂れさせます。

【カテゴリ一覧】
https://oshiete.goo.ne.jp/category/list/

ここを勧めたマヌケなアプリのせいにしても、それを真に受けて選んだのはあなたです。



回答(日本が植民地にならなかった理由)の前に、よくある誤解の訂正をさせていただきます。


私は大東亜戦争に至る経緯については、日本が何もミスをしなかったとは思っていません。
しかし、日本だけがミスをしたとも思っていません。
なので、すべてを日本のせいにして日本やその為に戦った先人を謗り卑屈な謝罪で日本を貶めながら、自分だけ過ちを反省している良識人である事に酔う輩は、反吐が出るほど嫌いです。


A:>日本が無条件降伏をしたと言う事は周知の事実

A→日本は無条件降伏はしていません。

ポツダム宣言には、「Following are our terms」(我々の条件は次の通り)と記されています。
それで要求されているのは「全日本軍の無条降伏」です。
これは、軍隊の無条件降伏=単なる武装解除であって、軍組織の解体や消滅ではありません。
そして、軍=国家・政府 ではない以上、ポツダム宣言によって、日本という国家が無条件降伏したという事にはなりません。

ところが、この宣言の調印時に、連合国は国際法上「休戦協定(条件付降伏)」である文書を「降伏文書」と名付け、「休戦」を「降伏」にすり替えました。
更にその後、米国政府は「日本との関係は、契約基礎の上に立っているので無く、無条件降伏を基礎とするものである」という通達を発表しました。
これは、米国は正式に締結した国際条約を反故にしたことになります。

日本はこれに抗議しましたが、軍が降伏し武装解除されていた為に、抵抗できず、
結果として、国家そのものが無条件降伏したことにされてしまいました。

仮に無条件降伏をしたとしても、何でも受け入れなければならないわけではありません。
当時の国際法や慣例では勝者の権利と義務を定める事になっています。
しかし、GHQはそれにほぼ等しい事をしています。



B:>日本は太平洋戦争もした理由としてアメリカに侵略されそうに(かなり語弊があるが)なったから的な理由で始めたと社会の先生から聞きました。

微妙に違います。
対英米戦争は以下の経緯でアメリカから戦争を仕掛けられて、日本も応戦せざるを得なくなったからです。

まず日中戦争についてお話しします。
日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
そして、当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識が持たれていました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、日本人も犠牲になっており現場の緊張は極限状態に達していました。
満州事変はこのようなこれらの結果、現地の部隊が暴発し独断行動を起こした為です。
これを侵略とするなら、その原因となった中国の行為も侵略であるはずです。

当時の中国領ですが、多くの国が投資しており、日本人以外にも在中外国人が多数住んでおり、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

共産党が勢力を伸ばしており、日本はその脅威も受けていました。

満州国の独立は、以上のように国防上の為のものでありましたが、同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
(満州事変以前の国境線のままだと、中国のテロや破壊活動から守れません。)

満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。
しかし、その統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です)
そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。
(というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います)

その後、満州国は日本が治安を維持した為に各地から人口が流入し繁栄した為に、再びそれを狙った中国によるテロ活動が起りました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。





↑が対英米戦争に発展した理由と経緯は以下です。
植民地の獲得競争に出遅れていたアメリカは、最後の市場である支那を狙っていました。
アメリカは支那から日本を排除する為に、大陸での日本の行動を「侵略」と決めつけて、蒋介石に支援をする一方で日本には↓のような経済制裁を行いました。

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

これにより紛争が長期化し、大東亜戦争に発展します。

上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」

と述べています。


パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。

【「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった】(動画)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm30717527
《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》


↑によれば、日米は真珠湾以前から、アメリカの騙し討ちによって戦争状態であった事になります。
「太平洋戦争(第二次世界大戦)について。 」の回答画像8
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答になってない気がします

お礼日時:2020/08/05 13:29

No8です。


やれやれ、この程度でブロックですか。
カテ違いへの指摘はスルーだし。

>回答になってない気がします(No8へのお礼?)

読解力って大事ですね。
というか、ちゃんと読みましたか?(ヒント:お礼?の速さ)
私は【回答(日本が植民地にならなかった理由)の前に、よくある誤解の訂正をさせていただきます。】とお断りしています。

それに、あなたの質問は 無条件降伏=事実 という前提でのものだと思いますが、
それへの訂正は無駄なことでしょうか。



C:>日本全土がアメリカの植民地にならなかったのはなぜですか?


回答
アメリカだけが日本を植民地にできるわけではないので、日本を植民地にすると(アメリカにとって)もっとまずい事になる。


マッカーサーは日本を民主国家に(したことに)して、その功績でアメリカの大統領になろうと思っていました。
(これについては誤解している方が多い様ですが、当時の日本は軍国主義でも独裁国家でもありません。そんな状態なら当時の何度も政権が交代していません。東条英機は議会と揉めて辞任しています。)
しかし、他の連合国の本音は↓のようなものでした。


英豪蘭中:酷い目(植民地を失った)にあった恨みを晴らしたい。
ソ連:日本を共産化→領土化する為には天皇が邪魔。
   (とりあえず「戦後処理」で北海道と東北が欲しい)
   →日本の精神的な支柱としての天皇を処刑する必要がある。

「彼ら」は表向きは、未来における日本の再武装への懸念を主張し、
その防止の為としての、自分達による日本列島の分割統治案や国民統合の象徴としての天皇の処刑を求めていました。


一方、アメリカとマッカーサーの考えは↓のようなものでした。

アメリカ:戦後の日本にソ連や中国が居座るのは困る。
マッカーサー:日本を「民主化」した功績でアメリカの大統領になりたい。
(終戦の主要な原因は原爆とソ連の参戦なので、彼の功績にはならない。)
→その為には日本人の支持を得る必要がある→天皇は必要。

【日本】
ソ連の目的や革命が起こった他国の有様を知っているので、とにかく国体(皇統と領土)は守りたい。


↑のような状況で、マッカーサーは皇統の存続を条件に、日本に軍隊を放棄した憲法を(押し付けて)制定させ、様々な「民主化」を行いました。




マッカーサーはこれらによって、日本の脅威は消滅したとして英豪蘭ソの主張と要求を否定しました。

アメリカは、今後はアメリカが日本を守っていれば(それで日本をアメリカに依存させれば)アジアに影響力を行使でき、それでアジアは平和になると考えていました。


しかし、その後中国が共産化し、朝鮮戦争が起こりました。
これによって、アメリカは、共産主義と戦っていた日本を侵略と決めつけて潰してしまったことの過ちに(今更のように)気が付きました。

しかし、その頃の日本は占領時の自虐史観が定着しており、更には日本が政治犯として収監していた共産主義者が反米意識を煽っていました。(これは今でも尾を引いています)
「太平洋戦争(第二次世界大戦)について。 」の回答画像9
    • good
    • 0

太平洋戦争に至った理由は、行き詰まった日米交渉を打開する為であります。

戦後、日米は同盟国となり3本の指にはいる貿易相手国になりました。目的は達成されたのです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!