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ソ連共産党も、ロマノフ王朝滅ぼして、共産主義者が支配階級になりあがりましたよね。

質問者からの補足コメント

  • 日本にも反血統主義(天皇反対)掲げる左翼がいて、身分や血統が残るのは差別だ!と吠えていますが、全て平等にして自分より下にし、自分達が支配したいだけ。支配欲求が強い。なぜなのか?よく聞くのは、苦労人が権力欲と嫉妬心を持つとこうなると。しかし、全ての苦労人が欲深く、他人憎悪など嫉妬心持っているわけではない。これは偏に、生い立ちが関係しているのではないか?

      補足日時:2020/09/24 14:42
  • フランス革命の時も特権身分の王族や貴族は見せしめのため公開処刑、革命指導者の下に平等が強いられ、逆らう者、出る杭は虐殺されました。まだ幼いルイ17世は牢獄で虐められ虐待死。

    権力闘争は残虐で悲惨な悲劇を生むとわかっているのに、権力を叩いて自らが権力を勝ち取ろうとする反逆精神持った人間が次から次へと湧いてくる。

      補足日時:2020/09/24 14:51

A 回答 (10件)

マルコによる福音書:14章:30節 イエスは言われた、「あなたによく言っておく。

きょう、今夜、にわとりが二度鳴く前に、そう言うあなたが、三度わたしを知らないと言うだろう」。
_


日清、日露、ということで、日本も一枚絡んでいるのではないでしょうか。
対外戦争による経済の疲弊、多数の死傷者、人望の欠如、民意の低下、良識の堕落、それらにより社会はにわとりより劣っていたのかもしれない。 特に権力者の意気はにわとりより低下した。
日本でも、ロシア革命への警戒行動で、米価が暴沸し米騒動が引き起こり内閣が倒れ平民宰相原内閣が誕生したらしい。
それでも収まらない悪徳世界、地球すら吹っ飛ぶ核兵器の時代に至ったのではないでしょうか。
日本は被爆して、歴史上初、邦人による戦争勝者の無い国土が達成されたのではないでしょうか。
その後の動向は、軍事酷税の無い、すべての資源・資質を平和利用に向ける事の出来る社会が登場したのではないでしょうか。

 フランス革命でも、紛争・戦争・家族の戦死・経済・赤字、そして1783年、アイスランドで起きていたラキ火山噴火噴煙によるヨーロッパ全域での日照量激減によってもたらされた農作物不作・飢饉が大きな背景要因としてあげられるような。
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共産党の毛沢東は、清王朝を滅ぼして乗っとる気だったのですか?


 ↑
清王朝を滅ぼしたのは孫文や袁世凱でしょ。
毛沢東はあまり貢献していません。
孫文の後を継いだ蒋介石とケンカして
勝っただけです。



権力闘争は残虐で悲惨な悲劇を生むとわかっているのに、
権力を叩いて自らが権力を勝ち取ろうとする
反逆精神持った人間が次から次へと湧いてくる。
 ↑
だから日本では、世襲が流行ったのです。
世襲にしたのは、そういった権力闘争を少なく
するためです。
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新を滅ぼしたのは、孫文率いる国民党で、それを袁世凱率いる軍閥が簒奪し、その後、日華事変が起こり、日中戦争に発展したところで、毛沢東率いる八路軍は、長征という名の敵前逃亡をし、延安に閉じこもりました。

戦後、八路軍は疲弊した国民党軍に襲い掛かり、台湾に追っ払って、毛沢東率いる八路軍の政治組織である共産党が政権を握り、中華人民共和国が成立しました。中国史では調整は小間追切7美化されていますから注意。

ざっとこんなところ、毛沢東は清とも日本軍とは戦っていません。
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1911年春、19歳の時に毛は長沙に赴き、湘郷駐省中学への入学を希望しました。

同年、辛亥革命が勃発すると、清中央政府に反旗を翻した湖南駐屯の第25混成協第50標第1営左隊に入隊しました。 勿論清朝を倒すためです。 しかし半年後、清朝が事実上崩壊したことにより、毛は軍を除隊して学校にもどりました。 毛は清朝を倒そうとは思いましたが、まだ若すぎて乗っ取るまでの野望はありませんでした。
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>産党の毛沢東は、清王朝を滅ぼして乗っとる気だったのですか?



要約:私は毛沢東しか知りません。

回答:その気はなかったと思います。
理由:既に滅びたものを更に滅ぼす事はできない。

清王朝の滅亡は、国民党が溥儀を退位させて中華民国を樹立した事によるものです。



>ソ連共産党も

革命を起こしたのは、ロシア社会民主労働党 です。
「共産党の毛沢東は、清王朝を滅ぼして乗っと」の回答画像6
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ちょっと長いですが、簡単にまとめるとこんな感じです。



【清の時代】
清はヨーロッパの諸国や日本などが侵略して、テクノロジー的に大きく劣っていたためボコボコにされて、さらに内側でも反乱が起きたりして弱体化していきました。
もはや清のパワーが風前の灯火になった頃、孫文が現れました。

孫文は伝統的な中国のやり方では海外に勝てないので清を倒して新しい国のもと近代化を図ろうとしました。
こうして孫文によって起こされた反乱を辛亥革命といいます。
辛亥革命により清が滅ぼされ、新しく出来た国が中華民国です。

【中華民国・中華帝国の時代】
しかし中華民国の軍事を牛耳っている袁世凱という人物が、その軍事力をちらつかせて孫文を追い出してしまいました。
袁世凱は調子に乗って皇帝を名乗り中華帝国という国を建てます。
しかしあまりにも調子に乗り過ぎちゃった行為だったので国内で反乱が起きてしまい、すぐに中華民国に戻します。
袁世凱はあまりに無茶苦茶やったので、中国各地で様々な派閥が争い合う内紛状態になってしまいました。

日本に亡命していた孫文が中国に再度渡り、この混乱を収めようと頑張りますが、その途中で病死してしまいます。
孫文の遺志を継いだ蒋介石という人物が派閥勢力をボコしていき、中国を再び統一しました。

【中華人民共和国が建国するまで】
そんな中、蒋介石とは別の謎の勢力が力を付けていました。
その謎の勢力のリーダーが毛沢東です。
毛沢東はロシアからの支援もあり蒋介石とバトルを繰り広げていたのですが、東側からヤバイやつがケンカを吹っかけてきました。
それが日本です。
ケンカの結果、中国の北東側をごっそり支配される形となります。
これを満州事変といいます。

内側で揉めている場合じゃなくなった蒋介石と毛沢東はタッグを組みます。
しかし日本は中国が負けたというまで殴ることをやめようとしませんでした。
こうして起きたのが日中戦争です。

世界はそのまま第二次世界大戦に突入し、世界がぐっちゃぐちゃに争い合うのですが、色々あって日本が負け満州を中国に返しました。

こうして日本からの脅威がなくなった中国では再び、蒋介石と毛沢東がバトルを開始するのですが、毛沢東の巧みな戦術により徐々に負けて行き、結果、蒋介石は台湾へ逃げ込むことになります。

こうして中国全土を支配した毛沢東は中華人民共和国を建てました。
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毛沢東も金日成もソ連の傀儡です



毛沢東は清の人民である女真族を絶滅させた
洗民ですね
同じ手段で多くの少数民族を絶滅に追い込んでいる
今はチベット族とトリキスタン人を絶滅させようとしている
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この回答へのお礼

尊い民族、小さな村や社会、人間を破壊することで人類を平等にし、人類を、平等論者いわば支配階級(共産党)の餌食にしようという魂胆でしょうか。

お礼日時:2020/09/24 15:10

NHKや朝日新聞社の[敗戦革命思想]に洗脳された関東軍幹部連中が、日本敗戦後、ソ連軍の指揮下に入り、八路軍を指導して、中国国民党軍を撃破していった結果、中国共産党が大陸の支配権を握ることになった…


https://monqu.web.fc2.com/ChronologicalTable.html
「共産党の毛沢東は、清王朝を滅ぼして乗っと」の回答画像3
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この回答へのお礼

共産主義は平和と遠く、野望、野心、人間の欲や嫉妬、憎しみの塊。洗脳とは怖いものです。

お礼日時:2020/09/24 15:15

袁世凱だった筈だけど


北京占領して帝政を停止したのは

ロマノフ王朝も直接共産党がではなく、他の政治勢力も含めて民衆による蜂起による
その後の政治闘争の中でボリシャビキが主導権を握った

あんまり単純化しすぎると本質が見えなくなるよ
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この回答へのお礼

民衆を煽ったわけでしょう?民衆煽動家が。

お礼日時:2020/09/24 14:53

いいえ



清王朝を滅ぼしたのは 今の台湾です

中国が共産化した理由は
「民族資本」(日本で言うとトヨタやパナソニック)が育っていなかったので
漢民族の民族自決権を実現するために立ち上がった層が
共産主義者だったからに過ぎません
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この回答へのお礼

最終的に、溥儀は中国共産党に捕まり、思想改造のための再教育(共産主義洗脳)を施され、中国共産党幹部の下に平等にさせられ、動物園で働かされています。

お礼日時:2020/09/24 14:46

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