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薩摩藩英国留学生は西洋の技術、軍事科学を習得する為に派遣された組織なのでしょうか?
多くの人間が理数系の学問を学んでいる様でした。
科学技術も勿論大事ですが、それ以上に政治経済、法律などは重視されなかったのでしょうか?

A 回答 (2件)

> 薩摩藩英国留学生は、…… 多くの人間が理数系の学問を学んでいる様でした。



そうなのですか?

https://www.wikiwand.com/ja/%E8%96%A9%E6%91%A9%E …
1865年5月28日(旧暦)にイギリス到着後、一行19名のうち、引率係の新納久脩、寺島宗則、五代友厚と、通訳の関研蔵、年少の長沢鼎を除いた14名が、3か月の語学研修ののち、ロンドン大学のユニバーシティカレッジの法文学部聴講生として入学し、先に入学していた長州藩の留学生2名(井上勝と南貞助)とともに学んだ。長沢はアバディーンのグラバーの家に預けられ、地元の学校に通った。大学では、英国軍事学の基礎とも言える歴史・科学・数学などを主に学び、約半数が経済的理由により一年後の1866年夏に帰国した。
残留した学生たちは、学業のほか、欧州各地を訪問するなどしたのち、一部はシャルル・ド・モンブランの紹介でフランスに転学、森有礼、鮫島尚信、長澤鼎、吉田清成、畠山義成、松村淳蔵の6名は、英国下院議員ローレンス・オリファントの「日本再生のために役立つ」という勧めに従い、オリファントが信奉する宗教家トマス・レイク・ハリスが創立した宗教共同体「新生兄弟」のコロニーに参加するため、1867年夏にアメリカに移った。

選りすぐりの優秀な人達なので、短期間に大量の高度なことを学んだのでしょう。
それにしても、語学研修から始めるくらいですから、基本的な知識と社会や産業、経済、軍事などの概要から、自分の見識を高めることがねらいだと思います。
技術者や学者・研究者になるための研修にいったのでは、本人達も思ってないし、送り出す薩摩藩などもそうは考えてないでしょう。
為政者、政策立案・検討・推進の主要人材を育成するのがねらいだったと思います。
https://www.sankei.com/region/news/150911/rgn150 …
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薩摩藩英国留学生は、ロンドン大学のユニバーシティカレッジの法文学部聴講生として入学し、英国軍事学の基礎とも言える歴史・科学・数学などを主に学びましたが、法文学部に入学したわけゆえ、当然政治経済や法律も学んだでしょう。

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