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②信長は徳川家康に子・信康と妻・築山殿が武田氏に通じているとし、処分を求めたのですか?

A 回答 (5件)

どこかの学者の説で面白いものがありました。


もともと、徳川家は三河出身者ですが、遠江を支配するようになり、その国の土着豪族を従えていくと、三河出身者と遠江出身者の派閥ができ実は対立構造が出来上がっていた。遠江出身者は武田氏が力が強いと領土を安堵できないため武田氏と対立し、一方三河は武田氏と対立すると奥三河から攻められるため融和政策をとった。三河出身者は当時の岡崎城主であった信康を支持し結果家康と対立することとなる。しかしここで家康が独断で信康を処罰すると徳川家が分裂し、また将来子殺しの悪名を着せられる可能性があることから、「信長に命令されて仕方なく」という形をとった(もしくは江戸時代になり神君家康を貶めないようにそのように書籍を記述した)という説です。それを聞いてなるほどなと思いましたね。
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史実では、求めていないようです。


家康が勝手に信長の意を忖度し、
先走っただけのようです。
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①元々,築山殿は武田氏の有力な武将の娘であり,武田贔屓であった。

子の信康も母の築山殿の影響を受け武田贔屓となった。信康は信長の娘を妻としていたので,信長は信康の妻となった娘から,そのことを聞いていたと思います。
②天下を統一するために信長は家康と同盟を結びます。天下統一には武田氏が邪魔になり,武田氏を滅ぼしたかったから,武田贔屓の築山殿と信康を葬るように家康に命じたもので,それを実行することで家康の信長に対する忠誠が真実かどうかを試したものとも言えます。
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家康の嫡男「信康」に自分の娘を嫁がせていいたので


その筋から情報が入った可能性があります
また、そのような事実はないが、ふっかけて家康を試した可能性もあります
家康に正妻と嫡男を殺すように言って、無理難題を押し付け
織田家に対してどう反応するか見ていた可能性もあると思われます(当時、信長を裏切る家来、大名が続出していたので、家康はどうなのかと疑心暗鬼になっていたのかもしれません・・・)
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信康に嫁いた娘の愚痴をオーバーに受け止めた。

その娘からの手紙にあることないこと、書かれていたと。
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