アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

お年寄りに戦前の記憶を尋ねると、食べるものが無かった、身売り、小作農という話を聞くのですが、史実では戦前の日本は国際連盟で五大国の一つでもあり、列強と呼ばれた大国だったはずです。

植民地経営もしており、旧帝国大学を中心に高等教育が行われ、軍部は空母機動部隊まで保有し、真珠湾に殴り込みに行ったのが開戦前夜だったと思います。

もし、本当に貧しかったら、読み書きそろばんなどすらわからないでしょうし、高度な科学技術など夢の夢で、江戸時代のような生活をしていたと思うのですが、当時の日本を世界基準でみると、貧しい国扱いだったのでしょうか?

日本国内で格差があっただけで、世界的にみれば裕福な国だったのではありませんか?

現在でも、例えば月収20万といえば貧乏生活かもしれませんが、日本円で20万円を途上国で換算するとちょいお金持ちになりますよね?

A 回答 (16件中1~10件)

世界基準で当時の生活を「裕福・貧しい」と判断するには「何をもって裕福(貧しい)とするのか?」という前提をきちんとしないとダメでしょう。



たとえば現在の「世界」なら「電気・上下水道・道路・公共交通などが誰でも利用でき、自動車の所有もほぼ誰でもある」のが先進国で、そこに至る途中の国が途上国、これらの基準がほとんど無い国が貧困国であるといえます。

「戦前」というのを昭和10年前後とすると、日本の富のレベルは
・インフラ
電気・水道・道路などは西洋列強には追いついておらず、公共交通は軍事に必須なので割と頑張っていた。

・工業
アメリカでT型フォードが発売されたのが1908年(明治41年)、昭和10年だと欧米には庶民が所有する自動車もあったが、日本ではようやく国産車の販売が開始されたばかり、車を所有できたのは開業医などで、今でいえばヨットを持っているのに等しいレベルだった。

また、紡績などの軽工業は産業革命以後19世紀前半には欧米に普及し、余剰生産分は、各国がもつ植民地に販売された。
 日本も明治初期から軽工業は発展したが、国内分を超える余剰を国外に押しけるような搾取は行わなったので、西洋列強のような「富の収奪」はほとんど為されなかった、とされる。

・農業
食に関しては、ヨーロッパは植民地から安く大量に食料品を輸入できたのでバリエーションに富んだ食事が安くできた。アメリカは国内生産が過剰だったので、これも安かった。またどちらも船やトラックなどの輸送手段が安かったので、地方でも比較的よい食事ができたし、欧米では1910年代にエンジン式トラクターが開発され、大規模で効率のよい農業生産が確立された
 
日本は台湾や韓国・満州などから米などは安く輸入されたが、地方への輸送手段は欧米に比べると限られていたので、まだまだ地産地消が基本で欧米に比べると貧しく、また農業の機械化はほとんど導入されなかったので「人力」だけが生産手段であった

・当時の植民地国の現状

基本的にすべての植民地人は「本国に富を移転させるための小作人」であり、農業や工業原材料などの生産を行っていた。ただし、給料は安く、教育もほとんど与えられず、わずかな給料も本国からの工業製品を買うことで、本国に搾取された。
 「貧困」とは「インフラや工業化など『資本』となりうる、富の蓄積ができない状態」から生まれていた。


日本は当然ながら植民地とは雲泥の差があったといえます。小作人は今下が、普通に生活できるなら服もちゃんとしていたし、食事も医療もそれなりに受けることができました。この点は西洋列強でも地方の貧しい人々なら日本とそれほど変わりがなかった、と言っていいでしょう。

ただ、日本の「国としての富」は欧米に全くかなわなかったので、インフラ整備も遅れていました。経済用語でいうと「ストック」に当たる部分で、西洋列強国は何百年にも渡る植民地支配から、本国のインフラ整備を行い、電気や上下水道、道路敷設や鉄道網などの基盤がすでに整っていたわけです。

日本は明治以後の富国強兵政策で作りだされた「富」で、西洋から技術を買い、初期には鉄鋼品や生産機械なども全部輸入していたので、どんどん外国に「富」が流出していったわけです。
 当然その分日本国民の生活に掛けるインフラ整備などは遅れますから、生活レベルという点では欧米のような「おいしいものがいつでも沢山」では無かったし、医療も「病院がどこにでもあって薬なども豊富」ではなかったし、教育も「高等教育はかなりエリートな人だけが受けられるもの」だったといえます。

だから西洋列強に住む人が日本にくれば、ちょうど現代の日本人が東南アジアやアフリカの途上国に行ったときと同じように「道路は穴だらけ、建物は小さくて貧しい、食事もいつも同じものばかり」という印象を受けたことでしょう。そういう意味では確かに日本は西洋列強よりは貧しく、当時の植民地よりは確実に豊かだった、といえます。

ただ、日本の場合は、江戸時代までの「インフラ」的なものがあり、教育・米生産などの近代化・工業化を必要としない部分では、西洋列強と同じレベルであったといえます。

特に教育に関しては、明治維新の時点で日本が欧米よりも高い識字率を誇っていたように、子供たちの初等・中等教育は西洋列強と同レベルであったといえます。(これがGHQが驚いた日本人の識字率の高さにつながります)
 ただ高等教育だと、科学にしても技術にしても西洋から輸入してくるので金がかかり、場合によっては留学させることになるので、エリート限定であったわけです。

また食料に関しては、田畑の開発が進んでいましたので「飢える」という事はほぼ無かった、し料理の方法や素材もバリエーションが十分に有った、といっていいです。小作人が苦しいのは「個人的な経済問題」という点も大きく、それは豊かな現代でもホームレスが居るのとあまり変わりないわけです。

もっとも「強靭な肉体を持った兵士」を作るには、たんぱく質などが不足していました。だから当時の日本兵は欧米兵士とくらべて確実に小柄であったわけです。現代の日本人の平均身長は世界35位と、欧米人とそれほど変わらない体格なのは「戦後、肉食が普及したから」ですから、やはり戦前の日本の食事、とくに栄養価に関しては欧米に比べて「貧しかった」といえるでしょう。

また、戦前の日本は平時でも軍事費が国家予算の3割を占めていました。戦時中は最高9割まで軍事費でした。
 つまり「富の再分配」とか「社会福祉」に回る予算は少なく、インフラ整備(ストックの充実)も軍事関連以外はなかなか進まなかった、ということで、何百年も植民地から富を吸い上げてきた西洋列強と同じ水準に追いつくことはできなかったわけです。

(追いついたのはオイルショックで日本が高度成長しGDP2位になった後バブルぐらいまでの間、それでも電線の地中化など今でも欧米と同等ではないという考え方もできる、ただし地震国の日本はインフラの建築費が欧米の3倍かかるので、ストックとしては同等といえるだろう)


ということで、当時の日本は「西洋列強からみれば、アジアの先進国だけど経済的なストックが100年以上遅れている状態。しかし、当時の植民地からすれば完全な先進国」だったといえます。
    • good
    • 1

今に比べたらずっと貧しかったが、欧米列強に次いで近代化を成し遂げた戦前の日本が世界的に貧しいことはないです。



もちろん貧しい人間は数多くいましたが、それを言うなら現代のアメリカにも貧しい人間は沢山いるわけで、それをもって国として貧しかったわけではありません。
    • good
    • 0

一人当たりGDPで見ると、戦前までは対世界比で0.9あたりをずっとうろうろしてます。

西欧よりは低いが世界全体でいうと平均値あたりということになるんじゃないですかね。
 軍事力がうんたらかんたらというのはどれだけそれに国力を注力したかによりますので簡単に比較することはできませんが、少なくとも明治以降、常時予算の3割を軍事費に割いていたわけですからほかの国よりは相当高いはず(比較資料が見つかりません)。だとすれば強大な軍事力を持って世界の大国の仲間入りはしたけれども、それは民生のレベルでは相当無理をしていたってことになるんじゃないですかね。
 なお、読み書きそろばんを子どもに習わせることは江戸後期くらいからは一般庶民の中でも日常化していたといわれますし、この時代には庶民の間で和算が大流行したってことですので、江戸時代って喰うには困らず、知的な遊びがはやるってレベルであったことが伺えます。これは割と裕福っていっていいんじゃないですか。
    • good
    • 1

戦前の日本は大国です。



教育水準も、江戸時代半ばの将軍吉宗が識字率の向上を政策的に行ったこともあり(権利書・契約書などで文字が読めないと騙されやすくなるので、それを防止する目的)、庶民レベルでは女性も含めて世界一。
明治初期の調べでは、日本全国の寺子屋の数は、現在の小学校の数に匹敵していた。

ただ、欧米列強の軍事力に追いつこうと、富国強兵の旗印の下、国家予算は平時でも軍備と産業活動に予算が回され、民生予算は後回しにされた。ゆえに、特に明治時代は貧乏のイメージが付きまとうことになる。
もちろん、それでも欧米に植民地化され、搾取されていた国々よりはマシだっただろう。

比較的大国としての生活の裕福さが出たのは、主に大正時代だ。
国際的軍縮条約の締結で、軍事予算が抑えられたので、民生予算を増やすことが出来たからだ。それが大正浪漫時代と呼ばれる戦前の華やかさが出現した時代だ。
それも、大陸での紛争が日中戦争に発展していく過程で、再び軍事優先の体制に戻っていくことになる。

また、それらの増額された民生予算は、台湾もそうだが、特に大陸への輸出拠点となった朝鮮の近代化、つまりインフラ整備にも巨額の官民投資が行われたため、日本国内の開発・基盤整備は東京以西にしか行き渡らず、旧賊軍エリアの東北にはあまり回らなかった。

そのため、東北が貧しい地域のまま残され、戦後の主に首都圏への、父親の出稼ぎや子供たちの集団就職に繋がることになった。

そういう状況ではあったが、前述の通り、それでも欧米に植民地化され、搾取されていた国々よりはマシだっただろう。
    • good
    • 1

お年寄りに戦前の記憶を尋ねると、食べるものが無かった、


身売り、小作農という話を聞くのですが、
史実では戦前の日本は国際連盟で五大国の一つでもあり、
列強と呼ばれた大国だったはずです。
 ↑
現代と比べれば貧しかったです。
祖父などは麦飯ばかりだったし、
ほとんどが小学校しか行けませんでした。



植民地経営もしており、旧帝国大学を中心に高等教育が行われ、
軍部は空母機動部隊まで保有し、真珠湾に殴り込みに行ったのが
開戦前夜だったと思います。
 ↑
日本の植民地政策は西洋とことなり
赤字でした。
西洋列強に対抗するため、赤字を出してまで
インフラを整えようとしたのです。

列強の侵略に備えるため、民需を犠牲にし
軍需に傾倒したのです。



もし、本当に貧しかったら、読み書きそろばんなどすらわから
ないでしょうし、高度な科学技術など夢の夢で、
江戸時代のような生活をしていたと思うのですが、
 ↑
江戸時代をバカにしてはイケませんね。
識字率はおそらく世界一でした。
寺子屋などでは対数やルートを教えて
いました。
数学は和算といわれ、世界有数でした。
大きな城の石垣などは、カテナリー曲線
と言われ、上からの圧力に理論上最強の
曲線が使われていました。



当時の日本を世界基準でみると、
貧しい国扱いだったのでしょうか?
 ↑
生産力などは米国と桁違いでしたから
欧米先進国と比較すれば貧しかったのです。



日本国内で格差があっただけで、世界的にみれば裕
福な国だったのではありませんか?
 ↑
アジアやアフリカの貧困国に比べればね。



現在でも、例えば月収20万といえば貧乏生活かもしれませんが、
日本円で20万円を途上国で換算すると
ちょいお金持ちになりますよね?
 ↑
なりますね。
30年ぐらい前では、中国人などは日本円で
3千円あれば、家族四人が普通の暮らしをする
ことが出来ました。
    • good
    • 1

国際連盟で五大国の一つは、その通りではあるけどそれを理解する為には、当時の時代背景を理解する必要があります。

1.アジア・アフリカ諸国は列強の植民地であって独立していなかった。2.日本は戦前から人口大国であった。3.第一次世界大戦・革命の結果、ロシア帝国・ドイツ帝国・オーストリア帝国・オスマン帝国の4大帝政が瓦解した。4.産油国は、まだ油田が発見されていないか、発見されていても十分開発されていなかった。それらの事情によって日本は相対的に大国ではあったが、決して裕福だった訳ではありません。大国といえば聞こえは良いが、人口が多いのだから規模で大国だっただけに過ぎません。植民地経営といえば聞こえは良いが、実際は負担だっただけです。どれ一つとして油田も鉱山も発見されていない。公務員の天下り先を確保する為に近所の問題児を養子にしたような話なんです。戦前の日本が裕福になれる材料なんてどこにもありません。貿易立国でも観光立国でもありません。帝国大学といえば聞こえは良いが、そもそも戦前は大学の数自体が少なかった。今日のほとんどの公立大学・私立大学は戦後に設立されたものなのです。戦前の日本は弱肉強食のむき出しの資本主義です。公的保険・公的年金などのセーフティネットも無い。官公庁による企業統制もありません。つまり財閥のやりたい放題だった訳です。超格差社会です。娘を身売りするしかない小作人もあれば、売られた娘を買う寄生地主もいる。昭和東北大飢饉・帝都三大貧民窟、これのどこが裕福なんですか?ふざけるのもいい加減にしてほしい。憤懣やるかたない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まあ冷静に考えましょう。

まず、植民地でなく人口が多いだけなら、中華民国もそうですよね。
日本よりも国土は広いですし、人口も多かった。
しかし統治能力が脆弱だった。
帝国大学というのは、当時の最先端という意味では戦艦大和も零戦も、帝大出身の技術者によって造られました。

小作人でも身売りされる娘でも、義務教育は受けられた。

こういった事実を考慮して、それでも世界の中では貧乏国だったのか教えてください。

今の日本だって、例えば生活保護以下の生活水準の人はいますが、彼らの収入を多くの途上国基準とするば、けして安くはありません。

日本国内では貧乏でも、世界基準ではそうでもないということもあるのです。

お礼日時:2021/03/11 07:38

No.9です。



大変失礼致しました。

世界と比べて、、、でしたね。

世界にも、いろいろありますからね。

イギリス、アメリカ等と比べれば、貧しい方だったと思います。

しかし、朝鮮半島、中国、アジア諸国と比べれば、豊かな方だったのでは?

と思います。
    • good
    • 0

No.7です。



回答お礼ありがとうございました。

「貧しい」というのが、令和の現在と比べたら、、、

ということでしょうか?

当時は、右も左も、ほぼ、同じでした。

ですから、「貧しい」という感覚は、当時の人には無かったのでは?

「令和」の現在と「比べれば」貧しい、、ということになるでしょうが、、。

精神的には、今より、豊かだったと思いますよ。


⁂それから、メキシコの爺さんへ。

「平成天皇」という呼び方は間違いです。   
◯◯天皇、、、という場合、「亡くなられてから」の呼称です。
令和の現在の天皇は「今上天皇(きんじょう てんのう)」です。
美智子様達の場合、お元気ですので「上皇陛下、上皇后陛下」ですね。

他の回答者さんに呼びかけるのは、ルール違反になりますが、
少し、気になったものですから。すみません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あのー、私の質問は当時の世界の国同士で比較してなので、今と昔を比較しているのではありません。

それからメキシコ氏のことですが、実は彼は前から無知な回答を私の質問にしてくるものですから、今回も様子を見ようと思っていたところです。

お礼日時:2021/03/11 04:45

はい、貧しかったです。

それでも、子供は義務教育は受けさせるのは当たり前という考えでした。戦後でも、かなり貧しかったです。

日本が貧乏から脱出し始めたのは、平成天皇が美智子妃とご成婚のあたりで、1964年の東京オリンピックと大阪万博で大きな弾みに。それから10年の国民すべての努力で1ドルが360円から240円にもなり、やっと貧乏から脱却と。

しかし、2021年でも住宅環境は、残念ながら貧困から脱却は卒業できていません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

何か世界と比較できるデータはありますか?

お礼日時:2021/03/11 00:35

世界的には、とても豊かな方だったのでは?



と思っています。

まず、植民地になってませんし、、、。

地域、個人によっても違ってきます。戦前のお年寄りでも、

豊かに暮らしていた人はおられますから。

あの日本の大東亜戦争によって、アジア諸国は、白人による

植民地から独立できましたし。

アジア諸国を白人による植民地から独立させた、、、ということは、

かなり豊かであった、、、と思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

植民地から独立させたから豊かなのですか?

それ日本の豊かさと何か関係がありますか?

お礼日時:2021/03/11 00:39

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!