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日ソ(日露)の関係について詳しい方教えて下さい。


小説を書いていて、1945年生まれの日本人男性が1968-1975年ごろにロシアに渡って一定期間滞在している最中にそこでロシア人女性と知り合うというエピソードをどうしても入れたいのですが、男性がロシアに渡った理由としてどんなものが自然でしょうか?
ロシア進出を狙う日系企業の社員で現地調査に向かったというのが自然かと思ったのですが、果たしてその頃そんなことをしていてもおかしくないでしょうか?
そしてもしそういう設定にするならどんな企業が自然でしょうか。やはり製造業?

少し調べてみたのですがやはり付け焼き刃の知識だと粗が出そうで怖いのです。
締切が今月中なので、どなたか詳しい方の知恵をお借りしたいです。

gooドクター

A 回答 (4件)

冷戦中で鉄のカーテンと呼ばれる秘密主義の国ですので、取引は限られています。

モスクワに滞在しているとすれば、以下ぐらいでしょうか。
・ウォッカやキャビアの貿易
・ロシア語、ロシア文学の留学
・バレエ等の芸術芸能関係の留学
・外交官

商社にしてもかなり限定的。1967年より少し前であればモスクワ・東京の航空便開設に走り回った人とかもありうるでしょう。

シベリア(ナホトカとかハバロフスクとか)ですとニチロ等の海産物貿易の大手企業がスコープに入ってきます。
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冷戦まっただ中とは言え、一定の貿易や観光はありました。


ウォッカやキャビアはソビエト産。
知人でも観光で行っている人が結構います。その辺りは、北朝鮮とはかなり温度差があります。
ただ、どこへでも自由に行ける事はなく、外国人立ち入り禁止みたいな区域も沢山あったようです。なので、一般の、本当に普通のロシア人と「親密な」知り合いになるのは結構難しいかもしれません。相手するのはほとんど政府職員。でも亡命したがってるかも?w(もちろんKGBも混じってる)
貿易を考えている日系企業もアリでしょう。簡単ではないにしても、向こうもドルは喉から手が出るほど欲しい。(もちろん日本企業でもドル決済)
観光でシベリア鉄道横断なんて事もだいたいはできたはずです(ちょっと時代がずれるかも?)
日ソ友好協会とかありましたね。ロシア語講座は短波(中波)のソビエト国営放送にもありました。中波はニッポン放送だったかのすぐ隣で、強力な電波飛ばしてくるので夜間などはしょっちゅう混信してました。まあ、それが狙いなんでしょうけど。
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>1968-1975年ごろにロシアに渡って…



私はちょうどその期間、東京で新社会人時代を過ごしました。
その前年昭和42年に羽田-モスクワ間に定期航空路が開設されましたが、少し遅れて新潟-ハバロフスク間にも小型機が週何便か就航しました。

ハバロフスクからはシベリヤ鉄道でモスクワ、さらにパリを初めヨーロッパ各地へ安く行くことができると、月刊誌『旅』(日本交通公社) に載っていたのに興味を覚えたものです。
NHKラジオ第二の「ロシア語講座」を聞きかじってみたりもしましたが、結局、安サラリーマンには夢のまた夢で終わってしまいました。

そのころに企業進出はほとんどなかったと記憶していますが、観光では徐々に行けるようになり始めた時代なのです。

ところで、下記の本はご存じでしょうか。

『日ソ・日ロ経済交流史 ロシア・ビジネスに賭けた人々の物語』
著者 日ソ・日ロ経済交流史出版グループ (編著)
https://honto.jp/netstore/pd-book_03033635.html
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質問者さんはソ連とロシアの違いもあまりご存知ない様子ですね。

まずはWikipediaでソ連のことを一通り読んで基礎知識を頭に入れましょう。

その時代だとフルシチョフ、ブレジネフの時代で冷戦の真っ只中です。「ロシア」進出を狙う日系企業などありません。
当時農業政策でも大失敗していたから、農業の技術指導でソ連に渡ったという方が良いかも。
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