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ロシアが東に進出してくる前はその辺りに国家というものが存在したのでしょうか?
無法地帯だったのでしょうか?
中国が万里の長城を建設、守備したくらいなのですから少なからず大きな集団(団体、遊牧民など)の組織があったわけですよね?

もし遊牧民などの国家があったのなら一つの国として残ったモンゴルとの違いはなんだったのでしょうか?

A 回答 (4件)

シベリアの領土には先住民がまばらに住んでいましたが、


スターリンのグーラグ政策により、各地に収容所を開設し、
1950年代のピーク時は、収容人数は250万人もいました。
500箇所近くの複合施設が作られ、それぞれが何千もの収容所からなり、各収容所に数百人から数千人収容されました。
この巨大な囚われのロシア民族の労働力の大部分は、直接、極寒の辺境地帯の中心部に送り込まれ、鉱脈を開拓し、森を切り開き、道路や橋や鉄道や工場を作りました。多くの囚人は無事に刑期を終えても帰還を禁じられました。このため、何百万人もの流刑者やその家族が収容所付近に移住し、町や都市が発展しました。
ノボシルビスク、オムスク、エカテリンブルク、ハバロフスク、クラスノヤルスク、イルクーツク、トムスク、ボルクタなど、血と富の途方もない犠牲を払って、母なるロシアはシベリアを都市化しました。
注)2050の世界地図 迫り来るニュー・ノースの時代
  ローレンス・C・スミス著 小林由香利訳
  第7章 環北極圏の人口とグローバル移民 p242・243から抜粋
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/03 14:28

ありましたよ、まずキリストを信仰させて


文明を与え統治してるがそこいる先人民族に自由に活動OK
意外と戦争ほど殺し合いをしないで拡大した。
200以上部族、10以上の人種をまとめのちに帝国が生まれる。
さらにそのごは帝国同士で争う事になるわけだ
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/03 14:28

国家とは何か?


この定義次第でしょうね

部族集団は存在していたでしょう
現在もロシアの少数民族として暮らしているのですから

違いは、大規模な集団組織にはならなかった
文字を持たない、もしくは記録が残っていない
遊牧性の生活なので、持ち運べる範囲のモノしか所有しない
収蔵するような建物なども無いので記録が残らない
そういう事でしょ

長城などは、満州系やモンゴル系の民族でシベリア凍土よりは気候もマシで
集団化が進みやすかった
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/03 14:28

シベリア辺りはエスキモーの先住民が住んでいたことから、様々な民族が居たと想像できます。

ただし仰るように、国家の体をなしてなく遊牧民のように移住の繰り返しをしていた可能性もあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2021/04/03 14:28

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