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自分で日露戦争が気になったので、調べているのですが、原因、結果はわかりました。
しかし、どうしても経過がわからないのです。
どなたか分かる方教えてください。

A 回答 (4件)

まず前提として、明治の政治家はかないリアリストであり、自国の実力と国際情勢を冷徹に比較して、長期戦には耐えられないことを承知してました。


そこでロシア陸軍が極東に展開する前に旅順のロシア東洋艦隊を叩き、その上で遠路からくるバルチック艦隊を破って、有利な条件でアメリカに和平の斡旋をしてもらうと言う計画を立てました。
この旅順攻略の第三軍に指名されたのが、乃木稀典になります。
この指名は10年前の日清戦争で、乃木が旅順を陥落させた実績に依りますが、結果的には裏目と出ます。
悪い事に彼の参謀に起用されたのが伊地少将で、例えて言えば長島監督-中畑コーチのようなイケイケの組み合わせになってしまいました。
一方ロシアは知将:ロマン・イシドーロウィッチ・コンドラテェンコ少将を派遣、彼の指揮のもと堅牢な要塞に改築されます。
因みにロシア側もこのコンドラテェンコ少将が要塞防衛司令官になった為、軍司令官:ステッセル、要塞司令官:スミルノフとで指揮系統が乱れ、後日の悲劇に繋がります。
さて明治37年8月19日乃木の総攻撃が始まると改装なった要塞は抜群の堅牢さを示し、日本軍を撃退します。
コンドラテェンコ少将は次の手として日本軍の退却に合わせて伏兵を隠しておき、反撃するという作戦を立てますがステッセル中将はこれを却下。
前線を視察して欲しいとの要請も跳ね除け、一人コンドラテェンコ少将だけが前線の兵士と直接会って励まして廻ります。
一方猪突猛進を繰り返す日本軍に満州軍総参謀の児玉源太郎が28センチ榴弾砲と共に到着。
ロシア要塞は15センチ砲を想定して作られていますからこれは予想外、コンドラテェンコ少将は東鶏冠山北砲台の視察中に砲撃にあい戦死、これで帰趨は一気に決まります。

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詳しくは「歴史街道9月号」を。

参考URL:http://www.php.co.jp/magazine/rekishi/
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 少し長編ですが司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでみてはいかがですか。

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この映画を見てみたら?


おすすめです。

参考URL:http://store.nttx.co.jp/_II_D110886522
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