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東洋史について詳しい方教えてください。 中国の清朝皇帝とイギリス人のマカートニーの考え方の違いとはなんですか?どう思いますか?

A 回答 (1件)

産業革命を達成した英国は、中国を大きな市場と考え、


綿織物などの工業製品の輸出を進めようとした。

清朝政府は欧米船については入港を広州一港に限定し、
しかも特許商人の組合である公行だけに管理させていた。

イギリスはこのような管理、制限を撤廃し、自由な貿易を保証する条約
締結しようと考え、マカートニーを使節として派遣することとなった。

ただ直接の貿易交渉では受け入れられないので、乾隆帝の80歳の
祝賀を国王ジョージ3世に代わって申し述べることを名目とした。

1793年9月、北京北郊の避暑山荘で乾隆帝への謁見を許された。

清朝はあくまで従属国の朝貢使節として扱い、三跪九叩頭
の礼を求めた。

イギリス国王の使節で誇り高いイギリス紳士マカートニーとしては
それを拒否した。

結局、乾隆帝が度量の広いところを見せて遠来の労を労うという口実に、
イギリス流に片膝を就いて親書を奉呈することで決着した。

こうして謁見は実現したが、目的の条約締結については
一切交渉できずに終わった。
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