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関羽死後、劉備は華雄の敵討ちの為に呉へ攻め込みますが、この時諸葛亮の助言に従って他国の動向を見ながら戦略を立てていたら、歴史は変わったのではないのですか❓

A 回答 (5件)

羅貫中の三国志演義は、陳寿の書いた歴史書の三国志を元に書いた、


フイクションを追加した、言わば小説です。
読者が如何様に解釈して、自分流に物語を展開して、楽しむのも
宜しいと思いますよ。
歴史書の三国志には貂蝉がいないので、つまらないです。

陳寿の書いた歴史書の三国志の「魏書」に、魏志倭人伝が有ります。
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羅貫中の三国志演義の原本は無くなっているので、色々な三国志演義
が中国には有るようです、研究者の方の話では、主役は義の人・関羽雲長
で、智の人・諸葛亮孔明、仁の人・劉備玄徳が準主役だとか。
羅貫中の頃には、既に関羽雲長が商売の神様として、信仰されていたのと、関係が有るようです。
清朝時代の毛綸・毛宗崗父子によって校訂したのを、立間洋介が和訳して、
その和訳本を元に吉川英治が三国志とした物が日本では広く読まれ、
更に、吉川英治の三国志を横山光輝が漫画にしたので、若年層まで
広まりました。
立間洋介の和訳本と吉川英治の三国志では若干、内容が違います。
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こんなのがあります。



三国時代は、英雄たちが群雄割拠した時代だと思っているようですね。
私もかつてそのように考えていました。
しかし残念ながら、史実はちがいます。

約五千万人あった人口が後漢末の内戦と飢饉で激減してしまい
三国時代のはじめには五百万人ぐらいになってしまったということです。
魏が二百数十万人、呉が百数十万人、蜀が百万人弱という状態でした。

つまり、人口が多く英雄豪傑が多数輩出して三国時代が始まったのではなく
魏・呉・蜀が小さく分かれて成立し、人口が少ないために兵力も不足して
決定的に相手国に勝てずにズルズルと続けていたのが、三国時代の真相です。

ですから、関羽が生きていら蜀が続いていたかと言うと
その可能性は低いでしょう。
むしろ人口を増やし兵力を増強させた国が有利でした。
例えば、本文でも書いておられますが「南蛮討伐」です。
(七縱七禽の故事が登場する戦い?)
これも孔明が人口を増やす目的で始めた「人狩り」でした。

三国の中で人口増加(兵力増強)に一番成功したのが曹操の魏でした。
魏は北方の遊牧民族を自軍の騎兵に編入することに成功します。
魏は、軍事力で呉・蜀より優位に立つことになるのです。
それがやがて晋(魏)の中国統一につながるのです。

「世界史誕生」 (岡田英弘 筑摩書房)を参考にしています
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華雄の敵討ち?

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この回答へのお礼

そこそこーーー
ナイスツッコミ

お礼日時:2021/08/10 22:25

歴史には、「~たら~、」「~れば~」が付き物ですからね。



結果は諸葛亮の助言を聴いていたとしてもどうなるかは分かりません。
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多分ね。

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