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コロナ渦において文系大学生がキャンパスに出向いてまで大学に行く意味って何ですか?家でもオンライン授業やレポートは提出できますし、理系のように実験はないし… 本当に何のために登校するのでしょうか? 何か意見欲しいです。

質問者からの補足コメント

  • 回答ありがとうございます!
    能動的とか学問だけじゃないとかの意見がありますが、全てそれ自分でできると思うんです。
    今は、pcとかでも論文も見れるし
    バイトでも出会いもあるし、何なら高校生のときでも出会いはあるし…
    本当に何のために行くんですかね?

      補足日時:2022/04/23 14:39

A 回答 (13件中1~10件)

学問するだけが学校の価値ではなくて、クラスメイトや先輩後輩と交流する事も、学校の価値。

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大学って、講義(授業)を受動的に受けるところではなく、能動的に「学問、研究」をしに行くところだからね。


「学生生活を送る」という人生の場でもある。
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大学に行けば大学の図書館やその他の大学の施設を利用できます。

これは結構大きいと思います。
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勉強するついでに異性に出会い、交流を深め、お付き合いし、おセッセするため。


家から出るのがダルいならデリヘルで満足する手もある
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いづれはそうなって


授業料も安くなるのでは。

コロナで気づいたのでは。
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それをいうなら「コロナ禍」。

文系大学生としてはちと恥ずかしい。

それはともかく、オンライン授業ばかりの大学に対して、授業料を返せと言い出す学生がいます。それはなぜ?その学生たちは大学に行くことに意味を持たせているんじゃないから。

大学に行かない方が楽だと思うなら、通信制にした方が安上がりでは?
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社会人ですが、やはり双方向でないとやりづらいです。


オンラインは良いと思うのですが、ケースバイケースですね。
理系は実験、文系はイケる、
と言う考え方も安易だと感じます。
選べるようにして欲しいなとかは思いますけどね。
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コロナ前とコロナ後で大学の半々を過ごした3月の卒業生が、就職した今、「大学というのは『学生が集まる場所』としての意味も大事だった。

大学に行くことに意味があった」としみじみ振り返っています。
オンラインが便利な部分もありますが、やはりどうしてもオンラインでは代替できない学びや交流があるのです。

>今は、pcとかでも論文も見れるし

文系だと分野によっては電子化されていない論文も多いです。伝統的な分野だと、「有料かつ電子化されていない学術雑誌」も多く、そういったものは大学図書館で借りる等しなければなりません。古典的名著・有名論文なども電子化されていないものが多いです。
また、読むべき論文のタイトルがわかっていたら論文を探せますが、図書館の本棚を見て専門書や学術雑誌を手に取って目次を見て「こんな論文がある」という見つけ方は、オンラインでは非常に困難です。検索履歴や関連分野によるサジェスチョンでは、思わぬ発見や出会いはありませんから。

>バイトでも出会いもあるし、何なら高校生のときでも出会いはあるし…

それは「大学での出会い」とはカテゴリが異なります。せっかく「同じ入試を経験してきた、似たようなレベルの学生同士、同じ学部学科という同じ興味を持つ学生同士」が集まる大学という場を選んで学費を払っているのに、そこでの人脈を「バイトや高校の人脈があるから、要らない」というのは、本当に勿体ないことです。
大学卒業後の仕事や生活で続いていくのは、バイトや高校時代の人脈よりも、大学で培った人脈のほう、ということも多いのにね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!一番、しっくりきそうなんですけど、まだ納得いかなくて…

電子化されていないものがあったとしても博物館や、それなら、資料のためだけに大学に行くのでも良いのではないのでしょうか

また、同じレベルの学生が集まって何が生まれるのでしょうか?

お礼日時:2022/04/23 15:25

No.8です。

お礼コメントを読みました。
質問者さんが納得がいかないのは、コロナ前の大学での学びを経験していないからでしょうか。コロナ前の大学を知らずに、イメージだけで「投稿する意味がわからない」と言っているなら、それは机上の空論に過ぎません。実際に両方を体験した大学生の多くが、大学のキャンパスに出向くことに意味があると考えています。

>電子化されていないものがあったとしても博物館や、それなら、資料のためだけに大学に行くのでも良いのではないのでしょうか

博物館や公立図書館では学術論文や専門書の収集に限界があります。収集する資料の得意分野が違うのです。また、公立施設は市民としての利用になりますが、大学図書館の場合は諸遺族学生としての利用になり、公立図書館をよりも学生にとって利用しやすい環境が整っています。有料のオンリ案ジャーナルやジャパンナレッジも、大学が法人契約して、学生は(利用上限の設定があるとしても)無料で利用することができるようになっています。

「資料のためだけに大学に行く」、それでも良いのですよ。人間嫌いで誰とも交流したくない、という人もいるでしょう。少数派でしょうが。それでも、資料のためだけであっても、「大学に行く」ということはしなければなりませんし、そこに大学のキャンパスに行くという価値が生じるのです。

文系でも、演習という、理系でいうところの実験に相当する授業があります。実習よりはデスクワークが多いですが、オンラインで共有しにくい・できない資料を使う必要がある分野もあります。
文系でも専門性が高まれば、教授による指導も双方向じゃないと無理ですし、ゼミ生同士のディスカッションも、オンラインよりは対面の方が活発に進みます。

>また、同じレベルの学生が集まって何が生まれるのでしょうか?

バイト仲間や高校時代の友人と、進学した大学での授業内容や卒論の内容を共有して、ディスカッションすることができますか? そういうことができるのは、学力的に近いレベルの学生同士だったり、大学で同じ授業を受けた学生同士に限られます。学問的環境や背景が同じレベルの学生、ということで、その環境を生かすことに意味があるのです。
大学では、高校までのような学習指導要領や検定教科書で全国的に同じ内容が教えられていて、しかも「必ず答えが用意されていること」しか教わりません。しかし大学はそうではありません。同じような分野であっても、先生によって内容は大きく異なります。「正解」すら違うか、まだ正解が見つかっていない最先端の話題すら出てきます。大学や先生によって授業内容が大きく違うからこそ、そこの大学で学ぶことに意味があるわけです。
学問的環境・背景が大きく異なる人に話題を振っても、前提が異なるので、まともな議論にならないか、当たり障りのない一般論に落ち着けることしかできません。
より深い学びを求めるには、ある程度、その場にいる人との学問的な共通理解が必要なんですよ。

一人で家でやりたい、通学制に意味を見いだせない、と思う人は、最初から通信制大学や放送大学を選べば良いのです。
でも、一般的には通学制のメリットは通信制のメリットよりも多い、と考えられます。
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No.9です。

タイプミスによる誤変換が多くてすみませんでした。訂正します。

×「投稿する意味がわからない」と
○「登校する意味がわからない」と

×諸遺族学生としての利用になり、
○所属学生としての利用になり、

×有料のオンリ案ジャーナル
○有料のオンラインジャーナル

失礼しました。
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