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すれば外交で戦争は回避できましたか?

軍隊を内閣にするのを止められなかった。

日露戦争
日中戦争、この辺りで陸軍の動きを止める事ができたら歴史は変わってましたか?

歴史にもしは、ないけれど

A 回答 (4件)

日本という国は、意外と民意が強い国だ。


明治維新で幕府が倒れた一番の原因は、経済の失政から民意を失い「ええじょないか」の大騒動が発生したことだろう。
一揆も、百姓が農具を武器に代えて武士と戦ったのは例外的な話で、実際には村々の長たちが、命を懸けて領主の横暴に話し合いを求めてストライキを敢行したようなものだった。
このような民意は、天皇の下では四民平等という考え方が古代から培われていたからに他ならない。

それはそれとして、民意は常に正しいわけではない。指導層のリーダーシップが常に正しいとは限らないことと同じことだ。

日清戦争後の三国干渉に対し、特にロシアの横暴に怒った民意が、ロシアを倒すことに熱狂し、政府の弱腰を猛烈に批判。
政府案の軍拡予算案、それでは甘いと更なる軍備増強を望み、貧乏を耐え抜く断固とした覚悟を政府に示した。日露戦争が勃発したのは、そういうロシアとの戦争を望む民意が非常に強かったからだ。だから開戦を知った多くの国民は熱狂した。

日中戦争も、その流れを造ったのは、関東軍参謀石原莞爾が引き起こした満州事変だが、その背景には、民意の満州の利権を巡る欧米への強い反発があったからだ。
だから石原莞爾は法令違反、軍令違反を犯し、本来死刑になるはずのことを平然と周囲を説得して満州事変を実現させ、死刑になるどころか英雄と称えられて凱旋した。

太平洋戦争では、日露戦争ほど民意に熱気はなかったが、陸軍皇道派など一部の過激派の、穏健路線を取ろうする政府や薩長閥に対するテロ攻撃に理解を示す動きが無かったと云えばウソになるだろう。

いずれにしても、民意が対米戦争を望まなかったならば、真珠湾攻撃がなかったことは間違いない。

それはそれとして、敗戦後の経済復興期に、「戦争に負けて良かった」という声が非常に多かった。間違いなく太平洋戦争は大惨事だったが、もう戦争をしなくて済むという安堵感が強かったからだろうか。

戦争を引き起こさなかったら、どうなっていたかは分からないが、今でも陸海軍省が政府で重きをなしており、岸田首相の軍拡案どころじゃない軍備を備えた国のままであったことは間違いない。

今後どうなるのか分からないが、それも最終的には民意が決めることになるのだろう。

民意とは実態が掴みにくくよく分からないものかもしれないが、それでも民意には、問答無用で戦争を始めるのか、あくまでも外交を通じて話し合い路線で行くのか。最終的にはそれを決定づける力がある。
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この回答へのお礼

天皇陛下は、勢いを気にされてました。
民意の勢いか始まる前に芽を摘んだほうがよいと。
80年の時を経て日記が公開され、

東大やらの教授コメントがきけました。

通商で石油燃料が禁止、

米国はまさか日本が戦争へ舵取りするとは思っていなかった。

後に、譲歩案を英国中国に打診したが、断られ

戦争の道を歩んでしまいました。


民意の勢い、世論は怖いです


詳しい回答ありがとうございます

お礼日時:2022/12/15 18:07

全ては欠陥憲法に原因がある。


作った人たちが元気な頃は、「同じ釜の飯を食った仲」だからなあなあで綻びは見えなかったが、作った人たちが居なくなったら、完全に縦割りの弊害が出て「省益あって国益なし」と軍が自分の省益のためだけを優先してああなった。
天皇が軍を恐れずにもっと政府に肩入れしていれば多少変わったかもしれない。
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この回答へのお礼

近衛内閣とソリが合わなかったらしいですが、

朝廷側と折り合いつけて欲しかったです

お礼日時:2022/12/15 20:35

元はといえば日清戦争に行き着く。

下手に朝鮮半島に関わってしまったが為に李氏朝鮮の宗主国である清と対立することになってしまった。さらに下関条約で遼東半島に手を出したのが失敗で、露独仏につけいられて、その結果日露戦争で失敗を取り返す必要があったのです。日露戦争で英に借りを作ってしまったのも失敗で、第一次世界大戦にも首を突っ込んでしまった。その結果が米との対立なのです。

しかし外交では失敗に失敗を重ねたが、その恩恵として日本は近代化できて飛躍的に資本主義を発展させて国際連盟の常任理事国にのし上がることができたのです。

決定的に失敗だったのは第一次世界大戦後に自国の利益だけに固執して、常任理事国として責務を果すことができなかったことだと思います。それじゃ当時の日本国民に、常任理事国としての責務を果たせなどという声があっただろうか。そんな声は皆無だった。国際連盟脱退を決めて悄然と帰国した松岡洋右を万雷の拍手で迎えたのです。これで大東亜戦争が決まってしまったのです。

陸軍の暴走なんかじゃない。国民の支持があったからこそ、暴走できたのです。
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この回答へのお礼

石油のライン絶たれ追い込まれた日本

米国は開戦するとは思わなかったらしいです

松岡が交渉に

天皇午前会議

ギリギリまで思慮

国民の勢いとめるは不可能

芽が小さなうちにつむ

火種は早めに消したほうがいいらしいです


回答ありがとうございます

お礼日時:2022/12/15 20:40

日露戦争は純粋な祖国防衛戦争なので、陸軍の暴走でもなんでもなく、司馬遼太郎が言ってるように8:2でロシアが悪いです。

日中戦争に至っては陸軍は盧溝橋事件でトラウトマン工作で早期和平を狙っていましたが、これを潰したのが近衛内閣です。暴支膺懲を唱え日中泥沼化を招いたのは内閣書記官長の風見章(戦後社会党左派)や近衛ブレーンの尾崎秀実(後ソ連のスパイとして処刑される)です。
対米戦争に関しては、近衛は和平に向けて色々と努力をして、東條も最初のうちは和平工作をしていたみたいですが、ハルノートで交戦派が元気になって真珠湾攻撃のようなバカなことをして日本自滅といった感じです。
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この回答へのお礼

近衛と天皇のソリが合わなかったらしいです。

近衛が辞め

東条が、

明治の頃軍部主導から民にきたのに

また逆戻りでした。

80年の時経て

わかった事がありました。

今の世相も昔に少し戻ってる気がします


回答ありがとうございます

お礼日時:2022/12/15 20:46

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