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長篠の戦い って何ですか。

A 回答 (4件)

長篠という地名の場所で起こった合戦。


戦国最強という評価もあった武田の騎馬軍団に、徳川・織田の連合軍が勝利。主力は徳川だったのに、鉄砲三段撃ちの新戦法を披露した織田信長が主役扱いされている。
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1575年(天正3年)4月、織田信長が名実ともに


天下人となった、歴史上非常に重要な合戦。

織田・徳川連合軍が、戦国最強と言われた武
田軍を相手に圧勝した戦いです。

突進してくる武田騎馬軍に対し
織田軍は、鉄砲を並べて、切れ目のない
一斉射撃により
武田軍を壊滅させた、という戦いです。

尚、近年、この鉄砲説には疑問が
出されていますが、
圧勝したことは確かです。
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武田軍の主力部隊とその武将の多くが戦死し、武田の劣勢が確定した戦い。


これで織田信長の天下統一に向けた最大の障害となる外的要因が取り除かれた。
この時点で織田信長が内的要因で横死するとは誰も思わなかっただろう。
長篠の戦の後は、武田との対応は徳川家康に任せ、信長は石山本願寺と畿内・西日本・北陸との戦いに専心することになる。

そして信長は、石山本願寺を事実上の降伏に追い込むと、武田との決着を付けに家康とともに甲州攻めに入って武田を滅亡に追い込むが、その直後と云っても良いくらいの時期に本能寺の変を迎えることになる。

この頃の信長はまだ全国の半分くらいしか臣従させていないが、完全に慢心し、油断していたのだろう。それだけ、信長にとって武田は脅威の存在だったということだろう。

その意味では、長篠の戦いは、その後の歴史に大きな影響を与えた戦いであったと言える。
もしこの戦いに織田徳川連合軍が敗北していれば、後に豊臣政権や徳川政権が誕生する可能性はかなり低かったのではないだろうか。
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そのものずばりで検索してください。

 いくらも出てきます。
天正3年5月三河国長篠城をめぐり、織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼の軍勢が戦った合戦である。
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