dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

【新選組】京都守護職の松平容保は新選組の筆頭局長だった芹沢鴨の殺害を新選組の局長の近藤勇に命じて、なぜ近藤勇は自分の上司をあっさり殺害することに同意して殺したのですか?

新選組の筆頭局長の芹沢鴨は何をやらかしたのですか?

A 回答 (5件)

もともと天狗党という商家などから金品を奪ったり、狼藉を働いたりと傍若無人な振舞いを繰り返していた無頼の徒


芹沢が大坂の往来で力士たちに対し通行を巡って騒ぎを起こし、所持していた愛用の鉄扇で力士達に暴行を加えたというものです。
その日の晩に力士達は、昼間の報復のため酒宴を催していた芹沢らの元へ押しかけたのですが、これに対して芹沢は刀を抜いて応戦、死傷者が出る程の騒ぎとなり 問題児は将軍を警護し天皇の配下に歯なれない処分したのです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

みんなありがとう

お礼日時:2023/10/04 22:46

近藤勇にとっては目の上のたんこぶのようなものだったので、機を見てこれ幸いと暗殺したのでしょう。

あとは死人に口なしで、殺されて仕方ない悪人に、新選組によって仕立て上げられましたw
    • good
    • 0

とりあえず芹沢は近藤の上司ではありません。

主従関係でもありませんし、同志の中で決められた序列があったというだけのことです。
 芹沢の悪行は押し借り(強請)、火つけ、商家や置屋での乱暴狼藉などあまた多数。こんなん放置していたら市中での評判が落ちるばかり、治安維持をはかるべき組織として立ち行かんと会津藩が判断、近藤一派に排除を命じたといわれています(諸説あり)。
    • good
    • 0

大砲を持ち出して商店をゆする。

街中で相撲取りたちと喧嘩と、無頼なふるまいが目立つったので、新選組の上部組織の会津藩の評判まで悪くなったので排除命令。
発足時から、近藤派、芹沢派の2つのグルーブが一つにまとまったもの。両者は対等の立場でした。近藤派がグルーブを牛耳るためには、芹沢一味の排除は必然。会津からの命令は、待ちかねていた大義名分でした。
    • good
    • 0

強請り集りやりたい放題で評判落としたから

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!