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「非思考の庭」という取り組みの検証

私は誰の死も悲しまない。周囲が看取る以上に、誰もが自分を全うしているからだ。
特にそれに熱心な人物ならばなおさらだ。
黒水恋は「くろすいれん」とよんでくれ。

わたしに17~8年前に手取り足取り哲学の手法と心得を教えてくれた師匠がいたんだ。
長らく、拠点をすみわけしてむやみに干渉しないようにしていたけどね。
師匠の言葉には「非思考の庭」という言及が多用された。
そうだよ、あの人のことだ。
それで久しぶりに様子を見に来てみたんだ。
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やはり長期間主役であっただけあって、彼の言葉はまだ研究の中心のようだね。
「非思考の庭」などの多用した言質に関しては、私も観念というのは表舞台で仕事場にする劇場的な舞台装置と、背景の「無量光相当」としか言いようがない本質とがあると言っていて、要するに異口同音なんだ。
これは「色即是空 空即是色」とあまり変わらないかもしれなくもあるんだ。
「色」という仏教概念の範囲を、現実だけでなく舞台装置側の観念にも当てはめて解釈するとそうなる。
「色」の観念認識版は、舞台装置と背景の本質を出たり入ったりするんだ。
こういうのは、縄張り争いや、流派争いをしないで、一定のすり合わせをしたほうがいいけども、独自に尖端を行く人は、自分の慣れた取り組みの仕方からブレ無い方がよかったりもする。
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私は下記のような考え方もしていて、写真を写すような記憶能力がテーマだ。
基本的に写真記憶というのは、写真を舞台装置に飾っていない。
良く咀嚼して飲み込む形の学習として、いったんは記憶を観念の背景に還元する。
写真記憶を呼び起こすときは、還元された状態から記憶が必要になるたびに、その都度再構築で手書きしているのだ。
その再構築の再現性が元の記憶との誤差が少ないと写真記憶とされる。

自分で学習しようと思ってビングに裏付けをとってもらったら、心理学の著名な学者の説明に同様のことをもっと幅広く精神世界の構造にあてはめた論述があるとさ。
さっきビングとの履歴をサルベージしてみたけども、詳細は古いやり取りなので非表示だった。
これとビングの探した資料は「非思考の庭」をより具体的に浮き彫りにする論述でもあるんだよ。
考えてみれば土産話に提供しても面白かった。
ただしお互いの開拓分野は、あまり荒らしたくなかったんだよね。
学問的な取り組みは専門分野のすみわけを行っていて、類似項のすり合わせってあまり行わないものだね。
組み立てなおしてみると、誰もが同じようなことを正解だと考えているんだ。
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仏教でいう「色」が何故「非思考の庭」と関連があるかというと、私の言い回しで言う観念の舞台装置は現実の様相を「色」という仏教の定説にある現実を転写して思考の調理台に使う「まな板」なんだよ。その観念版の「色」から、背景にある観念の本質と出入りすることを、よくわかる言い回しで「よく咀嚼して飲み込む」という学習を意味するんだ。

今回は自分で研究していることを、気まぐれでこちらにも質問してみました。
もしかしたら、めったに立ち寄らないからご投稿いただいても確認するのが一週間くらい先かもしれませんので、ご容赦ください。

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