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昭和史の本を読むとよく出てくるのが統帥権の問題です。
「当時の憲法では天皇の下に陸海軍と政府が並立していた。そのため陸軍の暴走を政府は止められなかった」とよく言われています。
それなら昭和天皇が「陸軍は暴走をやめろ」と言ってくれれば済むことなのに、なぜしなかったんですか?
天皇の命令なら従うんですよね?

A 回答 (24件中1~10件)

勅命よりも動きが速かったのでしょう。

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止めれない


が正解でしょうね
天皇家も市民と並びみたいなもので軍事司令官ではないので殺されないよう逃げ回ってましたよね。
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天皇には統帥の実質的な権限は、持たされていなかったからです。



だから、軍部が決定したことに、(天皇ご自身は反対されていても)

口は出されなかったのです。

それでも、最終的には、ご意見を求められて

戦争には反対の意を口にされ、それによって大東亜戦争は終了しました。
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戦前から、


君臨すれども統治せずというのが
天皇のお仕事です。
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立憲君主制国家の君主として, イギリスに範をとって「下からあがってきた意見に対し異論をとなえる」ことをよしとしなかった, というのが主流の見方だと思う.



背景には祖父である明治天皇の行いもあったみたい. まあ明治天皇はもともと政治に興味なかったようだけど.
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https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html#s3

多分、昭和天皇もそう思ってやってた…
陸軍大臣が内閣総理大臣だったので、興味をするのは当然で、お隣の人民共和国さんのようなことになってたんだろう。 ただ、朕は蚊帳の外で10代で天皇になったので、アイドルと同じで何もわからないままやって来て、巻き込まれたんだと…
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責任を取らない立場だからです。



江戸幕府の将軍と同じ。
老中合議制で、老中が検討して決定し、将軍は承認するだけ。
まずいことになった時は老中以下が責任を取る。
将軍の名で命令するが、将軍は責任を取らない。
明治政府はそれを受け継いだ。

天皇の名で命令し有無を言わせないが、天皇に実権はない。
侍従には戦争やめたくていっぱいグチグチ言ってたらしい。
というより、そもそも戦争をしたくなかった。
合理的思考ができれば最終責任は天皇にあることは、一目瞭然だから。

要するに実権はなかったということ。
それは明治天皇も同じ。
政治家が隠れ蓑に利用されてるだけ。
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立憲君主制とは、君主が民衆の選択に責任を負うもので、君主が民意を否決する権限はありません。

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天皇に、事の是非を決める能力


など無いでしょう。

周りに説得されれば
その通りに動きます。

勝てます、と言われれば
あ、そう
と思うだけです。

やらなければ、やられるだけです。

こちらが攻撃しなければ
大丈夫なんてのは、間違いです。

米国は、必ず罠を仕掛けて来ます。
米国とはそういう国なのです。


米西戦争 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没。
米兵266名が死亡。
スペインの仕業だ、ということになり
戦争になりました。

第一次大戦では
ルシタニア号事件が発生しています。
ドイツ潜水艦が沈没させ、128名のアメリカ人が死亡。
これで米国が参戦しました。

やるしかないのです。

勝てなくても、引き分けに持ち込む
という方法もあります。

日露戦争のようにです。


なんて、具合に説得したのかも。
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分かりやすく書くと「戦前の日本は、鎌倉幕府になる前の状態だった」のです。



鎌倉幕府は「軍部」です。当時の天皇から許可をもらって軍政を敷いていたわけです。

でも鎌倉幕府は日本発の軍政で、しかも天皇の権力を奪ってしまう事から、鎌倉幕府ができる前に阻止しようと天皇は何度も源頼朝を討伐しようとします。

逆に幕府ができると、六波羅探題を作って幕府=軍部は天皇の権力を押さえにかかります。当時から天皇と政治の事実上の権力者の間には、権力争いが絶えなかったのです。

鎌倉幕府は軍部なので、比較して説明しましたが、天皇と事実上の権力者の争いは、もっと前、藤原執権政治ぐらいから始まり、鎌倉幕府のちょっと前は平清盛が天皇を押さえて絶大な権力を維持していた、という史実もあります。

つまり、日本の歴史でいうと「天皇個人は誰でもいい」のです。もちろん血がつながった天皇家の人物である必要がありますが、昭和天皇には弟もいたし、息子たちもいたし、旧宮家の男性もたくさんいました。

もし昭和天皇が軍部の活動に直接的に反対したら、今度は軍司令部が226事件のようなものを起こして《軍部にもっと有利な発言をする誰か》に変えていた可能性も高いと言われています。

いや、実際には226のようなクーデターではなく、もっと政治的な陰謀で「昭和天皇はご隠退なされて上皇になり、○○殿下が後を継ぐ」というようなことが起きたかもしれません。

このようなシナリオは天皇を研究する人たちの中では「十分にありえた」とされていますし、昭和天皇自身が「もし反対したら、私が天皇の座を降ろされていた」という発言もしているはずです(ソースを忘れましたので、記憶で書いています)

どのようなことを昭和天皇がお考えになったかは分かりませんが「誰が天皇でも軍部の暴走を天皇が止めることは難しい」状態だったと思います。
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