許せない心理テスト

宗教の教え、経典に照らして他人を裁きまくり、自分自身の反省はしないで菩薩を自認する人をどう思いますか?対人関係で気に入らない人がいれば、生霊だ生霊だと騒ぎ、祈願でやっつける、という認識のようです。修行論を忘れたご利益信仰は、菩薩云々以前に、人としてかなり甘い、かなり浅い、かなり愚かであると思いませんか?自分の意に沿わない人がいると宗教の教えに従い、その人を裁いて自分を肯定して歩いている人で嫌われていますが、明るく生きるポリシーのようです。何かが変ではないですか?

A 回答 (7件)

変過ぎます(-_-;)

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ああゆう人がいる こうゆう人がいる。

と言いますが、
宗教を判別するのに、特殊な人だけを選んで云々は間違いです。
あくまで、その教義を知った上で、総体的に語りましょう。

祈願でやっつける、だなんて、何処にも書いてない事を、
生霊だ生霊だ、だなんて、経典の何処にも書いてない事を、言う菩薩がいれば、悪いのはその宗教でなく、その菩薩が間違っているだけなのです。

クリスチャンでも、悪魔のようなマザーテレサもいれば、多くに人を救うキングのよな信者もいる。

質問者さんは
経典の一つも知らないで、特別珍しい人を指して、それがその宗教であるかのような言い方をするのは、何か変ではないですか?
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別に何とも思いません


完全無視で普通
私には一切関りありません
それでも関わって来たら警察に相談します
宗教を名乗る愚か者は星の数の3倍いるかと
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宗教と言うのは何の宗教たか分かりませんがそんなことを教えるような宗教は宗教ではありません。



何かの宗教を自己解釈して勝手に考え方を変えちゃっているだけでそんなことを教える宗教はどこにもないと思いますよ。
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私の母親がそうでしたね。

某宗教教団の熱心な信者でした。

ともかく都合が良いのは「信心のおかげ」都合の割ることは「信心が足らない」この二分でものごとを考えるのですよ。

子どもが親のいうことをよく聞く場合は「信心をしていたから」、子どもが親のいうことを聞かなくなったら「信心が足らない、もっと信心をしなければ」、何かで怪我をすれば「信心していたおかげでこれだけですんだ」、まさに信仰が強まるベクトルしかないのです。

まわりに批判的な事を聞けば「御書に『三障四魔紛然と競い起こる』と書いてある、だから御書は正しく私の信心は正しい」、子ども達が信心に反対すると「六天魔王が子ども達に入り込んで私の信心を妨害する、だからもっと信心を高めなければ」という発想なんですよ。

生涯に数千万円を宗教団体に貢ぎ、晩年は認知症となり譫妄に悩まされて悲惨な死に方でした。死んだときに通帳に40万しか残っていませんでしたね。

ともかく自分の頭で理性的に考えられないのですよ。「○○先生がおっしゃったから間違いない」「○○先生がつくった政党なんだから間違ったことをするはずがない」ですもの。

「選挙には福祉の○○党を頼むね」といわれたので「福祉って何なの_」と聞いたら「そんな難しいことはわからない」と言われたのが印象的に残っています。
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たいがいはゲスな法螺吹きで自己中の塊。


まともな人は宗教に頼りませんよ。

タクドラ時代に、いろいろな宗教の偉いさんに、乗っていただきました。

乗ってる間私に教えを説くんです。
なんでこんなのに洗脳されるのか、不思議でした。
寂しくて救いを求めるのはわかりますが、洗脳されては足もとすくわれてますね。
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人や世間に対して、自分を折ることができない人は、魂の未熟な人です。

幼稚な自分のプライドを守るために、神や仏を利用しているのでしょう。そういう人は、魂の勉強ができていない人だと思って、心を離していくのが適当だと思います。
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