限定しりとり

生老病死が不安じゃない人いますか。
不安が強くて精神科で薬ももらってます。

A 回答 (5件)

貴方の悩みは人間としての当然の悩みと思います、蟻や蜘蛛も同じに悩むかは知りませんが、誰の脳裏にも同じ悩むとか、まじめに考えたなら苦しみさえも伴ってしまう疑問だと思います。



自分は何処から来て、何処に逝くのかとさえも想定させてしまう人間共通の苦悩と思います。

こういった問題は人間の苦しみとして、もう2,500年も前に解決策が出ている問題と云っても良いと思います。処が学校でも、家庭でもこういった問題を人間としての問題としてその存在でさえも指し示して呉れない事実があります。

この問題の指し示す問題点の裏側には、大変貴重な、人間の尊厳とも云う程の大事な点が存在して居ます。それは誰の悩みにも共通点が在りながらその貴重な点を指し示す事が出来ないでいる点です。

それは人間の魂の救いとも関連している問題点です。手短に表現するなら『自分は何者か?』を根本から解決出来る点だからです。

人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?と学校では教えて呉れない様ですが、この原因が神経症などの各症状とか,自律神経失調症とか難治性の疾患、特に現代医学の最先端の機器で検査をしていながら何処にも異常が無いなどの疾患に共通している原因が潜んでいるからです。

人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?という問題と人間の頭に浮かぶ疑問に対する解決点は一緒です。

こう云った事を何故、現代の精神医学では指摘しないでいるのかが不思議な現象と思います。

漠然とした不安感が何処から押し寄せているのかを、現代の精神医学では解明出来ていないように見えていますが、禅による説明ではとっくの昔に解説しています。

その解説の仕方は『禅らしき解説ですので』分かり難いかも知れませんが、そう云った疑問を抱いた弟子は師匠に『その疑問をぶつける事になります。』

処が師匠は『ではお前は何故に、そう思うのか?』と答えるのですが、その答えが、逆に質問になっていますが、その答えにもなっています。

真意はこうです、『お前の疑問が湧き上るその原点に立ち返るならそこに答えは存在している。』という事です。

かみ砕いて言うなら、疑問が湧き上る時答えはその疑問の中に存在して居る、という意味です。

もう一つの答え方があります。その答え方は『人間の苦しみに付いてです。』人間の苦しみはその人間の頭の中に答えがあると云った話です。

その答えは『無明の故』と云った答え方です。人間の苦しみの原因は『苦しんでいる人間の頭の中に在る事を分からないで苦しんでいる事』が原因と云っている事です。

こういった苦しみの解決を、禅と云ったものは、その歴史の中で答えています。人間の苦しみの解消方法は『無明の闇を晴らす事』がその解消方法です、かみ砕いて言うなら、自分を苦しめている者の正体を知るという意味です。

自分が自分を苦しめている事が、苦しみの正体だった事を知るという意味ですが、それは『自分自身を知るという意味です=見性をする。』という意味尾です。

心が苦しいために薬で紛らすと云った意味だと思いますが、根本解決にはなりません、根本解決を望むなら『森田療法』と云ったものを学んで『苦しみの正体』と出会う事が大事と思いますが、難しく考える必要はありません。

森田療法によって『死に対する恐怖症』を今から、44年ほど前に解決した事があります。その経験から今貴方に書いています。

森田療法は感じている事柄に『過剰に反応している事が症状になっていて、そう云った過剰反応を抑えるやり方を教えています。

パニック障害と云っても、恐怖症と云っても同じです。

湧き上がる自身の感情が過剰になってしまって、その過剰反応を嫌う余り、湧き上る感情を『着信拒否にしている状態』になっているだけです。

従って森田療法の神髄とも云ったものを書いて置きますので、それを守った生活を送ってみてください、この他には何もありません。

森田療法は『症状の事を口にしない事』だけを守る事で成り立っています。是を『不問』と云っています。

たったこれだけですが、この事が神経症を治すための突破口になっています。神経症の症状は『誰でもが感じている事柄』の一つに過ぎませんが、この事を嫌って受けれる事が出来ない為に、大変の苦しみを伴っています。

例えるなら、高い処に上がった”感じ”は誰でもが感じている事柄ですが、この事を嫌って受け入れる事が出来なくて『大騒ぎしている現象を高所恐怖症』と云っています。処が森田療法の『不問』を守った生活が身に付いた暁には、その高いと云った感覚を受容する事が出来るようになっています。

高いと云った感覚があろうが無かろうが、動揺する事が無くなっています。それが高いと云った感覚に対して、『在ってもよし、無くとも良し』

云い方を替えるなら『症状が出たとしても、出なかったとしてもどっちだっても構わなくなっています。』此処まで来た時が神経症が完治した事を意味します。聞きたい事があるなら聞いて下さい。
    • good
    • 0

とりあえず今、健康なので、不安は感じていません。


少しずつ身体の衰えは感じています。昔ほど食べられなかったり、疲れやすかったり、故障しやすいとか。でも大きな病気はないし、動けているので大丈夫です。
死は怖いですよ。自分がいなくなる、無になるというのが想像できないので。ただ、まだそれほど現実味を帯びていないだけです。
死よりも惨めな老後(経済的に)になってしまわないか、不安です(笑)。
    • good
    • 0

不安だけど、病院には行きません


釈迦の初期の悩みですね「生老病死」
生き物の宿命です、形あるものいつの日か滅する
のでそれまで日々懸命にいきるのよ。
と「悟って」下さい
    • good
    • 0

youtubeでナノカさんとか、小林正観さんなど参考にされてはいかがでしょうか

    • good
    • 0

生き物で有る以上、母親の胎内から出た瞬間


死と隣り合わせなのは。幾ら考え抗っても
避ける事の出来ない事実。老いも同じです。

不安じゃないと言えば嘘になりますが、避けられない事を考えても
どうにもできない
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A