「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

すぐに不安になってしまう性格を治すにはどうしたらいいでしょうか?
何かするときには、失敗したらどうしようとか物事が起きる最悪のことを想像してしまったり何か誰かに嫌な思いさせていてkろされたらどうしよう、ここで急に襲われたらどうしよう。爆発したら、車が突っ込んできたら、など考えてしまいます。また、自分が相手に何か嫌な思いをさせちゃったっかな、ああ言えば良かった、こう言えば良かったと後からたくさん考えたり今まで優しかった人が少しそっけなかったら嫌われたかなって思ったりします。それをずっと引きずります。
このことを相談するとよく「なるようにしかならない」と言われます。それも一理あるな、そうだなと言われてすぐは納得するのですが、すぐにでもあのときああいうふうにすればこうなってたのに。じゃあ次の選択肢も間違えちゃうかも、正解を選ぶにはどうしたらいいと悩んでしまいます。正解はないと言われますが、世の中にとって都合のいいことが正解というように言われる風潮があると私は思います。だから、その正解に近づけるにはどうしたらいいのか考えてしまいます。
すぐ嫌われてしまったかなと考えてしまったり何かをするのに必ず不安になってしまうのが嫌で仕方ないです。でも治らないです。
私は強迫性障害の診断を受けていて、薬も処方されています。これらもそのせいなのでしょうか?それとも私が不甲斐ないだけですかね?

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A 回答 (4件)

学ぶ事によって、より良く生きる事は可能と思います。

学ぶべき事は自分自身ですがその参考となるものは、二つあると思います。

不安になり易いという意味を学ぶ事が一つです、是の典型は神経症を学ぶという意味です。神経症の症状には様々な症状が在ります。

主に分けるとするなら『恐怖症』『不安症』とに大別出来るようですが、それ以外にも強迫観念とか強迫行為と云ったものもあります。

又症状こそ違いますが、自身の行動に制限が掛かるものが在ります。吃音とか書痙と云ったものです。ともに意識する事によって行動に制限が掛かってしまう症状です。

又意識する事によって、身体的な構造上の、或いは機能的に制限とかが掛かってしまう症状もある様ですが、医学的には証明されていない分野です。

又神経症の原因は解明されていない部分もある様です。神経症を一言で語るなら『意識する事によって、様々な障害が起こる事』と云っても良いのかも知れませんが、医学的の解明が待たれる事を意味しています。

ですが、神経症には完治が存在します、この事を書いてみたいと思います。

神経症には様々な症状が存在している事は書きましたが、治し方はたった一つの方法でOKです。それは神経症の症状が発症する原因が関係しているからです。

人間には意識する自分と、もう一人の『意識出来ない自分=無意識の自分』が二人共存しています。この二つの意識が矛盾を起こしたり対立したり、分裂する事によって症状が発症しています。

従って治し方は、森田療法の中にある様に『症状の事を口にしない=不問』を貫く生活態度を醸成する事です。森田療法と云えば入院森田療法が知れ渡っていますが、この生活態度を学ぶ事を、隔離した雰囲気の中で学ぶ事が眼目になっています。

症状の事を口にしない事が身に付いた時、症状が強く出ようが、出なくなろうが、どっちだっても構わないと云った態度が出来上がります。

つまるところ症状を問題にしなくなる事によって『症状らしきものは、症状では無いものに変化しています。』

神経症の症状とは誰でもが感じている普通の感覚だった事を理解する事で完治する事を意味します。

不安になり易いという意味の他に、もう一つ学ぶという内容は、人間は如何して苦しまなくてはいけないのか?という事です。

この事の内容は、深い意味があります。人間の不安や恐怖心の裏側にまで分け入ると云った意味があるからです。

不安感や恐怖心のその奥に存在しているものとは、人間の深層心理にも関わっているからです。ですがこの事が分かる時には、人間が如何して苦しまなくてはいけないのか?の全てを知る事を意味しますので、禅仏教での『生死の問題が解決する。』という程のインパクトを持った意味があります。

人間の苦しみの中でも大きなものに、死に対する恐怖感とか、自分の死によっての自分の人生に対しての喪失感と云ったものが在ると思われます。

不安感や恐怖感の根底には、死に対する怖れが存在しています。この意味する処は自分自身の全否定と云っても良いのかも知れません。

こう云った否定感を全ての根底から否定する為の、救いが『自分自身を知る事』になります。

この事を学ぶ事が、二つあると云った二つ目ですが、仏教に於いての悟りを開くという意味です。貴方の強迫性障害が神経症の症状の中の一つの形です。

共に自分自身を知る事によって全てが解消する問題です。

禅を学ぶ事をお勧めしますが、禅道場に行くという意味では無くて、禅に関わる書物を学ぶという意味です。中でも鈴木大拙博士の著作集を読む事がお勧めです。

神経症を学ぶなら鈴木知準先生の本がお勧めです。この御二方によって神経症が完治した経験が有ります。

あともう一言付け加えておくなら、鈴木知準先生の語っておられた言葉です、『神経症(ノイローゼ)は悟りを開かないと治らない。』

この意味が分かる時、禅に於いての『生死の問題が解決する。』も同時に分かります。

神経症になるという人なら、釈迦の弟子になって、人生に付いてとか人間に付いての深い理解をする事が可能と思います。その為の試練が神経症と云うものだと思われます。

釈迦の教えは『究極の心の癒しの心理学』的な処がありますので、死の恐怖でさえも癒す効果が存在しています。その意味が『生死の問題が解決する。』という意味があります。

聞きたい事があるなら聞いて下さい、又私の回答したものは見れるようになっていますので、参考になるなら有り難いと思います。
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強迫性障害の診断を受けているなら、それが原因かもしれませんね。


何でも悪い方に考え過ぎだと思います。
大丈夫です。そうそう悪い事起こらないですよ。一度深呼吸をして気持ちを落ち着かせましょう。
リラックス出来る音楽を聴くのもいいかも…
あなたはちっとも不甲斐ないことはないです。取り越し苦労は疲れてしまいますよ。
深く考えすぎない事です^_^
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誰でも不安はあって、


でも、交通事故を起こさないようにするには、私個人的な見解ですが、
体調が不良時や運転してはいけない範囲は運転しない、スピードを出し過ぎない事、ちゃんと運転に集中し脇見せず、バイク、自転車、歩行者に気をつけ事故につながらないように注意する、等などの事項を認識し、定着させ、普通に身につければ不安は軽減されます。
仕事も、同じように、失敗しないようにするためには、仕事に少しずつ慣れていき、失敗したらどうなるかというのを考え、確認するようにしたらいいと思いますし、キャパ超えだったら負担軽減してもらい、同僚に手伝ってもらうのもミスを減らす事につながると思います。

ミスをしないよう考え、意識する事は立派だと思います。運転も仕事もやって行き身につければ
その不安は不安ではないモノに変ると思います。

不安な気持ちわかります。

私は素人なので病気との関係性は分かりませんが、
先々は良くなってるはずだと思います。
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筋肉マッチョになって見た目が強くなれば心も強くなれるかも。

要は自分勝手にいいように勘違いの練習をすることです。
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