芭蕉庵の思い出を書きたいのです。男子の一人が何か石碑の前で幽霊のポーズをして写真を撮ったという記憶があるのですが、それが句碑だったのか、誰かの墓だったのか、昔の事で思い出せません。ご存知の方教えて下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (1件)

金福寺の芭蕉庵の付近に、与謝蕪村の墓があります。


http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/basho.html

http://f18.aaa.livedoor.jp/~ogino/kyouto_kita/

参考URL:http://www002.upp.so-net.ne.jp/viviplan/basho.html,http://f18.aaa.livedoor.jp/~ogino/kyouto_kita/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

与謝蕪村の墓でした。懐かしくて笑ってしまいました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/06/07 07:44

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q写真を撮る時に言う 「ポーズを取ってください」と「はい、ちーず」あと、ピース サイン いぇーい シャ

写真を撮る時に言う
「ポーズを取ってください」と「はい、ちーず」あと、ピース サイン いぇーい シャッター
を全て日本語にするとしたらなんて言いますか?

Aベストアンサー

下記の「以前の回答」も参照してください。

http://www.alc.co.jp/speaking/article/question/070220.html

Q石碑の難読文字

いつもお知恵拝借、ありがとうございます。

とある石碑に書いてある文字のうち、添付画像(?)の文字が不明です。木偏であることは間違いないようなのですが、手元の漢和辞典にもそれらしき文字は出ていませんし、図書館で「諸橋大漢和辞典」を調べてみても、似たような文字は見つかりませんでした。約170文字の碑文の内、他の文字は普通の楷書体で書かれてあり、殆ど全て読めました。

確か碑文では、独特の異体字が使われることがあると読んだことがあります。どなたかこの文字に心当たりのある方は、是非ご教示の程、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

くずし字辞典で調べてみました。
木偏では見当たりませんでしたが、手偏でしたら、拠(據)の異体字が該当します。
木偏と手偏はよく似ているので、風化によって判読しにくくなった可能性もあります。

Q「祖母を思い出す」「祖母のことを思い出す」の違い

標題のとおり、「祖母を思い出す」「祖母のことを思い出す」の違いがわかりません。詳しい方、教えてください。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「のこと」があってもなくても、意味はほぼ同じです。
 ほとんどの場合は、同じように使えるはずです。
 例外があったら教えてください。

 どうしても違いを知りたいということなら、下記でBAをいただいたコメントをご覧ください。単に「祖母」と言うより、「祖母のこと」のほうが広い範囲を指すと考えてよいでしょう。
【「~を」と「~のことを」のニュアンスの違いについて】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8975111.html

==============引用開始
 さて、問題は質問にそう答えるべきか。
 意味は同じ。ニュアンスも大きくはかわらないけど、どうしてもと言うなら……ちょっと強引な考え方をする必要がある。
 相手が日本語学習者なら、下記のような説明がわかりやすいのでは。
「彼女を愛しています」に比べて「彼女のことを愛しています」のほうが、「いろいろなことをわかったうえで」「何もかもひっくるめて」のニュアンスになる。
 なぜなら、「のこと」は〈㋐ある物事に関連する事柄〉のニュアンスも含むから。
 たとえば「彼女を愛しています」は、単純にそのままの意味。
 これが「彼女のことを愛しています」だと、病気の母親がいることや、素行の悪いの弟がいることetc.……を知ったうえで「愛している」。
==============引用終了

「のこと」があってもなくても、意味はほぼ同じです。
 ほとんどの場合は、同じように使えるはずです。
 例外があったら教えてください。

 どうしても違いを知りたいということなら、下記でBAをいただいたコメントをご覧ください。単に「祖母」と言うより、「祖母のこと」のほうが広い範囲を指すと考えてよいでしょう。
【「~を」と「~のことを」のニュアンスの違いについて】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8975111.html

==============引用開始
 さて、問題は質問にそう答えるべきか。
 ...続きを読む

Q松尾芭蕉と曽良

平泉で松尾芭蕉が詠んだ句、

  夏草や 兵どもが 夢の跡

と曽良が詠んだ句

  卯の花に 兼房みゆる 白毛かな

では、曽良の句のほうが明らかに素人である、と授業で習ったのですが、
どう違いがあるのかさっぱり分かりません。
スケールが違う、と言っていたのですが、具体的にどういう差があるのでしょうか?
教えてくださいm(_ _)m

Aベストアンサー

> どう違いがあるのかさっぱり分かりません。

その感性の方が、まだ正解だと思います。

> 曽良の句のほうが明らかに素人である

こんなコト、分かっちゃダメ!
その論評こそが、全くの「素人」で的ハズレです。

そもそも個別に比較したり、良し悪しを論じる句ではありませんので。
平泉のくだりは、芭蕉の句と曽良の句がセットになって完成している紀行文なんだから。

二つの句を並べて楽しんで欲しいと言う芭蕉の思いが、全く判ってないです。
逆に言えば、曽良の句を「おくのほそ道」に書き残した、芭蕉のセンスへの冒涜ですね。

芭蕉が古戦場を、まず『大胆』に詠みあげます。
続いて曽良は「師匠!私はそこに兼房の姿も見えますよ!」と『繊細』に詠んでいるのです。

芭蕉の句のみでも、「おくのほそ道」の中で屈指と言われる名句です。
そこに曽良の句が加わることにより、芭蕉の句の奥行きとか迫力、立体感・現実感などが、更に増す感じがしませんか?

また、何か芭蕉の気持ちも伝わってきませんか?
曽良に対し「おぉ!君にも見えたか!」と、弟子の才能を愛でて喜んだり、面白がったかも知れないし、「おっ!君も腕を上げたな!」と感嘆したのかも知れません。

並べて比べたら、そんな面白さは全く伝わってきませんね。
逆に並べて味わえば、面白さが尽きません。

第一、曽良が「素人」などと言う論評が的ハズレなんですよね・・。
実際、たとえば松島のくだりでは、芭蕉は自分の句では無く、曽良の句しか記してないんですよ。
俳聖と言われた芭蕉が、曽良を高く評価していたことが分かります。

> どう違いがあるのかさっぱり分かりません。

その感性の方が、まだ正解だと思います。

> 曽良の句のほうが明らかに素人である

こんなコト、分かっちゃダメ!
その論評こそが、全くの「素人」で的ハズレです。

そもそも個別に比較したり、良し悪しを論じる句ではありませんので。
平泉のくだりは、芭蕉の句と曽良の句がセットになって完成している紀行文なんだから。

二つの句を並べて楽しんで欲しいと言う芭蕉の思いが、全く判ってないです。
逆に言えば、曽良の句を「おくのほそ道」に書き残した、芭蕉のセ...続きを読む

Q松尾芭蕉の人生観

明日期末テストがあるのですが、国語で松尾芭蕉の人生観についての問題が出る!と先生に予告されています。しかし、いくら考えてもよくわからないのです。少しでも多くの方の意見を聞きたいのでよろしければ回答お願いします。

「おくの細道」 -松尾芭蕉-
古)月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
訳)月日は永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、過ぎ去っては新しくやってくる年もまた旅人に似ている。

Q.1)ここからわかる芭蕉の人生観は何?
こんな感じで出されます。

また、
Q.2)何故芭蕉は全てを捨てて旅に出たのか?
こういう問題も出されるかもしれません。

Q.1が特にわからないので、どんなことでもいいので回答お願いします!

Aベストアンサー

こんばんは。

私は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅の出発点(東京・深川-芭蕉稲荷神社から少し西より)の隅田川に立って、彼がどんな風に思って旅に出たか考えてみたことがあります。

ただ、学校の試験とは違いますので、正解とはいえないかもしれません。私は、感情移入してしまって、回答にはなりません。

1). 彼も、弟子の曾良も、お坊さんの格好をしていたし、やはり、彼が言っているのは、「無常観」だと思っています。過去の詩人(西行)たちも、みな同じような考え方だったと思います。

「月日は百代の過客にして」自体は、中国の詩人、李白からで、「万物流転」の様だそうですから、それ自体は、「無常観」とは違うものだと思います。中国人は、そこから「もののあわれ」は、受け取りません。しかし、彼は、禅の心得は十二分に持ち合わせていたそうですし、日本人独特のの感性(霊性)からすると、「無常観」ではないかと思いました。ただ、彼は、禅だけではなく、歴史の知識も豊富だったのか、それが高じて、東北の旅に出たのかもしれない、と思いました。

こうした人たちを、隠遁者の文学とか言いますが、これは、決してネガティブなものの見方ではなく、鎌倉時代以降の日本人の情感だと思います。今でいうなら、『フーテンの寅さん』や『水戸黄門』のようなものです。根強い人気のあるのは、こうした日本人の情感に触れられているからです。

2).何故芭蕉は全てを捨てて旅に出たのか?
>こういう問題も出されるかもしれません。

それは、ちょっと問題としては重過ぎますね。これについても、考えたことがあります。川から船に乗った時には、深川の近所の人たちは、もう永遠の別れだと思い、みんな千住まで同行してきてくれて、別れを惜しんだのです。私は、その時の光景が目に浮かぶような気がします。

深川の界隈って、あの鬼平犯科帳の舞台に近いです。しかし、その後、歴史からすると、関東大震災とか関東大空襲とか、いろんな歴史を経た場所でもあります。私は、芭蕉の時代は、歴史的には一番良い時代ではなかったかなって思うことが多いです。今は、隅田川のほとりは、ホームレスさんたちの青いテントが一杯です。夜になると賑わいなど何もないさびしい場所です。芭蕉の時代には、想像もつかなかったありさまだと思います。まさに、『月日は百代の過客』だと思います。ただ、深川の人情は、いまだ消えたわけではなさそうです。

彼は、旅の途中で死ぬかもしれない、と思いながら、漂白の思いに誘われて、

 「草の戸も住み替わる代ぞ雛の家」

と芭蕉庵(かなり小さいです)の柱に掛けておいたわけです。この時の年齢としては、彼は 46歳で、もうそろそろ自分の寿命について感じていたころで、事実、51歳で亡くなっています。旅の俳句自体は、実際の場所でひらめいて読んだわけではなく、数年掛けて、『奥の細道』の編集をして、現在のような形になったそうです。そして、彼は、もう江戸には戻ってこなかったのです。

数年前に、『奥の細道』の原本が出てきて、切り貼りとかしてあって、その下に何が書かれていたとか、ものすごく話題になりました。

こんばんは。

私は、松尾芭蕉の『奥の細道』の旅の出発点(東京・深川-芭蕉稲荷神社から少し西より)の隅田川に立って、彼がどんな風に思って旅に出たか考えてみたことがあります。

ただ、学校の試験とは違いますので、正解とはいえないかもしれません。私は、感情移入してしまって、回答にはなりません。

1). 彼も、弟子の曾良も、お坊さんの格好をしていたし、やはり、彼が言っているのは、「無常観」だと思っています。過去の詩人(西行)たちも、みな同じような考え方だったと思います。

「月日は百...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報