プロが教えるわが家の防犯対策術!

(1)It needs considerable imagination today to realize how difficult it was for anyone interested in music at the beginning of the 20th century to follow up that interest.

at the beginning of the 20th centuryはmusicにかかる形容詞句なのか?それともfollow upにかかる副詞句なのか?(それと理由)
どなたかお願い致します。
(私はfollow upにかかる副詞句だと判断しました。理由は、musicの前にtheがないから形容詞句ではないだろうと思ったからです。)

(2) Teaching is supposed to be a professional activity requiring long and complicated training as well as official certification. The act of teaching is looked on as a flow of knowledge from a higher source to an empty container.

a flow~containerは多少意訳しないと厳しいと思います。コメントをお願いできないでしょうか?(他の良い案があれば教えていただけますか。)
(より)高いところ[=先生]から、何も入っていない(スポンジのような)容器[=脳みそ・生徒?]に知識という水を流し入れるということ。[知識が流入すること。]

A 回答 (8件)

(1)musicにかかる形容詞というかanyoneにかかる形容詞だと思います。


It is 形容詞 for 名詞 to 動詞 の構文です。

(2)については訳してほしいというご質問でしょうか?
それとも質問者さんの意訳についてのコメントをということでしょうか?

教えるということは、何もないところ(生徒でしょうね)に知識という資源を流しこんでいくようなものです。

この回答への補足

ありがとうございます。では、todayはneedsにかかっているのか?realizeにかかっているのかどちらでしょうか?(自分は最初はrealizeかと思いましたが、needsでも良い気がします。でもあやふやです。)

補足日時:2005/07/17 00:31
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(1) for ~の部分は,difficult につながって,「~にとって難しい」とも,to 以下の意味上の主語となり,「~がそのような興味を持続させること」とも考えられます。

しかし,いずれにせよ,for anyone interested in musit at the beginnig of the 20th century でひとかたまりになっています。
 結論としては「20世紀の初めに音楽というものに興味を持ったどんな人も」という意味になると思います。すなわち,at the beginning of 20th century は (be) interested にかかる副詞句だと思います。
 「20世紀に音楽に興味を持った人がその興味を持続させるのは以下に難しかったかを理解するには,現在,相当な想像が必要だ」という論旨です。「20世紀の初めに音楽に興味を持つ」と「現在,想像するのが難しい」という対比がなされています。もちろん,「20世紀の初めに興味を持ち,持続させる」と,結果的には follow up の部分にもかかるわけですが,あえて,(be) interested の部分を飛ばすこともないでしょう。
(2) a higher source には,「より高いところにある水源」という意味と,「高等な,知識の出所」すなわち教師の意味がこめられていると思います。an empty container は「空っぽの容器(スポンジというより,単純に水の入っていないバスタブのようなものだと思います」と,「(教師から)知識を受け取る生徒(脳みそという感じではないと思います)」の意味がこめれれていると思います。基本的にご質問者の考え方でいいと思います。

この回答への補足

いつもありがとうございます。
こういうのは失礼かもしれませんが、No.1さんはanyoneにかかる形容詞句だとおっしゃられています。そもそも修飾関係がよく分かるようにするためにはどうしたら良いでしょうかね?

補足日時:2005/07/17 00:36
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(1)これは”anyone [who is] interested in music”という名詞句に”at the beginning of the 20th century”という形容詞句がかかっている形になります.つまり”二十世紀初頭音楽に興味を持っていた人”ということですね.


(2)ここで用いられている”higher source”はちょっと抽象的ですが知識の源泉といったところでしょうか.”empty container”も知識を新たに受容する存在をさしています.したがって,教えるという行為”the act of teaching”は知識の流れ”flow of knowledge”として捉えられます.ここで暗に示されている教育者の役割はどちらかというと”higher source”そのものよりは知識の流れをつかさどる媒介者に近いと思われます.

この回答への補足

ありがとうございます。(1)はNo.1さんと同じ形容詞句ですね。では、No.2さんの副詞句(interestedにかかる)という意見はどう思われますか?

(2) flow of knowledgeの媒介者が教育者なら、higher sourceは何のことでしょうか?

補足日時:2005/07/17 00:39
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No.3の補足です.”anyone [who is] interested in music”は”anyone [who was] interested in music”の誤りでした.失礼しました.


なぜ”at the beginning of the 20th century”が”anyone”を修飾する形容詞句であるのかは,次の例文を考えると明らかになります:”It needs considerable imagination today to realize how difficult it was for anyone at the beginning of the 20th century to follow up his or her interest in music.”

この回答への補足

明らか。。。ということですが、何がですか?(すいません、残念ながら分かりません)

補足日時:2005/07/17 00:42
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(1)


"at the beginning of the 20th century" は時を示す副詞句です。
(A) 一つの考え方は、次の文構造で考えると良いでしょう。how difficult it was ... at the beginning of the 20th century. ここで、it は to follow up ...を指します。この副詞句の意図は時代背景を示したものです。「20世紀初頭という時代背景では、音楽に関心を持つ人なら誰もが」という意味になります。書き直すと、it was difficult(困難だった) ... at the beginning of the 20th century となります。 20世紀初頭「の」人という修飾ではありません。20世紀初頭「には」という時を示しています。
(B) もう一つの考え方は、interested を修飾する副詞句です。つまり、「20 世紀初頭に関心を持った人は誰にとってもいかに困難だったか」という意味合いです。

いずれにせよ、副詞句であって、形容詞または動詞を修飾します。名詞/名詞句を修飾しているわけではありません。

follow up を修飾する場合は、通常、to follow up that interest at the beginning of the 20th century のように後に置かれます。

(2)
"is looked on" 「見なされる」。
原文の意味はかなり大雑把ですが、ほぼ、あなたの解釈で良いでしょう。ただし、知識の上流源は教える人ではなく、書物とか文献、その他のノウハウなどであり、それらが習得する側に吸収されるということです。教える人としては、それをガイドすることです。必ずしも、学校の先生/生徒という関係である必要はなく、専門家から入門者へとか、経験者から初心者へ、とかいろいろあります。

この回答への補足

(1)の訳ですが、「音楽に興味のある人は誰でも、20世紀の初めに、その興味をどこまでも追求することが…」では駄目ですか?(皆さんの意見では、「20世紀の初め、音楽に興味がある人は誰でも、その興味をどこまでも追求することが…」となっていますが。。。)

補足日時:2005/07/17 22:47
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 #2です。

補足にお答えします。
 まず,#2の「以下に難しかったか」を「いかに難しかったか」に訂正します。
 「20世紀の初め,音楽に興味を持つ人が,その興味を持続させることがいかに難しかったか」という意味がつかめれば,at the beginning of 20th century の部分がどこにかかるかは大きな問題ではないと思います。実際,#3の方の訳自体はまったく同じです。
 たとえば,
I am a student at Kyoto University. の at Kyoto University の部分は,文法的には,am という動詞にかかる副詞句なのですが,意味的には「京都大学の学生」であり,a student という名詞にかかる形容詞句のように訳すのが普通だと思います。
 Most people today think that slavery is wrong. の場合,today は副詞で,「たいていの人々は,今日,~と考えている」が正しい解釈ですが,「今日の人々はたいてい,~と考えている」のように訳すことも可能なわけです。
 もちろん,修飾関係を見極めていくというのは英文読解で欠かせないもので,何でもいい,というわけではありません。
 
 

この回答への補足

ありがとうございます。結局、「20世紀の初めの音楽」では×ですか?

補足日時:2005/07/17 22:51
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No. 3/4です.皆さんのおっしゃるとおり,”at the beginning of the 20th century”を時をあらわす副詞句と考えることは可能だと思います.


しかし,私としてはやはり年代を示す慣用表現を含み,前置詞を伴った形容詞句として捉えたほうがすっきりするように感じられます.
ファイナンシャルタイムス欧州版に,次のような文章がでてきます:
”Tony Blair, a schoolboy in the 1960s, belonged to the last generation of educated people who learned French as a matter of course.”(Simon Kuper, ”Yesterday's city,” Financial Times Weekend Edition, Sat. 16 July 2005, p. 2)
”1960年代に学生だったトニー=ブレア首相は,フランス語を当然の事として習得した教養人としては最後の世代に属していた.”
ここで問題になるのは ”Tony Blair, a schoolboy in the 1960s,”という部分です.”in the 1960s”を副詞句として理解するには次にあげる三つの方法が考えられます.
一.まず問題の部分を”Tony Blair who was a schoolboy in the 1960s”とフルに表記し直して,そして”in the 1960s”が省略されている”was”修飾するとする.この解釈は可能ですが必要以上にややこしく思われます.
二.”in the 1960s”は”[Tony Blair] belonged”を修飾するとする.ただしこれではブレア首相がその世代に属したのが1960年代だったとなってしまいます.
三.”in the 1960s”は”[educated people who] learned”を修飾するとする.確かに問題になっている教養人世代がフランス語を習ったのは1960年代だったと推論することはできますが,上に挙げた文は実はこのことには言及していません.
ここはやはり,”a schoolboy in the 1960s”にあらわれる”in the 1960s”は前置詞を伴った形容詞句とするのが文法的にも妥当でかつすっきりするのではないでしょうか.
回りくどくなりましたが,このような理由で”anyone ... at the beginning of the 20th century”という解釈が可能であると思います.
”the beginning of the 20th century”が”music”を修飾すると考えることはできなくはありませんが,”20世紀のはじめの音楽”はきっと”early 20th cenutry music”とするのがより自然でしょう.
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補足が続いてしまってごめんなさい.No.3/4/5です.次のようにも考えられると思います:


Q: For whom was it so difficult to follow up his or her interest in music?
A: It was for anyone at the beginning of the 20th century.
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