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タイトルとちがいますが、私のことをヨという場合、世と余はどのように使いますか。

A 回答 (4件)

8番「我が庵は都の辰巳しかぞ住む 世を宇治山と人はいふなり」


62番「夜をこめて鳥の空寝ははかるとも よに逢坂の関は許さじ」
99番「人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふ故に物思ふ身は」
の3首ですね。

8番と99番の「よ」は「世」で正解です。
訳をしてみれば分かりますが、
8番の場合は「世の中を(住み辛く思って逃れ住んでいる)宇治山などと人々は言っているそうだ」
となって、下の句のことを思っているのは「人々」です。
なので、もし「よ」が「余(予)」だとしたら、「私を宇治山などと人々は言っているそうだ」となってしまいます。自分が地名だと思われている!?
見るからにおかしいですよね?

そして99番は上の句「あぢきなく」から意味を取らないとダメです。
「つまらないこの世の中を思う為に、あれやこれやと思い悩む我が身には」となります。
この場合も「つまらない私を思う為に、あれやこれやと思い悩む我が身には」となり、やはりおかしな意味になります。

最後に62番ですが、「世」でも「余(予)」でもありません。
これは「よに」という副詞で下に打消語(今の場合は「じ」)を伴って「決して~しない」と訳します。
つまり「逢うのを止める逢坂の関は決して(逢うことを)許しはしないでしょう」となります。


ただ、一つ言っておきたいことがあります。
藤原定家が百人一首を選定して、色紙にしたとき、そこに書かれていた文字は全て「ひらがな」でした。
その当時のひらがなですが、今のように1つではなく「よ」は「与」「余」「世」「代」「夜」など色々な漢字から崩されていたので、
その百人一首を写した人が書き癖でどの字の「よ」を使用したのかは分かりません。
なので、ひらがなであった「よ」を写していく段階で、漢字として認識してしまい、本当はひらがなの部分になる(例えば62番の「よ」)が漢字になってしまう例はいくつもあります。

百人一首解説書を何冊か繙いてみると、上3首の「よ」も実に様々な表記がされています。
が、通釈の点から考えると8番・99番は「世」、62番は「よに」が通説になっています。
ただし、和歌の解釈は研究者が「こうだろう」としたのが通説になっているだけですので、
大きく逸脱していなければ私は、どのような解釈の持ち方をしても良いと思っています。

この回答への補足

ありがとうございました。歌に掛詞は多いと理解してます。99番は90%世であり、残りは自分を大切にする。62番自分が大部分で「しかし」というのは思いもよりませんでした。8番私のことを指していると思っていました。今、目からうろこです。また。あなたの重要な付けたしの文もありがとうございます。ここに3首の解説を頂きましたが、残る97首も再度考察していきたいと思います。

補足日時:2005/08/13 12:29
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"自分"を表す場合は、「予」または「余」ですね。


「世」に"自分"という意味はありません。

この回答への補足

ありがとうございます。1番の補足を見てください。

補足日時:2005/08/13 09:22
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この回答へのお礼

世を自分に使わないことがわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/13 20:22

私のことをいう場合、余を使いますが、世は普通使わないと思います。


世は、世間とか、世代とかのニュアンスでしょう。

この回答への補足

ありがとうございます。1番の補足を見てください。

補足日時:2005/08/13 09:21
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この回答へのお礼

世を自分に使わないことがわかりましたありがとうございました。

お礼日時:2005/08/13 20:23

私のことを言う場合は、「余」です。



百人一首などの場合、自分のことと、世の中をかけて言う場合には、「世」を使うこともあります。

それでも、基本的には「世」は世の中という意味です。

この回答への補足

私が持っている百人一首の札です。よにあふさかのせきはゆるさじ。世をうじやまとひとはいうなり。世をおもふゆえにものおもうみは。(ヨの部分だけ正確であとのひらがなはだいたいです)この三首のここに出した部分。掛詞もあるが、2首目は余のほうがフィットすると思うがどうだろうか。5年ほど楽しんでいて最近疑問になってきた。ほかの出版会社の札で別な漢字があればおしえてほしい。

補足日時:2005/08/13 09:12
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