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私は高校の数学教師ですが、
今頃の時期になると、
多くの生徒から小論文の指導を頼まれます。
私は、生徒の指導が大好きですので、
どんなに忙しくても断ったことはありません。
したがって、夏休みから2学期にかけては大変忙しくなります。
ところで、だいたいの高校では国語の先生が小論文を
指導されているのではないでしょうか。
少なくとも私の学校では、私を除けば全員国語の先生です。
各校の現状はどうですか。
実は、私は小論文の指導はいろいろな教科の先生が携わるべきだと思っています。
なぜなら、小論文に求められるものは、
あくまで専門性です。
経済学部なら経済学の、物理学科なら物理学の専門的内容や問題意識が問われているのです。
小論文の評価をする人も、
それぞれの学部の専門の教授ですよね。
当然国語の先生とは、目の付け方が違いますよね。
それなのに国語の先生は、
小論文を国語の専門領域だと思っていませんか。
本来なら国語の先生と各専門領域の先生とが協力し合って指導すべきですが、
忙しい現場ではそれも難しいですよね。
それなら思い切って、
それぞれの専門の先生に指導を任せてしまってはどうですか。
とくに、理系小論文については理系の先生に任せるべきだと思うのですが。いかがですか。
もっとも私も、理系文系問わずに指導してはいますけどね。

A 回答 (4件)

なるほど、小論文評価というものは、文章表現や構成のほかに、科学的,社会的,哲学的な内容の吟味まで含まれ、まさにボーダーレスの世界なのですね。


どうやらこのボーダーレスの事実が、教諭間で勝手に解釈されているように感じました。

わたしは教員ではありませんが、教育に関して興味を持つ立場でしかない者です。
小論文といえば大学の授業で課されるレポートですが、文系は文系なりの、理系は理系なりの内容になるでしょう。極端なことをいえば、文系の教授が理系のレポートを読んでもチンプンカンプンだし、逆に理系の教授が文系のレポートを読んでもチンプンカンプンでしょう。

これは、表面は国語でボーダーレスだけれども、内容に関しては明確な一線が引かれているということですね。つまり専門性が要求される部分です。
いっぽうで、最近の若者は活字離れが進み、まともな文章構成ができる者は一握りです。文章表現にも問題がありすぎます。
そこで、職員会議の議題にできるなら、あたりまえのことですが、次の提案をなさって、小論文の扱いをキチッとさせてみたらいいと思います。

1)高校生レベルにもなれば、文章構成や表現の細部まで、
  ましてや専門性のある部分まで門外漢には指導できな
  いし、責任がもてない。
2)文章構成や表現の細部については国語教諭が目を通し、
  論文内容の正確さは理系教諭が責任を持ってチェック
  する。場合によっては英語・社会教諭も目を通す。
  つまり、小論文の評価は、前処理として国語教諭の目
  を通し、内容により、専門教諭が二次処理をするとい
  うことです。
3)小論文の評価窓口を設け、論文の状態を把握する。
  「論文□□号は○○教諭がチェック中」程度の管理を
  します。

教諭全体を巻き込んで、こういう仕組みを作り上げないと、若者の日本語が不十分なままで大学に送り込まれ、大学で国語の再教育をするという無駄な時間をかけることになります。また、論評される生徒側も不幸です。
質問の文面を読むに、篤志家教諭におんぶにだっこでは、学校の実績も上がらないでしょう。少子化を迎えて、生徒の奪い合いが現実味を帯びてくるなか、「あの学校は、なかなかしっかりした小論文を発表する」と評価されるようになってくれると嬉しいのですが。

中には「好きな先生にみてもらいたい」生徒さんもいらっしゃるでしょうが、これはナアナアに終る危険性があるので、止めたほうがいいとおもいます。
極端な場合は、「論文を課した教諭が責任を持って見るべき」と啖呵きったほうがいいと思いますがねぇ…。誰かが"上喜撰"になる必要があると思いました。
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この回答へのお礼

私が言いたかったことを、
適切に表現して頂き、
ありがとうございます。
提案もすばらしいと思います。
本来は、小論文や志望理由書等の指導は、
進路指導部が組織的に行うべきものですが、
私の学校においては「篤志家教諭におんぶにだっこ」という状態です。
こういう学校が多いと思います。
でも学校によっては、かなり組織的にできている高校もあるようですから、
私の学校でも組織化できるようにがんばりたいと思います。

お礼日時:2005/08/17 15:30

 ちょっと待ってください、「理系は文章が下手」という一般化はしておりませんよ。


 私が指摘したのは、「理系の大学教育には作文指導の必修カリキュラムがなく、トレーニングを受けていない」という点と、「理系の先生が皆さんちゃんとした小論文を書ける方たちとは限らない」という点ですよ。
 だから「個人差」という限定を付けていますし、「おしなべてヒドイ」と書いたのは「通信添削の講座を取っている理系公務員志望の方」に対してです。それは「特に理系の公務員志望の方の日本語は、おしなべてかなりヒドイです。」と明確に限定して書いております。これは自分の経験からの例ですから、理系全般に対する記述と拡大解釈されては困ります。
 一般化に対する批判を含む文章で、「理系は文章が下手」などというばかげた一般化をするわけがないではありませんか。
 誤解を解いていただければ幸いです。

この回答への補足

ごめんなさい。
言葉足らずでしたね。
私は、あなた同意見である言いたかっただけなのです。
あなたが、一般化していないことは十分理解しています。
個人的能力の方に、アクセントがあるのです。
誤解を招く、表現をしたことをお詫び申し上げます。

補足日時:2005/08/17 12:19
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 通信教育と家庭教師で小論文の添削・指導をしています。


 高校レベルで専門的内容が必要な小論文とは、大変レベルの高い生徒さんを教えていらっしゃいますね。(皮肉ではありませんよ)

 私は公務員試験程度の小論文の添削まで全般的にしていますが、小論文指導でもっとも労力を取られるのは「文法的に正しい日本語の書き方」です。
 特に理系の公務員志望の方の日本語は、おしなべてかなりヒドイです。文法的におかしな文や不正確な記述は皆さん当たり前に書きます。こんな日本語で書かれたレポートや卒論を合格にしている各大学の教授陣は、本当に日本人なのか?! と思うことしきりです(一例をあげれば、順接と逆接の接続詞もまともに使えない人がざらにいるんですよ^^;;ワープロ依存がたたって漢字の間違いも多いですしね)。文学部なら「文章が不正確で主張の要旨がわからない」と言って落とされてしまいます。
 文章だけでなく、構成もヒドイものです。論点を明確にして例をあげ、論理を構築するにはいくつかの定型的な方法もあるのですが、それが使える人はまずいません。半年から1年かかって、序論・本論・結論の三段構成をどうにかマスターする方がほとんどです。
 まあ逆に言えば、大学や院を出てもその程度のレベルだから通信添削の講座を取るのでしょうけれども・・・。

 高校~大学受験レベルで最も必要とされるのは、的確な論理構成力と正確な文章を書く力です。専門的知識以前に、そういった能力をのばす指導ができるかどうか、まずはそこです。
 専門的内容に関するアドバイスや良いサジェスチョンができるとしても、大卒・院卒理系の方たちが的確な日本語力(文法だけでなく論理構成力も含めて)を持っているとは限りません。理系の先生方がちゃんとした小論文を書ける方たちばかりならこんなことは言いませんが、今までの理系大学教育の中ではそういったトレーニングを受けるチャンスはほとんどなかったのではありませんか?
 少なくとも国語科の教員は作文指導のトレーニングを受けています。そこから先は個人差の問題ですが、質問者様の主張が一般論としての問題なので、私もここでは一般論としての反論にします。
 
 個人的な能力の差を無視して、「理系小論文は理系の先生に任せるべきだ」とのご意見には、以上の理由から賛成できません。
 質問者様が文章構成も含めて的確な指導ができているとすれば、それはご自身の努力と能力の高さ故だと思います。むやみな一般化の危険性をよくお考えになっていただければ幸いです。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
実は、かなり反論が来るだろうな、
あるいは国語の先生が読んだら気分を害されるだろうな、と思いながら質問を書きました。
国語の先生には、大変失礼なことをお書きしたと思います。申し訳なく思います。
内心では思っていても、同僚の前ではとても言えません。
ネットではじめて言える本音として、
お聞き頂ければと思います。
確か仰る通り、一般化することは危険ですよね。
実は、国語の先生の中にも充分専門的な内容を指導できる方もいらっしゃると思っています。
しかし、背伸びをされている方もいるのではないでしょうか。
例えば、物理学科のAO入試や推薦入試の志望理由書の指導においては、
指導する人が物理が好きであると言うことが、
必要条件だと思うのですが、
志望理由書も小論文も自分の専門領域だという思いから、
物理が嫌いなのに指導している方がいますよね。
この場合には、思い切って
「私は、物理が嫌いなので指導はできない」と言うべきなのではないのでしょうか。
というのは、AO入試とか推薦入試で一番大切なことは、意欲です。
AOを実施する物理学科では、
物理が好きで好きでたまらない人材を求めているのです。
指導している方が、物理が嫌いだったり苦手意識を持っている場合には、
物理学科の教授に好感のもってもらえる志望理由書を指導することは難しいのではないでしょうか。
それから、「理系は文章がへた」という一般化も間違っていますよね。
文系であっても文章がうまくない人もいますし、
逆に理系でも文章がうまい人もいます。
あなたの仰る通り、個人的な能力の問題だと思います。

お礼日時:2005/08/17 12:01

塾で国語を担当している者です。


ちょっと現場違いですが、同じ教育に携わる者として……。

夏休みに入ってから、本当に小論文の添削を求められることが多くなってきました。
確かに、小論文は専門性がないと添削は不可能だと思います。
なので私は、基本的に「国語的な要素」の部分だけを添削して、
その後に「専門的な要素」の部分についてはその教科の教師に添削をしてもらっています。
もちろんこの逆もあります。
これは小論文だけではなく、AO入試や推薦入試などの志望動機でも同じです。

私も質問者さまのように、各領域の先生と協力して指導すべきだと考えています。
逆に小論文は国語の専門ではないと思っています。
でも、周囲にはそうは思っていない教師が多いのが現状です。

ただ、一口に小論文と言っても、やはり「内容」もさることながら、
「文章」も重要なファクターになってきます。
やはり「文章」に関しては、国語が専門領域になってくるので、
いくら理系小論文だとしても、内容以外の部分は専門外の教師では分からない部分がたくさんあります。
まぁ、臨機応変に対応できるのが1番良いとは思うのですが……。

それにしても、生徒が「小論文を添削……」と言った瞬間に「あ、それなら○○先生が国語だから……」というのはやめて欲しいです。
国語の先生は万能じゃないんだよ!
と私は声を大にして言いたい。
……と、回答になってなくて失礼しました。
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この回答へのお礼

早速、回答して頂きありがとうございます。
文章も重要なファクターというご指摘、
まさにその通りですよね。
誤字や脱字や原稿用紙の使い方、文法的誤りなどの
減点も大きいと思います。
国語と専門の先生が組んで指導するのが、
一番いい方法だと思いますので、
塾でされている回答者さまの御指導はすばらしいと思います。

お礼日時:2005/08/17 11:31

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