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江戸時代の代表的な娯楽というとどんなものがあったのでしょうか?

素人の私が思いつくのは歌舞伎や浮世絵、本(小説)、落語とかそんなものです。

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A 回答 (8件)

前の回答者の方々、いろいろあげてありますね。

こういう娯楽もあったようです。『お江戸の意外な生活事情』(中江克己 PHP文庫 2001)をもとにご紹介します。

○芝居 相撲(庶民だけでなく大名も熱中) 吉原(遊郭)

○隅田川の花火  両国橋の上流が「玉屋」、下流が「鍵屋」。化政年間には、仕掛け花火で庶民の人気を競った。

○寺社の境内などで上演される大道芸
  曲独楽 品玉(玉の芸) 居合い抜き 声帯模写 軽業 など
  両国橋のたもとでは、異国の動物(孔雀、ダチョウ、駱駝、豹、オランウータン、ライオン、なまけもの、など)が見世物として庶民の好 奇心を集めた。享保13年には、ベトナムから象が「来日」、将軍吉宗に「拝謁」した。街中では「象双六」など様々な象グッズが売り出された。

○見立番付  相撲番付の形式をまねて、著名人・美人・諸国の名物や食べ物など、さまざまなものを東西の番付で競った。値段は一枚   4文(100円)と庶民にも求めやすいランキング表ですね。

○音曲   三味線、尺八、琴、胡弓など。唄では、長唄、端唄、小唄など

○歌舞伎 浄瑠璃

○本   滑稽本(ユーモア小説) 
     洒落本(遊郭を素材に) 
     人情本(男女の恋愛) 
     読本(伝奇物 今で言うミステリー、ソフトホラー) 
     好色本(その名のとおり)
     子供向けに「赤本」(≠受験問題集 表紙が朱色の絵本)

○和算(数学)  複雑な図形の面積、問題を解くことを競った、現在でいうパズル・クイズ

○女子の遊び  羽根つき 手毬 小倉百人一首 いろはかるた など

○子供の遊び  かくれんぼ 鬼ごっこ かごめかごめ 凧揚げ 雪合戦 貝独楽(ベイゴマ) など

○コレクション  石(珍しい石、奇妙な石の収集) 珍書、コイン、菊など
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
見立番付というものがあったのですね。
これほどいろいろな娯楽があったのは知らなかったです。

お礼日時:2005/12/01 11:53

 おはようございます。



 地方の大家(豪農)の蔵を開けると、俳書と義太夫の楽譜、小唄の本が大量に出てきます。

 それから、伊勢参りに代表される旅行、いままでは、庶民はあまり移動を許されなかったというイメージがありますが、あにはからんや、中期から後期は、富裕な農民の「旅日記」がわんさとあります。女性のものも少なくありません。近世は、旅案内関連の書籍が、多数でています。携帯に便利なポケット版。ようするに「○○の歩き方」ですね。需要があったからに他なりません。

 あとは、茶の湯。

 で、前も書きましたが、こうした芸事の宗匠は、各地を廻って指導をするのが仕事だったわけですが、彼等が、いろいろな情報の運び手となっていたわけです。

 あのですね、落語を読むと、どんな娯楽があったか解りますよ。明治になってできたもののほうが多いんだけど、まあ江戸の空気を伝えてますね。なにより面白いし。
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この回答へのお礼

こんばんは。
御回答ありがとうございます。

女性も伊勢参りは結構していたのですね。
入り鉄砲・出女で女性の移動は厳しかったのかと思っていました。
旅案内の本もあったのですね。

落語ですか。面白そうですね。
機会があったら是非読んでみたいです。CDで落語を聞く前に、一通り本であらすじを押さえておいた方が理解しやすそうですね。

お礼日時:2005/12/01 21:51

江戸では「富くじ」ってのもあります。



あと田舎では、氏神などを同じくする人の集まりである「構(こう)」などが沢山あって、一家族で複数の講に入っている家もあったり、女性だけの講もあったようです。ようするに神様をネタに、食事をもちよっておしゃべりしたりする集まりですね。これは今でも続いている地域はあると思います。

また、年間を通しての節目の行事は、祭りに限らず娯楽性をもっていて、楽しみの一つだったようです。

関東地域では結構博打はやっていました。母方の先祖が群馬の庄屋でしたが、義理の弟が清水の次郎長と義兄弟であったり、博徒と関係が深かったようです(群馬ではこんにゃく相場が立っていましたので、その方に大方はまっていたようですが・・・)。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
年末ジャンボ宝くじ、三千円だけ買おうと思います。
当時の人もそういう感覚で籤を楽しんでいたのでしょうか。

「構」ですか。ちょっとしたサークル活動だったのでしょうか。

ご先祖の義理の弟が次郎長の義兄弟だったのですね。
関東では博打は庶民が気軽に手を出していたのでしょうか。

お礼日時:2005/12/01 21:47

小生が住んでいる備中では・・・江戸後期のようすです。


四国巡拝や大山参り(鳥取県)がありました。
四国巡りは農閑期であり気候もよくなる2月から3月に行きました。豪農でなくても中農程度の人は行っています。
日常のちょっとした娯楽は酒ではなかったでしょうか。村にはたいてい造り酒屋があり飲めたようです。
博打は厳禁でした。バレると村が管理する牢屋(たいてい庄屋の屋敷内にあったようです)に数日間入れられました。おもしろいのはその牢番に家族があたっています。
俳句などは庄屋や大商人などはしていたでしょう。明治になると庶民でも中農程度の人はやっていたようです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
備中から因幡?の大山へお参りしていたのですね。
中農程度でも行っているのですね。現代人がちょっと海外旅行に行く程度の感覚だったのでしょうか。

家族が牢番をしていたというのは面白いですね。
刑罰というよりは、反省を促す程度の意味合いだったのでしょうか。

お礼日時:2005/12/01 21:44

地方になりますが、名主など上流農民層や寺社関係の人々などの文人サークルもあったようです。

寄り集まって囲碁将棋、俳諧などを行っていたらしいです。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
地方でも文化人サークルがあったのですね。
俳諧など風流なこともしていたのですね。

お礼日時:2005/12/01 11:55

日常的には博打、酒、食事でしょうね。


江戸だと小鳥を買ったり、鉢植えをしたり、化粧も娯楽かな。
江戸時代の遺跡からは上記に関連した遺物がたくさん出てきます。
セックスも重要な娯楽であるであることは想像に難くはないでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
そうですね。セックスは想像に難くないですね。
ペット(小鳥)も飼っていたのですね。

お礼日時:2005/11/29 23:12

 参考書籍にありますが、例えばこんなものがあります。



・数学(和算)
・暦作り(年賀状的に大小暦を作る)
・園芸(アサガオやツツジなどいろいろ)
・富士参り

 他にも、古典落語に出てくるものとして今同様の囲碁将棋川柳俳諧もメジャーでしたし、義太夫などの習い事もあります。
 今で言うフードバトルも行われており、蕎麦の大食い(これは死人も出ています)、味噌舐め、醤油飲み(これも死人が出ています)などの例がありました。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4061859 …
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
どれも珍しい娯楽ですね。
園芸もやっていたのですね。
フードバトルもしていたのですか。大変興味深いです。

お礼日時:2005/11/29 20:20

江戸時代の「娯楽」とはすこしずれてしまいますが、手習いとして、庶民は「三味線」、武家は「琴」が定番でした。



そうした、江戸文化の研究の第一人者の田中優子さんのHPをリンクしておきましたので、参照してみてくださいね。

http://esearch.rakuten.co.jp/rms/sd/esearch/vc?s …
田中さんの著書

参考URL:http://lian.webup.co.jp/twin/
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
三味線や琴ですね。農民とかもやっていたのでしょうか。

お礼日時:2005/11/29 20:18

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空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

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人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

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Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
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(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
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・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
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Qテレビもラジオもない時代のこの時間の娯楽

現在は日曜の夜なんかは
家族でサザエさんなどテレビを見たりしますよね。
でも、昔のテレビもラジオもない時代
(1925年以前?)の日曜の家族の団欒は
ただひたすら寝るまで会話を楽しんでいたのでしょうか?

Aベストアンサー

昔の人は夜はセックスして早く寝るだけです。実際問題、戦後間もなくに山奥の村にラジオが通じるようになると村人が「夜更かしするようになるから母ちゃんとのセックスが減る」と嘆いたという言葉が残っています。
また現代でも、なんとインドでは政府が「夜はテレビを見よう」運動をしているそうです。なにしろインドは人口が爆発している社会。日本と違って「産む数を減らそう」としているんですね。だから、子供の数を減らすにはつまりセックスの回数を減らす、そのためには夜に娯楽を与えればいいということで「テレビを見よう」というわけです。
なお、私が子供の頃は夜6時くらいまでには飲食店などを除くとほとんどの店が閉店していました。夜9時にもなるともう自動販売機の飲み物以外はほとんど何も買えなかったんですよ。セブンイレブンが日本に最初に出来て衝撃的だったのは「夜11時」という「夜中」まで店を開けているということでした。そんな時間に買い物なんかする人なんかいないと思ったものです。

Q娯楽の歴史

日本の娯楽の歴史を知りたいです。
できれば江戸時代以降。江戸、大日本帝国、日本国といったざっくりしたくくりでかまいません。
最近のはさすがにみればわかります。
この降伏国は娯楽が意図的に拡大している国ではないかという感じがする。3S政策ご存知ですか?
日本の娯楽界がどのような変遷を遂げているのか知りたいのです。
民意、娯楽に関しよく使われていた格言とかあれば教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

恐らく纏まったものはないでしょう。
手間を厭わなければ下記のような書籍がありますので、図書館で御覧下さい。Amazonでも売っていますが、これだけを調べるのには無駄でしょう。
幕末百話 篠田鉱造著 岩波文庫
明治百話(上・下)篠田構造著 岩波文庫
東京風俗志(上・下)平出鏗二郎著 ちくま学芸文庫
明治事物起原 石井研堂著 ちくま学芸文庫
(上記シリーズの中に 第五編 音楽部  第十四編 游楽部 の2冊があります)
概略であれば
江戸東京年表 大濱徹也・吉原健一郎編  小学館
628年~2002年までの江戸の町の歴史書(年表形式)です。各年のトピックスに書かれています。
ざっくりであればこれが一番手頃でしょう。

明治26年(1893年)に映画が輸入されるまでは、芝居が最大の娯楽でした。映画が流行するにつれ多くの娯楽が衰退し映画全盛時代がTV出現まで続きました。
ラジオは家庭の大事な情報源であるとともに娯楽でした。
講談・講釈・落語は長く続けられていました(今でも続いています)

三味線や踊りは娯楽であるとともに江戸時代の上流階級の女性の教養の一つでした。
能は大名の教養の一つでしたが皆嫌がりました。(江戸の初め各地の武士が江戸城内でお互いの方言が通じずに謡曲の言葉を使ったそうです)
農村ではお祭りが最大の楽しみであり、たまに回ってくる旅芸人も楽しみの一つでした。
何かことあるごとに集まって民謡や踊りを楽しんでいました。
江戸や大坂のような大都会では、あるゆる芸が路上(大道芸)や粗末な小屋掛けで小銭をとって見せていました(見世物小屋)なんでもありで面白ければ何でもやって、時々お役人に叱らていました。
寺や神社が人寄せの為に年中どこかで縁日を開いていました。(その気になれば毎日縁日を見て歩くことも可能でした)
大きなお祭りは今でも各地に残っています。
明治になっても暫くこの状態が続きました。
正月や節分、七夕などの季節ごとの行事も楽しみの一つでした。(毎月なにやらやっていました)
大きなお寺の法事や御開帳も楽しみのひとつでした。成田山は何年置きかに江戸でやっていました。
温泉旅行も楽しみの一つでした。(旅は巷間いわれるほど厳しくなく、京見物などはお金があればよく出かけていました)
山形酒田の大店のおかみさんの京見物の道中録は貴重な民俗学の史料になっています。
江戸末期に日本へきた外国人が東海道の人通りが多いのにびっくりしていました。

本は今の劇画のようなものが大量に出回っていました。絵の周りに台詞や情景がびっしり書き込まれています。

ざっとこんなとこですかね。

恐らく纏まったものはないでしょう。
手間を厭わなければ下記のような書籍がありますので、図書館で御覧下さい。Amazonでも売っていますが、これだけを調べるのには無駄でしょう。
幕末百話 篠田鉱造著 岩波文庫
明治百話(上・下)篠田構造著 岩波文庫
東京風俗志(上・下)平出鏗二郎著 ちくま学芸文庫
明治事物起原 石井研堂著 ちくま学芸文庫
(上記シリーズの中に 第五編 音楽部  第十四編 游楽部 の2冊があります)
概略であれば
江戸東京年表 大濱徹也・吉原健一郎編  小学館
628年~2...続きを読む

Q幕末の武士たちの食事はどんな感じでしょうか。

幕末の武士たちの食事はどんな感じでしょうか。
良く魚の焼き物、味噌汁、鍋、白ご飯を食べてますね。
塩はあるでしょうが醤油もあったのでしょうか?
あまり肉をがっついてるシーンは見ませんが肉は食べていたのでしょうか?
鳥や猪は食べるでしょうが、牛は明治に入ってからでしたっけ?豚は食べてたのでしょうか?
時代劇で、移動式屋台のうどん屋がよく出てきますが、醤油出しでしょうか?
うどんのみで具はなかったんでしょうかね?
食事が良く分かるHPなどあれば教えてください。

Aベストアンサー

漫談です。

江戸三白といいまして、米、大根、豆腐がまず江戸人の食べ物代表です。それに鯛と白魚をたして、五白ということもあります。

これらの料理法を江戸の人は究めまして、当時から「豆腐百珍」というレシピ本がベストセラーになります。この「百珍」は、蒟蒻、鯛などの亜流がでるほど売れました。また、「料理物語」というレシピ本もあります。

牛は農耕のための財産であり、食用ではありません。イノシシは「山鯨」という隠語ができ、クスリと称して売っていたくらいなので、実はみな好きでした。

夜泣きの移動屋台のソバがまずあります。かけ、という言葉はどんぶりに入れたソバにダシを「ぶっかけた」が語源です。本来は店では蕎麦つゆにつけて食べるものでした。タネは、以外ですがテンプラが一番古いタネです。ネギと桜海老ていどの安価なものです。なぜなら、ソバにあげておいた(当然冷たい)かき揚げを乗せてダシをはると、ダシが少なくてすみ、またソバが冷めにくくなるからです。揚げ玉だけのたぬきは、テンプラの「たね(具)」を「ぬき」にして、「たねぬき」が語源です。スパイスとして七味唐がらしがありますが、江戸人は「七色(なないろ)」といいます。いまでも、東京に長く住んでいるひとや下町では七色といいます。
脚気のお話がありましたが、脚気はビタミンB の不足から来るのですが、白米オンリーのゼイタクは珍しかったので(大概は麦をまぜる)、江戸期には大流行していません。精米技術が進んだ明治期に流行しはじめ、陸軍がこの対策に困ります。なぜなら、兵は白米食べていたからです。日露戦争では脚気に25万が罹患し死亡した兵士が2万以上と非常に多く、ロシア側は「日本側に伝染病の兆候あり」とその様子をつかんでいます。
一方の海軍は当初パン食でしたが不評で麦飯にしたのですが、ビタミンBが結果的にとれたので脚気がおきませんでした。

当然、日露戦争前に陸海軍とも脚気について対策を取ったのですが、海軍は「今の食事で起きていていないのだから、麦飯」と英国で医学を収めた高木兼寛が主導し、惨事になりませんでした。英国では例として、海軍兵士にレモン・ジュースのませれば、理由はわからないが壊血病にならない、という、結果オーライな軍事医学の方向性があったからです。高木は日露戦争後、脚気を防いだ功績がみとめられ、男爵を授かっています。

が、陸軍はドイツで当時最先端の細菌学をまなんだ森麟太郎(森鴎外)が軍医トップにおり、「脚気も細菌が原因」と(今日の目で見れば)まちがった方に対策リソースがふられてしまったので、大惨事となったわけです。

脱線しましたが、ネタとしてお納めください(;^_^A
杉浦日向子氏の著作に、江戸の食について楽しく詳しく書かれたものが多いです。下のURLもみてください。楽しいですよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E9%A3%9F%E6%96%87%E5%8C%96

漫談です。

江戸三白といいまして、米、大根、豆腐がまず江戸人の食べ物代表です。それに鯛と白魚をたして、五白ということもあります。

これらの料理法を江戸の人は究めまして、当時から「豆腐百珍」というレシピ本がベストセラーになります。この「百珍」は、蒟蒻、鯛などの亜流がでるほど売れました。また、「料理物語」というレシピ本もあります。

牛は農耕のための財産であり、食用ではありません。イノシシは「山鯨」という隠語ができ、クスリと称して売っていたくらいなので、実はみな好きでした。

夜...続きを読む

Q東京の街で芸能人をよく見かける場所はありますか?

こんにちは。

来週ディズニーシーに行って、帰りの日に夕方まで東京にいます。
どこに行くかよく決めてはいませんが、表参道、青山、銀座など街をブラブラしようかなと思います。
そこで、お尋ねしたいのですが・・

高級ホテルとかではなくて普通に芸能人をよく見かける場所などご存知ですか?
できたら、お笑い芸人やご年配の方ではなくて、TVによく出てくる人がいいです。
ミーハーな質問なのですが、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

普通に街中で偶然見かけるということはあるでしょうが、”よく見かける”というような場所はどうでしょう・・・あるのかな?
強いて言えば青山・麻布・銀座あたりでしょうか。渋谷も意外と遭遇率高いかもしれません。
一番遭遇するのはやっぱりテレビ局の前ではないかと。
遭遇というより”出待ち”になるのでしょうが。(^_^;)

Q江戸時代の侍は、普段何をしていたのでしょうか?

江戸時代は戦もほとんどなっかたと思うのですが、平和時に侍は日常何をしていたのでしょうか?行政や事務方の仕事を兼務していたのでしょうか?

Aベストアンサー

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれば遊べるかなくらいで、実際にはやる仕事が全然ないんですよね。
 一応、忙しい人がいないわけでもなく、御算用者という財務会計専門の役職は激務だったみたいです。
 理由は・・・そりゃあねぇ。お察しください。
 きっとストレスでバッタバッタ倒れたでしょうな。

 それに地方大名はやれることが限られてました。幕府がいろいろ禁止してますから。
 たとえばお城の石垣が傷んで直そうとしても、幕府の許可がないとやっちゃいけないんです。

 で、大部分のヒマな侍は何をしてるかと言えば「やることがない」のです。
 しょうがないから芝居見物、博打、酒盛り、釣り、生け花、俳句など、いかにヒマをつぶすかに一生懸命だったでしょうね。
 知行はあるけど、これだけ遊んでればお金も無くなります。
 だから武士の命のはずの刀を質に入れ、金を借りたりしてるのが普通なわけです。
 江戸に行けば生活費もかさみますので、ちょっとくらい手当をもらっても借金がふくれるばかりという人もいました。


 仕えていた藩を取りつぶされたりして、仕官先のない武士は「侍」とは言わず「浪人」と言います。
 今でも残っているこの言葉の通り「仕事も何もすることがない人」だったりします。つまりニートってこと。
 ホントに何もやらないと当然収入がないので、内職したりして日銭を稼いだりしてました。
 時代劇じゃ傘張りとか耳かきの製作とかやってますよね。

 そんなわけで士農工商とは言われてますが、武士も実際には商人に金を借りまくってたりして、あまり偉そうにはできなかったというのは有名な話。
 商人、職人、農民は何かヒット商品で成功すれば豪商や豪農のように成り上がれますが、武士にはそれがないのがつらいところ。
 経済的に豊かな武士というのはおらず、実質的に武士は江戸時代を通じて無職者集団に近かった、とさえ言われてます。

 参考になれば幸いです。

 侍は確かに今で言う公務員ですね。
 藩政に関わる仕事を基本にして、あとは娯楽や稽古など・・・。
 初期と幕末期は様子が違いますが、江戸時代らしいと言えばらしい、まるっきり平和ボケな中期の頃の話をします。
 んで旗本大名クラスじゃなくて、ホントの窓口公務員っぽい人たちの話。

 現代のように週5日で朝9時から夕方5時まで勤める、ということはありません。
 お城の番兵みたいな人は、せいぜい月に数日間しか公用がないこともありました。
 接待係のような人も、御用商人が接待してくれれ...続きを読む

QWord 文字を打つと直後の文字が消えていく

いつもお世話になっています。
Word2000を使っているものです。
ある文書を修正しているのですが,文章中に字を打ち込むと後ろの字が消えてしまいます。
分かりにくいですが,
「これを修正します。」
という文章の「これを」と「修正します。」の間に「これから」という単語を入れたときに,その場所にカーソルを合わせて「これから」と打つと,
「これをこれからす。」
となってしまいます。
他の文書では平気です。
何か解決する方法があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

入力モードが「挿入」(普通の入力)から、「上書き」になってしまっているのだと思われます。
キーボードに[Insert]というキーがあると思いますので、1度押してみてください。

Q平安時代の乗り物はどうして牛車

源氏物語などを読むと、
平安時代の貴族の一般的な乗り物は牛車のようです。
どうして馬車を利用しないのでしょうか?
牛など遅すぎますし、よだればかりたらしていて美的ではないです。
当時の馬にパワーがなかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず、現在「馬」と聞いて思い浮かべるサラブレッドは、昔の日本にはいませんでした。
昔はもっとずんぐりした馬でした。
昔の武士が乗っていたのは、そういうずんぐりした馬だったのです。
でも、パワーはすごいですよ。
力仕事をさせるための馬ですから。
今でも、北海道のどこかでその馬を使った馬そりレースをやっています。

それでは素人ながら質問にお答えさせていただきます。

牛車と馬車のスピードの違いですが、確かに舗装した平坦な道路で競争したら、馬車の方が速いだろうと思います。

でも、昔の道は未舗装なんですよ。
よく映画なんかで、馬車がすごいスピードで走るシーンがありますが、実際に未舗装の道であんなふうに馬車を走らせるのはほぼ無理だろうと思います。
あっという間に車輪がこわれるんじゃないでしょうか。車輪は木製ですよ。
車輪が壊れなくても、乗っている人は天井やら壁やらにぶつかってあざだらけになると思いますよ。
乗っている人がゆったりあざを作らずにのるのなら、牛が引いても馬が引いても速度的には変わらなかったのではないでしょうか?

それと、もう一つ重要なことは、
貴族は先を急いでせかせかしたりしないものです。
牛が引こうが馬が引こうが、ゆったり優雅に移動できればいいのです。

そういう意味で、馬の荒っぽい動きより、牛のゆったりした動きの方が、平安貴族の美意識に合っていたのかもしれませんね。

あと、質問者さん、牛を引っ張ったことありますか?
すごい力ですよ。
日本では、ほんの数十年前まで、牛に農機具を引かせて畑や田んぼを耕していたんですよ。
昔は農家には必ず牛がいて、農作業をしたり荷物を運んだりして活躍していました。今のトラクター・トラック・乗用車、全ての役をしていたんですね。
牛は、農家の何より大切な財産だったし、今でも世界各地の農地で働いています。
パワー的には昔の馬にもまったく劣らないのではないのでしょうか。

というわけです。

まず、現在「馬」と聞いて思い浮かべるサラブレッドは、昔の日本にはいませんでした。
昔はもっとずんぐりした馬でした。
昔の武士が乗っていたのは、そういうずんぐりした馬だったのです。
でも、パワーはすごいですよ。
力仕事をさせるための馬ですから。
今でも、北海道のどこかでその馬を使った馬そりレースをやっています。

それでは素人ながら質問にお答えさせていただきます。

牛車と馬車のスピードの違いですが、確かに舗装した平坦な道路で競争したら、馬車の方が速いだろうと思います。

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Q電気の照明がない時代の生活

今のように電気の照明があれば一晩中起きている人も少なくないと思いますし,就寝時刻や起床時刻はバラバラだと思いますが,例えば日本の江戸時代前のように電気の照明がない時代の人たちがどんな生活をしていたのか,そんなことを紹介しているページをご存じの方がいらっしゃいましたら教えていただけるでしょうか。一番関心があるのは就寝時刻と起床時刻が何時くらいだったのかという点です。(今ほどバラツキがなかったのではないかと思うのですが)そんな点についてご存じの方(あるいはそういう国・地方で生活をされていた方など)がおられましたら情報をお知らせいただけるとうれしいです。

Aベストアンサー

東南アジア、インドシナ半島におきまして、カレン族の村
で少しばかり生活していたことがあります。
電気、ガス、水道、トイレ、電話等一切無し。
この村において「夜のはじまり」とは、日没のことを指しておりました。午後八時頃は「深夜」となります。日没とともに就寝し、夜明け前に起きる、というパターンでした。
従って、季節によって就寝時間や起床時間は異なります。
そもそも村には時計がありませんでした。
客人が来たときには、日本で言うところのキャンプファイヤー
のようなことをしておりました。
村の子供達の健康的な笑顔が印象的でした。

Qいわゆる江戸時代の娼婦はどうやって避妊してたんでしょうか

コンドームのない時代にどうやってたのかな?
とよく思うんです。

事のあとで洗浄するとか、外出しですか?
(あの時代にはピンと来ない方法ですが…)
それとも妊娠の都度、堕胎したんでしょうか?

ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。

Aベストアンサー

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。
それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。

…というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。
おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。

それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。
もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの...続きを読む


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