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 人に迷惑をかけると、自分も迷惑をかけられる出来事にいつか遭うのですか? 見ず知らずの通りすがりのもう会うことはない人でもですか? 間接的にも自分に返ってくるのでしょうか? お願いします。

A 回答 (5件)

あくまでも自分に対して、悪い事をするかしないかで、後々良くも悪くもなってしまうと言っているので、第三者に対して何をしたとしてもその相手から訴えられれば、あなたは犯罪者になるだけなんだと思います。


因果応報は悪い事に対しての例えが多々有りますが、良い事をしていればその内何もかも良くなると意味をあるので何事も悪い方向へ考える事は辞めて、自分の行いを日頃から良い方向に持っていく様にしましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/27 14:53

>人に迷惑をかけると、自分も迷惑をかけられる出来事にいつか遭うのですか?



そうですね。何日後・・・とかでなく、“迷惑をかける”
という“種”を作れば、それはかならず実をつけます。
この世は平等な世界です。
良いことをすれば、相手の為になることをすれば
それは善果として自分に戻ってきます。
逆もまた真なり ですね。
孫子の代に戻ってくることもあります。

身意口といって
身・・・行動、(殴る蹴るとか)
意・・・心で思う事
    (あいつを殺してやるとか、腹立たしく思う感     情とか)
口・・・口から発した言葉。
    (相手を傷つけるような罵の言葉 など)

こういうことも、必ず(必ず・・です)自分に戻ってきます。病気という形であったり、上司、仲間のいじめという形であったり、子供の非行などの人生の不幸という形で。

今、一瞬一瞬の心の思いが次の人生を形作ってます。

既に過ぎてしまった、過去の悪感情や行動のことは もう後悔しないで
次の、これからの思いや感情を正していきましょう。

では、これからどうしたらいいのか?
「ありがとう」の感謝の気持ちですごしましょう。
ありがたいことがきたら ありがとうと感謝する・・・ということでなく、悪い出来事と思えることにも
ありがとうと感謝すればいいのです。
その、ありがとうという良き貴方の感謝の思いが
貴方の人生を形作っていきます。

自分の人生を良くする幸福にするもっとも大事な事は
貴方をこの世に産み出してくれた親への感謝です。
親を恨んでいる人はどんなに他の事で勤勉に努力しても
成果は出にくいでしょう。










 
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/27 14:57

私は因果応酬・宿業思想に懐疑的です。


そんな保証があるから善行や悪業をするというのが人間ではないからです。

子供にしても親に「完全であれ」と感情を示しているのではなく、分離意識がないだけで、ストレスを貯める術もないだけで、善悪に執着しているのではないのです。

それが区別され、受け取り失い、始まりと終わりを知っていくこと、それが成長するということで、変化・成長に痛みがあって然りです。

この世に善悪の明白な区別がないのかというと、区別ではなく強弱の天秤があるだけだと思います。

善い悪いではなく、強い人と、弱い人があるだけという確信があります。

因果は巡るから善いことをするのと、自らの強い希望で善いことをするのでは、結果如何で悲痛を再燃させるか、別の対処法で救われる人になれるかの違いが出ます。

普段身勝手に生きてきて、宝くじに当たってしまったとか、莫大な遺産を相続してしまって、道理にそぐわないので理不尽だと主張して受け取り拒否する人はまず居ない(笑)

ある力が与えられただけで、その人が強くなったものではないように思います。強さとは周囲を納得させるものではなく、自分自身がどれだけ納得して誇っていられるものがあるかだと思います。

善意は必ずしも報われないが、悪意は必ず報いられる前提で行うもの。力があっても誇らしさがないのだから。

それでは悪意ばかりが栄えてしまうかというと、例えば火あぶりにされることを望む人はいない。だけど、大切なひとが火の中に居る事を知っていたら進んで火の中に行きたくなる。助けたいから、一緒に居たいから。

大火傷を負っても火事に遭う以前より、大切さを知ることが出来た、生まれてきたことを、愛せたことを何よりも誇らしく実感するのではないかと思う。

不器用で不徳で助けられなかったと後悔して失意の人に、誰がその人を悪人にするでしょうか。身代わりに死んだ人に「因果応酬だから当然」と空しい希望で納得させて、悪意に喜ぶ人の本当の幸せになるのでしょう。

報いられずとも、自然に悩まず善行をしたいだけしたらいいだけなのでは?
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/27 17:41

一番単純な例は、直接自分に不利益が返ってくるものです。

借りたお金を返さない、約束の時間に遅れて人を無駄に待たせた、こういった迷惑行為は、信頼を失うことで、他の信頼に足る人たちよりも不利な扱いを受けます。

次に少し複雑な例は、社会全体が不利益を被ることで、自分も一緒に巻き添えをくらってしまうものです。人をだまして利益を得るようなことをしたとします。その詐欺師が直接検挙されなかったとしても、被害が公になると、それを未然に防止するための対策に費用がかかります。税金などのみんなのお金がかかるわけですね。勿論詐欺師が払った税金も入っています。さらに深刻になると、一時的に利益を得られる詐欺行為をする人間が増加してきます。得なんですから。もとの詐欺師が詐欺にある可能性が増えますね。社会全体のコストが上がる形で、以前よりも不利益を被る状態になるのです。“見ず知らずの通りすがりのもう会うことはない人”も含めた社会です。

因果応報は、決して“不思議な呪い”のようなものではなく(笑)、ゲーム理論という分野では数学的に扱われている現象です。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/28 00:38

大丈夫。

心配しなくても良いです。

「人に迷惑をかける」から「自分も迷惑をかけられる出来事にいつか遭う」ということは、

『決してありません。』

ただ、
「人に迷惑をかけて何とも思わない人」または
「人に迷惑をかけて申し訳ないと思わない人」は
「自分も迷惑をかけられる出来事にいつか遭う」確率は高いでしょう。

なぜかというと、人に迷惑をかける人というのは、本当はそれが迷惑だとは思っていないのです。
自分にとって当たり前のことだと思っているのです。
つまり、「自分勝手な人」です。
そういう人はいつか人から迷惑だと思われますよね?
それを、その人は「迷惑をかけられた」と思い込んでしまうのです。
自分が悪いにも拘わらず、です。

人間は、止むを得ず他人に迷惑をかけてしまうことがあります。
ただ、それを自覚して、相手に申し訳ないと思い、可能であれば謝れば良いのです。
どうしても謝れない場合は、他の人にその分優しくしてあげましょう。
人間はみなどこかでつながっていますから、その優しさが形は変えても、迷惑をかけてしまった人の所までいつか必ず届くでしょう。

そして、そのように自分のしたことを悔いて、何か別のことでも一生懸命やろうとしているような人に迷惑をかけようなどと思う人は殆んどいません。
過去を忘れない、ということは確かに大事なことです。
しかし、「生きる」ということは現在の話です。
「生きて人のためになることをする」ということで初めて、過去の迷惑が迷惑ではなくなるのです。
他人に迷惑をかけないで生きている人間は一人もいません。
迷惑をかけたことを悔むのは悪いことではありませんが、法律的に重大な罪を犯したわけでなければ、これから迷惑をかけないようにすることのほうがずっと大事なことですし、皆、そうして生活しているのです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2006/02/28 10:19

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